自由時間を終えた後、げっそりしたリカルドが地図を開いた。

「目的地は、北の国テノス。その間にレムレース湿原と、北の戦場を突っ切ることになる。かなり辛い道のりになるだろうが、全員死ぬんじゃないぞ」

全員死ぬんじゃないぞ、か。あはは。大げさな。
そう言って笑ったのは誰だっただろうか。…私だったかもしれない。
…本当。馬鹿だよね、そいつ。

「うう…もうあたし、お肉食べれない…」
「エラいスプラッタな感じやったなあ。ウチ気持ち悪なってもうた」

現在地はレムレース湿原。
分厚い雲が空を覆っているためか、日差しの類は一切ない。
そのお蔭で足元はぬかるんで、水の腐った嫌な臭いが充満していた。
…それだけなら、まあ。耐えられたかもしれない。

「っ…アニーミ、ラルモ!新手だ、構えろ!」

リカルドの声に、イリアとエルが武器を構える。
…二人は勿論、みんな凄く嫌そうな顔をしていた。当然だろう。
だってこの湿原、『死体が襲い掛かってくる』んだから。

「でも、気温が低いせいかな。思ったよりは臭わないよね」
「…臭ったら最悪だね。視覚と嗅覚の同時攻撃…」
「うわあ…ちょっとカグヤ。想像させないでよ、気持ち悪い」

顔の青いイリアが身震いする。
…確かに、気が滅入る状況だった。王都軍の軍服を纏った死体たちは、揃いも揃ってズタズタの体を引き摺りながら襲い掛かってくる。
痛覚が無いみたいで、いくら殴っても怯まないし…本当、嫌な敵だ。

「死者が人を襲うなんて。これも無恵の影響なのかしら…?」
「…とにかく、嫌な予感がする。早く抜けよう」

珍しくコンウェイが顔を顰めている。
ルカたちは何度も頷いて、歩く足を慎重に早めていった。

二時間も歩くと、やっと出口が見えてきた。
…けど、変だな。様子が可怪しい…というより、良からぬ空気を感じる。

「!…なんや、あれ?だんだんデカなってるで…!?」

地面に渦巻いていた、黒い影のようなモノ。
それは周囲の死体たちを次々と取り込んで、質量を増していっていた。
…おぞましい光景だった。いつも毅然なキュキュすら、怯えて退いている。

「!!」

何十人の遺体を取り込んだのだろう。
黒い影は突然瘴気を吹き上げて、巨大な魔物へと変貌した。

「うええ、キモッ…!」
「来るぞ!カグヤもイリアも、早く下がれ!」
「…」

スパーダに怒鳴られながら、そっと魔物から離れる。
…でも、なんだろう。なんだか違和感があって、目が離せない。

「アンジュ…あれ。本当に魔物なのかな…?」

隣に立つアンジュは返事をしなかった。
ただ黙って唇を噛み締め、涙ぐんだ目で魔物を見上げているだけだ。

「…カグヤ。お願い…少しだけ、隙を作ってもらえるかしら」
「え?隙って…」
「話がしてみたいの。『彼ら』と」

私の返事を待たず、アンジュは短剣を携えて駆け出した。
目標は考えるまでもない。あの真っ黒くて醜い、魔物のようなものだ。
隙を作れって。
なんて無茶振りするんだ、あの人は。

「っ…サンダーブレー、」

天術を発動させる、直前。
頭の中に声が響いた。唸るように低い、苦しそうな声だ。
『オリフィエル様』…聞き違えでなければ、確かにそう聞こえた。

「…やはりそうだったのですね。ラティオの同胞たちよ」

動きを止めた黒い塊を前に、アンジュが佇んでいる。
彼女は両手を胸元で組み、祈るように目を閉じて、言葉を継いだ。

…アレ、やっぱりただの魔物じゃなかったんだ。
転生の輪に入りきれなかった神の魂。それがこの地に蟠って、集結したもの。
還る場所に還れなかった、苦しみ続ける魂。

「よく戦ってくれました。あなた方の死は、安らかな光に満ちたもの。
 …さあ、魂はあるべき場所へ。温かく、美しい彼方へ」

アンジュの祈りの言葉に、影は融けるように姿を消した。
"オリフィエル様"に感謝の言葉を告げながら。…救われたのだろう。きっと。
……でも、おかしいな。

「今の魂…ここを天上だと思ってたよね?どういうこと?」
「…あれ?そういえばヘンだね…」

ルカが首を傾げる。
普通に考えれば、『天上から地上へ魂が落ちた』っていうのが自然だけど。
実際私も落っこちたわけだし。魂が落ちてきても不思議じゃない…でも、果たしてそれを魂自身が認知していないなんて、ありえるんだろうか?

「それはなぁ…ううん。えーと、何か思い出しそう…ぶつぶつぶつぶつ」

しきりに呟きながら、エルマーナが頭を抱えた。
…自分で言うのか、ぶつぶつ。
私とルカは苦笑してしまったが、スパーダとイリアは呆れ顔だ。

「…あ、やっぱムリやわ。思いだせへん」
「……」
「じゃあ、早くここを抜けようよ。また襲われてもイヤだし」

コンウェイがキュキュと共に出口へ歩き出す。
私たちもその後ろに続いたが…アンジュの様子が、なんだか変だった。
……どうしたんだろう。やっぱり前世絡みだろうか。

「アンジュ…どうしたんだろう」
「ルカも気になった?」

前を行くアンジュを、ルカが心配そうに眺めていた。
私が小さく声をかけると、目を伏せながら小さく頷かれる。

「前世絡みだとは思うけど…聞いても無駄だろうね。きっと」
「僕もそう思う。今は放っておくしかないのかな…」
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