尋常とは思えない物音で、目を覚ました。
春休みに出された課題をやっていたのだが、いつの間にか机に突っ伏して眠っていたらしい。
眠気でぼやけた目をごしごしと擦って、部屋の出口へ向かう。
廊下が、とんでもなくうるさい。
「もう、何してるんですかー?」
「彼方」
部屋の扉を開けて、驚いた。
女子のフロアに真田先輩がいることはともかく、寮内に荒垣先輩がいることに。
荒垣先輩はわたしの向かい…時任先輩の部屋の、閉め切られた扉を開けようとしているようだ。
乱暴に扉を叩き、ノブを捻る。
その横暴な態度に耐えかねたのか、真田先輩の左ストレートが炸裂していた。
「……あの、ふざけないで訊きますね。何してるんですか」
「見ての通りだ。私も、詳しいことは分からない」
真田先輩と荒垣先輩の言い争いを間近で見ている美鶴先輩は困惑していた。
わたしは自分の部屋の扉を閉めて、廊下に出る。
どう考えても、この状況はただごとじゃない。帰れといわれないなら、ここにいたほうがいいのだろう。
「あの女がここにいるか、いないか。それだけ確認できりゃあいい」
「…彼方。お前は部屋にいたんだろ?先輩は外出していたか?」
「えぇっ?す、すみません。わたし、寝てたので…」
真田先輩に舌打ちされた。泣きそうだ。
何はともあれ、荒垣先輩は時任先輩の所在が知れればいいらしい。
ああも乱暴にしては出るものも出れないということで、真田先輩がつとめて丁寧に扉を叩く。
『私のことは、放っておいて』。
掻き消えるほどに小さな声が、扉越しに聞こえた。
「いる、みたいだけど」
「…ドアを開けさせろ。姿を見るまでは信用できねえ」
荒垣先輩が再びドアノブに手をかける。
と、まるで指先がノブに触れる瞬間が分かったかのように、内部から怒気をはらんだ怒鳴り声が聞こえてきた。
「放っておいてって、言ってるでしょ!!」
真田先輩と美鶴先輩が、顔を見合わせる。
これはおかしい、と。普段の時任先輩は穏やかで、優しくて…とてもこんな荒々しい声で、他人を怒鳴りつけたりしない。
「…開けましょう、先輩。わたし、下から鍵持って…」
美鶴先輩の袖を引いてそう言った瞬間、キィ、と扉の開く音がした。
いつの間にか、鍵が開いていたらしい。
開け放たれた室内の窓から、風が吹き込んでくる。
部屋の電気はついていない。窓から射す街灯の光だけが、室内を照らしている。
「…私、おかしいの。だから、近寄らないで」
唸るような声とともに、彼女が立ち上がる。
…その顔を覆うシャドウの仮面に、その場にいた全員が息を飲んだ。
ふわふわと質量のない足取りで、時任先輩が窓枠へ足をかける。
『さよなら』。その言葉を合図にしたかのように、廊下の電気が消え、街灯が消え、肩にかかる空気が変貌した。影時間が訪れたらしい。
…時任先輩は、窓の外へと消えてしまっていた。
「ッ…追うぞ、明彦!彼方!おそらくはタルタロスだ!」
「ああ!」
真っ先に駆け出した美鶴先輩。
真田先輩は走り去る前に振り返り、荒垣先輩を呼んだが、即座に拒絶されていた。
明彦、と階下から美鶴先輩の声が響く。真田先輩は一度壁を殴ってから、八つ当たりじみた声音でわたしを呼んで、階段を駆け下りていった。
「本当に行かないんですか。荒垣先輩」
「行かねえ」
「…ふうん。まあ、いいですけどね」
足早に自室へ戻り、壁に立てかけてあった鞘込めの日本刀を担ぐ。
そして召喚器の収められたガンホルダーを腰に提げて、退室。階段を転がり落ちるように降りて、玄関の扉を潜る。
20体近くのシャドウが蠢いていた。
美鶴先輩の乗ったバイクが遠目に見えるが、真田先輩はシャドウの相手に手一杯らしい。
息を飲んで、刀の柄に指をかける。
そして外階段の石を蹴って、出来うる限り速く、遠くへと跳躍した。
「どいてください、先輩!」
抜き放ち際に、真田先輩の背後を狙っていたシャドウを両断する。
遅いとなじられたが、武器を取りに行っていたのだから仕方がない。
「ここのはわたしが片付けます。
真田先輩は、美鶴先輩と一緒に先行っててください」
「…任せて平気か?」
「あはは。誰に言ってるんですか」
大体、あのバイクに三人はどう頑張っても乗れない。
だったら年上ふたりに華を持たせてやるのが、年下の義務というものである。
…それに、何より。
「久々の戦闘で、テンション上がっちゃって!もぉ、八つ裂きですっ!」
「………あ、そう。わかった。頼んだぞ」
「テンション低っ!!」
真田先輩を乗せ、急速に回転を始めたタイヤが凄まじい音をたてる。
寮の前には、白煙とわたしと、十数体のシャドウだけが残された。
仕方ないなー、もう。