ひとしきり涙…じゃない鼻水、を流したらすっきりした。 「ああ、そうだ先生。この話…できれば皆には黙ってて欲しいな」 汚れた顔をいそいそと拭う。 リカルドのコートで鼻をかもうとしたら全力で怒られたので、自前のハンカチで。 「言われずとも、喋るつもりは無い。安心しろ」 「そう?…ならいいんだけど」 先刻言ったとおり、隠してたわけではない。 だけどベラベラ喋ることでもないし…知られたくないのも事実だ。 出来れば、ルカたちには知られないままに全てを終わらせたい。 「……うう。目が痛い…絶対腫れてるよね、これ…」 「ああ、見事に真っ赤だ。前髪が無いから余計に目立つな」 「!!」 目元に宛てていた手を、即座に額に宛てる。 …わ、忘れてた。そうだ。マティウスに前髪ぶった切られたんだった。 「氷嚢と手鏡を持ってきてやる。待っていろ」 リカルドが退室し、すぐに戻ってくる。 その手から手鏡をひったくり、覗き込んで……絶望した。 「あ、アンジュより短いッ…だと…」 「見事なパッツンだな」 「冷静に言うな!…リカルド、ルカたちはあとどれくらいで起きる?」 ルカたちの眠りは相当深かったから、十中八九薬によるものだろう。 リカルドは少し考えた後、「あと一時間ほどだ」と答えた。 一時間か。なら腫れた目元はなんとかできる…けど、前髪は無理だ! 「ま、マティウスめえええ…!覚えてろよぉおお…!!」 氷嚢を目元にあて、項垂れる。 泣きそうだけど我慢だ。氷嚢の意味がなくなってしまう。 ……ううう。でも腹立つ!マティウスめ…次会ったら、絶対殴る! それから、ピッタリ一時間後。 リカルドと喋りながら過ごしていた船室に、コンウェイがやってきた。 彼は私(の髪型)を見て一瞬目を見開いたものの、「ルカくんが起きそうだよ」とだけ告げて甲板へ戻っていってしまった。…ずっと起きてた説、有力だ。 「行くか。上手く説明する自信は無いが」 リカルドが立ち上がる。 私も目元の腫れが引いたのを確認してから、立ち上がった。 「大丈夫だよ、みんな分かってくれる。…多分だけど」 リカルドの背中に続いて甲板に向かう。 立っているのはコンウェイだけだったが、ルカがちょうど起きたようだ。 そして彼の声に応えるように、他の仲間たちも体を起こしていく。 「ウプ、ここ船じゃ……って、うぎゃあああ!?」 「だ、誰だ、お前!?」 「カグヤっ…あなた、どうしたの!その髪!?」 …予想以上の反応だった。 仲間たち、なんとリカルドよりも先に、私の前髪に食いついてきた。 私は両手で額を隠しながら、そそくさとリカルドの背中に身を隠していく。 「…い、…いめちぇん」 「マジかよ!?」 「カグヤ かわいい!似合てる!パッツン!」 キュキュに抱きつかれ、可愛い可愛いと褒められる。 褒めてもらえるのは嬉しいんだけど…正直複雑な気分だった。 …マティウスにやられたってのは、言わないほうが良さそうだな。 「わ、私はいいからさ。リカルドの話を聞こうよ」 「!そうだ、リカルド…」 「…どういうことか、やっと説明していただけそうですね」 思い出したように真面目な顔に戻る一同。 切り替えの早さが半端ない。いっそ尊敬してしまいそうだ。 「みんな、済まない。お前達を利用させてもらった」 リカルドが頭を下げる。 私はそっと彼から離れ、背後に控えるような位置に立つ。 そして淡々と事情を説明するリカルドの背中を、黙って見守った。 リカルドの話は以下の通りだ。 前世で兄だった男に会ったこと。彼の真意を突き止め、地上を愛した優しい兄なのか知りたかったこと。彼に命じられ、私達を売ったこと。 …そして、かつての兄は地上を偏愛し、転生者を憎んでいるとも。 「優しかった兄はもういない。…本当にすまなかった。 できるなら、俺にお前達の夢を守らせてほしい。お前達の夢と未来は尊く、転生者だからといって虐げられて良いものではない。…どうか、頼む」 「……そこまで言われちゃ、許すしかないわね」 「そうだな…」 真摯に頭を下げるリカルドに、イリアとスパーダが顔を見合わせる。 一番憤っていたのはこの二人だ。彼らが許したのなら、他の面々に異論があるはずもない。契約続行だと微笑むアンジュに、ルカが微笑んだ。 「しかしガードル…か。随分強引なんだね」 「手術の話?確かにそうね。向こうも焦っているのかも」 「枢密院が創世力奪取に向けて動きだしたそうだ。教団のこともあるし、手段を選ぶ余裕がなかったのだろう」 枢密院。最近よく聞く名だけど、何者なんだろう。 そう思って嘆息した時、爆音とともに乗っていた船が大きく揺れた。 「な、何っ?砲撃…!?」 「ホーゲキ 違う!後ろ!」 キュキュが叫び、船の後方を指差す。そこには海面すれすれを飛行し、こちらへ向かってくるガードルの姿があった。手には、身の丈ほどの大鎌を携えている。 「貴様ら、逃がさん!!」 高々と飛翔したガードルが鎌を振るい、船に衝撃波を放つ。 軍事基地以来の、久しぶりに見た顔だ。 相変わらず、こちらを見る目は憎悪に染まって爛々と輝いている。 「転生者どもめ、貴様らに創世力は渡さぬ。あれは天上を滅ぼした力、地上で使えば地上をも滅ぼすであろう。…ならば、この俺が封じるのみだ」 「違うよ、ガードル。僕たちだって地上を守りたいんだ!教団や枢密院に創世力を渡しちゃいけないと思ってる。ねえ、協力はできないかな?」 甲板に降り立ったガードルが、ルカを嘲って鼻を鳴らす。 協力する気があるのなら、今すぐ脳を引きずり出させろと。彼は転生者そのものを嫌悪していて、聴く耳すら持っていない様子だった。 …むべなるかな、と思う。だって…目の前の彼は、"ガードル"じゃないから。 「転生者を憎むのなら、まず己を殺してはどうだ?お前も同じ転生者だろう!」 「……この俺が転生者だと?ふざけるな!」 ガードルが…いや、タナトスが鎌を振るう。 一直線にリカルドへ飛んできた黒い斬撃。私はリカルドのコートを引き、無理やりにそれを回避させた。タナトスの赤い瞳が、私を睨む。 「リカルド、彼は転生者じゃない。『神』だよ」 「!な…」 「その通り!流石はクシナダ、褒めてやろう」 威嚇をやめ、鎌を構えるタナトス。 臨戦体制となった彼に、皆が返されたばかりの武器を構えた。 …やっぱり、彼は私と同じだったのか。どうりで懐かしいと思った。 でも。 「遠慮はいらんぞ。転生者ども…地上に仇なす害物め!」 でも、好きにはさせない。絶対に。…たとえ誰が、相手でも。 |