チトセが去った後の帰路は、地獄だった。 何せイリアが一言も喋らない。 ルカはルカで彼女を気遣って喋らないものだから、空気が途方もなく重い。 「あの女、見た目は可愛いのによぉ。余計なことしやがって…」 ルカとイリアを気遣ってか、スパーダが随分と大きな苦言を呈す。 近くにいたのは私とリカルド、そしてアンジュだった。 「どういうつもりなのかな。彼女」 「…」 「あれは俺たちを仲間割れさせるためのデマカセだろう」 リカルドの言葉に、スパーダが同意する。 私にも同意を求めてきたが、不快にさせない程度に誤魔化しておいた。 「確かに信用できないよね。うん。マユゲ無いし」 「マユゲより前に、前髪パッツンのほうがおかしいでしょう」 …適当に誤魔化しただけなのに、アンジュがノッてきた。 なんでだ。どういう展開だ。チトセの前髪に何の関係があるんだ。 「あの子、10代後半でしょ?ハタチ目前で前髪パッツンって微妙じゃない?」 「さ、さあ…?」 「ていうか、どちらかと言えばハズレよね。うん」 何を言ってるんだ、この人は。 やけに熱っぽく語るアンジュに、スパーダと揃って圧倒される。 …そんなこと言ったって、アンジュだって結構パッツンじゃないか。 「…もしかして。セレーナ、お前彼女の黒髪が羨ましいのか?」 「!!」 リカルドの指摘に、アンジュがギクリと肩を震わせた。 図星らしい。 さっきとは打って変わってばつの悪そうな顔をしたアンジュは、自分のクセ毛を嘆き、態度を反省してきた。…アンジュにしては珍しい言動だ。 …ていうか、心配しなくてもクセ毛似合ってるし、すごく可愛いのになあ。 「なんだよ、妬みかよ。アンジュも結構大人げねえな」 「っ…フンだ。いいのよ、前髪パッツンは失われた少女らしさを取り戻す髪形なんだから。大人げなくったって、いいんですよーだ!」 一気にまくし立てたアンジュは、ぷりぷりと怒りながら走り去ってしまった。 残された私たちが反応に困っている中、リカルドが溜息をつく。 「無理して子どものように振舞わんでもいいだろうに…」 「え。でもよぉ、アンジュのああいう態度って男から見たら可愛くねえ?」 「…スパーダお坊ちゃま、分かってないなあ」 きょとんとするスパーダに、したり顔で口を挟む。 「計算だよ、計算。凄いよねー、アンジュ」 「ハァ?マジかよっ!?」 「お蔭で空気が軽くなっただろう。セレーナに感謝するんだな」 私たちが笑い飛ばすと、スパーダは慄き俯いてしまった。 曰く、女って怖い、だそうだ。 若干人聞きが悪いけど…まあ、否定はしないでおこう。面白いから。 「カグヤはやらないのか?前髪パッツン、とやらを」 「えぇ?なんで私が?」 「パッツンじゃなくてもさ、少し切ったらどうだ?前髪長すぎだろ」 「…」 自らの額に手刀をあてるスパーダ。 リカルドめ、余計な話題を振りやがって。…睨みつけたが、効果は無い。 「つーかオレ、カグヤの顔ってまともに見たことな…」 「!ちょっ、馬鹿!」 「……!?」 思いついたように向き直ってきたスパーダが、私の前髪を捲りあげる。 …そして正面から私の顔を凝視し、硬直した。失礼な。 「…離して。早く」 「えっ…あ、ああ。離す、離す…」 呆然とするスパーダを突き飛ばし、前髪を元通りに戻す。 にやにやと笑うリカルドが勘に障ったが、相手をする気力はなかった。 …あーあ。もう。思わぬ流れ弾を食らった気分だ。 「あ、あのぅ…カグヤ、さん」 「…なんで"さん"付け?」 「前髪切れ。今すぐ切れ。切ってください」 「やだ」 やたらと腰の引けたスパーダの提案をぶった切る。 と、彼は瞬時に不良のスパーダに戻った。私に詰め寄り、ルカあたりなら泣き出しそうな剣幕でまくし立ててくる。鬱陶しいことこの上ない。 「なんでだよ!お前超カワイイじゃん!勿体ねえって!」 「あーもー、うるっさい!どうでもいいでしょ!?」 「髪型と性格直せば完璧だって!」 「直せるか!!」 性格まで言うのか、この野郎。 腹が立ったので一発くらい殴ってやろうかと思ったが、前を歩いていたルカが小さく噴き出して笑ってくれたので、なんとか思いとどまった。 …少しは元気出してくれたんだろうか。だったら嬉しいんだけど。 「っはあー!やっぱり外はサイコーやなあ!」 王墓を抜けるなり、晴れやかな顔をしたエルが背伸びをする。 抜け出たのは私が最後だった。すぐ近くの街まで戻り、次の目的地を尋ねる。 「南のガルポスは遠く、テノスへの入港は難しいそうだ」 「となると。行き先はガラム、ですね」 リカルドが肯く。 …そしてそれを待ちかねたように、港から汽笛が聞こえてきた。 出港準備が整った合図らしい。…と、なると。 「んだよ、マジで時間ねえじゃん!早く行こうぜ!」 異論のあろうはずもない。 私たちはいつになく歩みの遅いイリアを連れて、港へ全力疾走した。 …滑り込みセーフ、ってところかな。本当に危なかった。 もしアシハラに足止めなんてことになったら、堪ったもんじゃないから。 |