北の戦場では、塹壕…というのだろうか。 地面に穴が道のように掘られていて、その中を移動することになった。 銃火器から身を守るためのものらしい。姿を隠すにはうってつけ…なんだけど。 「カグヤ!頭を出すな、死にたいのか!!」 「わ、分かっ…」 「返事は『はい、上官どの』だ!何度言えば分かる、このボンクラめ!」 リカルドの様子が可怪しい。 口汚く罵られた上、頭を全力で押し込まれる。 …もう抵抗する気も失せてしまった。早く終わらせて欲しい。 ていうかリカルド、戦場入ってからずっとこうなんだけど…大丈夫かな。 「リカルドさん!さっきルカくんを泣かしたばかりでしょう!?」 「!!はっ…」 アンジュに叱られ、我に帰るリカルド。 ルカ、泣かされたんだ。西の戦場でのトラウマでも蘇ったのかな。 「カグヤ、大丈夫?痛くなかった?」 「大丈夫だよ、アンジュ。ありがとう」 けれどリカルドを叱ったり、私を慰めたりしている間のアンジュは『いつも通り』だ。レムレース湿原での、奇妙な様子は一切見られない。 そう振舞っているのか、ふっきれたのかは分からないけど…多分前者だろう。 アンジュは自分のことを隠すのが、驚くほど上手だから。 「すまん…カグヤ。どうも新兵だった頃を思い出してしまって…」 「根深そうだね、そのトラウマ。ルカも怯えてるし」 「うう…だって西の戦場での指揮官さん、本当に怖かったからさ」 肩を落とすルカ。 西の戦場…か。懐かしいな。つい最近のことのようにも思えるけど。 「そういえば、カグヤはあの時も平然としてたよね?」 「え?…あー、そうだったっけ」 「戦場の真ん中でから揚げ食べてたじゃない」 アンジュが信じられないものを見るような顔で、私を見た。 そうだなー。戦場に行くのは初めてだったけど、やっぱり根本的な価値観が違うっていうか。死体とか硝煙の臭いとか、嫌悪感はあってもそれだけだったし。 ……やっぱり私、皆とは違うんだよな。色んなものが。 「カグヤ。平気か?」 「…何が?全然大丈夫だってば。ほら、早く行こう」 「…」 リカルドが意味ありげに見つめてくるが、受け流しておく。 その後のリカルドは、完璧ではないものの多少落ち着いたようだ。 比例してアンジュが黙らざるをえなくなるわけで…やっぱり様子がおかしい。 時折空を見上げたり、うつむいたりして、ぼんやりとしている。 そしてイリアも何か考え込んでいるようだ。 一見いつも通りなんだけど、誰も近くにいない時は別人のような顔をしている。 何か思い出しているんじゃないか、とはコンウェイの弁だった。 …が、そうこうしている間にも戦場の出口は間近らしい。 レグヌム兵の数が減り、代わりにテノス兵の数が増え、そして減ってきた。 「!そろそろ出…」 先頭を歩いていたキュキュが、嬉しそうな声をあげかけ、遮られた。 砦らしき門の真上…崖の上から聞こえてきた、高らかな笑い声によって。 ……聞き覚えあるぞー、これ。そろそろ来る頃とは思ってたけど。 「はいはい、皆さんお待ちかね。『窓辺のマーガレット』でお馴染みの、この俺様の登場ですッ!」 ハスタだ。にっくきハスタが現れた。 額に青筋を走らせ、スパーダが一同から歩み出たので、隣に続いてみる。 ……駄目だ。あいつの顔見た瞬間、色々湧き上がってきた。黒い感情が。 「この害虫!今日こそ駆除してやるからなあ!」 「!えっ、カグヤ……ああいや、その通りだぜ!覚悟しやがれ!」 一瞬スパーダが驚愕の瞳を向けてきたが、すぐに前を向きなおす。 「カグヤ…どうしてそんなに怒ってるの?」 「ルカのお馬鹿!あんたのせいでしょ!?あんたも何か言いなさいよ!」 「え、僕も?…た、例えば?」 「二度と見れへん顔にしたる!…とかは?」 「エル…それ、ダメ。キュキュでも分かる…」 背後から漫才じみたやり取りが聞こえるが、目の前にいるのはハスタだ。 少しでも目を離したら、何をされるか分かったものじゃない。 今までは多少なりとも手加減してたけど…もう、いいや。 リカルドだけとはいえ、正体がバレたことで吹っ切れてしまった。 「え、ええと…二度と見れないような顔にしてあげる、よ?」 「…私に訊かれても」 「ゴメン、ルカ。あたしがムリさせたわね…」 とても無理のあるルカの罵り言葉。 イリアが哀れみの表情で目を逸らすと、ハスタが目を瞬かせた。 「この声紋と体臭には覚えがあるなァ。えーと…『イブラ・ヒモビッチ』さん?」 「違うわよ!『イ』しかあってないじゃない!」 地団駄を踏むイリア。 ツッコミ役も大変だ。額の血管が切れなければいいんだけど。 しかし、ハスタはイリアの反応には少しも興味を示さなかった。 私たちの顔を眺めながら、一人ずつ指をさしている。数えているらしい。 「ひぃ、ふう、みい。…僕のために狩る首を増やしてくれたんだね、お母さん!ありがとう!」 「うるせェ!耳が腐るぜ!!」 スパーダが双剣を抜き放つ。 耳が腐る、か。同感だ。…というより、話を聞く必要は一切無いのだ。 ルカを酷い目に遭わせた恨みは、絶対に晴らさせてもらおう。 「というわけだから。問答無用だよ」 「その軽口は聞くに堪えんからな。今すぐ永遠に黙らせてくれる」 リカルドが銃を構え、他の全員も武器を構える。 ハスタはそれを見て嬉しげに口角を吊り上げ、唇を舌先で舐めた。 「さあ。授血の時間だポン」 |