手首が縛られててノブが捻れなかったので、蹴り開けてみた。 「………」 仮面をはめたマティウスが、何かを言いたげに私を見つめている。 …なんか、とてつもなく申し訳ない気分になってきた。 「ご、…ごめんなさい…」 「…まあいい。そういえば、拘束を解かせるのを忘れていたな」 船室の中には何もなかった。 机も、椅子も。何ひとつ無い。あるのはマティウスの姿だけだ。 今の彼女に敵意は見られないが…だからといって近づきすぎるのも嫌なので、その場に立ち止まる。一応、扉は肘を使って閉めておいた。 「呼び出した用件は判るか?クシナダ…今は、カグヤだったか」 「…」 何も応えなかった。…否。応えられなかった。 「正直…混乱してる。そんなことありえるのか、って。思ってる」 「…ほう?」 茶化すような声音のマティウスを無視し、視線を逸らす。 私は、イリアに会った時すぐにイナンナだと分かった。 だけど、ルカを見た時は…アスラだという『確信』を得た。 言葉を交わす前に。名乗られる前に。…姿を見た瞬間に、分かった。 …今この瞬間と、同じように。 「ずっと疑問だったんだ。チトセが…サクヤが、妄信的に君を慕う理由。いくら現世の権力者に命じられても、彼女がアスラに逆らうわけない、って。…だけどさ。君の姿を見た瞬間、全ての謎が解けた。…そういうことだったんだね」 マティウスは何を言わなかった。 ただ喉を鳴らして笑った後、手にした杖の先端を、床につけただけだ。 「流石だな、クシナダ。我が友よ」 「…私は、」 「『君と友達になった覚えは無い』…などと、言うてくれるなよ」 先手を打たれ、口を噤む。 …先ほどのは、チトセに言い放った台詞だ。マティウスが知っていても何の不思議もない。現にマティウスは、「チトセは泣いていたぞ」と笑っている。 「嘘を言うな。お前は私の友人だ。 ……そうだろう、『クシナダ』?天上の生き残り…最後の女神よ」 「ッ!!」 驚き、本能的に身を引いた。 名前を呼ばれたからではない。正体を見破られたからではない。 「…前髪引っ張らないで。痛い」 「そう言うな、クシナダ。こうしてお前の顔を見るのは初めてなのだ」 もう暫く眺めさせてくれ、とマティウスは言う。 …眺めるのは一向に構わないが、前髪をわし掴むな。痛いから。 「美しい顔だ。籠鳥として腐らせるにはあまりに惜しい」 「…それはどーも」 鼻に触れるほど近かった、マティウスの仮面が遠ざかっていく。 彼女は私の前髪を掴んだまま部屋の隅へと移動し、再び杖を掴………って、アレ?『前髪を掴んだまま』?って、おかしくないか?だって私まだ… 「ま、ま…まさかっ…!!」 「ああ、すまないな。離すのを忘れていた」 目を剥く私を他所に、私の前髪"だったモノ"を床に撒くマティウス。 「…………」 き、きっ…切られたあああああああああああ!! 前髪切られたあああああああ!!パッツンにされたああああああああ!! 「は、はは…あ、ありがとぉマティウス!切り時逃しちゃってさあ、惰性で伸ばしてたのよねえ…わざわざ切ってもらえるなんて僥倖だわ!アハハ…」 心の中で絶叫し、咽びながらも。 懸命に薄っぺらいプライドを守る私は、自分でも哀れだと思った。 …いや、だってさ…前髪とはいえ、いきなり髪の毛ぶった切るってお前…! 「ははは、そうか。喜んでもらえたのなら何よりだ」 「ええ、嬉しいわ!ものすごくッ!」 「…」 マティウスは何かを言いたげにしたまま、杖をこちらへ向けてきた。 …途端に、私の手首を戒めていた縄が切れて落ちる。 まさか彼女自ら拘束を解いてくるとは思わなかったから、少し驚いた。 「もう行け。話は済んだ」 「…」 「"ルカ"の元に戻るのだろう。好きにしろ」 マティウスは今、私に背を向けている。 無防備だ。きっと攻撃すれば、少なからず彼女を害すことができるだろう。 ……だけど、私はそれをしなかった。 静かに踵を返して、自由になった右手でドアノブを握る。 捻って押せば、戦艦の簡易な扉はすぐに開いた。なんの障害もなく、簡単に。 「私は、私の足で真実を探す。私の目で、真実を確かめる」 「…」 「貴女がその邪魔をするのなら…次は容赦しない。覚悟しておいて」 返事を待たないまま、扉を閉めた。 そしてそのまま足早に廊下を行き、先ほどの船室から遠ざかっていく。 ルカたちを捜さないと。きっとリカルドも一緒にいるはずだ。 私の旅は終わっていない。 天上崩壊の理由と、真相。それを見つけるまで、絶対に終わらない。 …だから、終わらせないと。 地上に来て数千年…ずっとずっと、焦がれてきたんだから。 (ていうか本当に前髪パッツンなんだけど…眉上なんだけど…泣きたい…) |