荒垣先輩は、夜になると辰巳ポートアイランド駅付近の裏路地に滞在する。

昼間もきっと近くにはいるのだろうが、見かけたことは殆どない。
闇雲に探し回るよりも、夜になってから裏路地に行ったほうが手っ取り早い…そう思って、行動に移してはみたものの。

「バカか、おめぇは!」

すっかり人のいなくなった溜まり場で、頭上からの威圧感に耐えつつ正座をする。
顔を伏せたまま、そっと荒垣先輩の表情を窺った。
ニット帽の下から、小鳥くらいなら殺せそうな眼光が向けられている。
…沈黙して、再び煤けたコンクリートへ目線を移す。

「ここが掃き溜めみてぇな場所だって、知ってんだろ…
 来るなら、せめてアキと来い。おめぇは女で、その上中学生だろうが」

「面目ないです」

くどくどと説教を続ける荒垣先輩。反論などできるわけがない。耳が痛い。

「いいか?ここの奴らは、弱そうなやつを甚振るんだ」
「うん」
「で、お前はガキで女だ。見るからに弱そうだろ」
「うん」
「………あいつらが可哀想だから、一人で来んなっつってんだ」

荒垣先輩は遠い目をして、わたしに絡んできたチンピラが逃げ帰っていった方角を見つめる。
うん、本当に、面目ない。

荒垣先輩に会おうと、この場に来たわたしは当然のように絡まれた。
いつもこの場所に溜まっている、煙草臭い人たちにだ。
最初は受け流そうと思っていたものの、ああいった人たちの態度はいただけない。
罵詈雑言だけなら受け流せるが、肩を掴まれた瞬間に"受け流す"のは不可能になった。

「アキも大概だが、おめぇも相当だな。
 化物相手に好き勝手やってるやつが、一般人相手にマジになんな」

「瞬殺でした」

「見てたわ」

荒垣先輩は未だ説教し足りない様子だったが、諦めたらしい。
浅い溜息をひとつついて、近くにあった手ごろなフェンスへと寄りかかる。

「で?何の用だ」
「真田先輩と、おんなじ用事です」

立ち上がって、服の埃を払う。
荒垣先輩と正面から向かい合えば、露骨に顔をしかめられた。

「お願いしますよー、荒垣先輩。
 美鶴先輩、メンバー増えないとタルタロス探索ダメだって言うんですよ」

「ふざけんな、このバトルバカ。勧誘の仕方がアキ以下だぞ」

顔の前で両の手のひらを合わせ、へこへこと頭を下げてみせる。
けれど荒垣先輩は微塵も温情を見せることなく、「戻るつもりはない」の一点張りだった。

「……かわいい後輩が、こんなに頼んでるのに」
「おめぇは後輩じゃねえだろ。タルタロスに関しては先輩だ」
「じゃあ!先輩の言うことは聞くべきでしょ!?」
「ガキが調子乗んな」

どうしろと。
その後も続く、何を言っても言いくるめられる問答に疲れてしまった。
…涼しい顔の先輩が、憎らしい。

「ったく…しょうもねえな。おい、俺ぁメシ行くが、どうする?」
「…ラーメンなら、行きます」

フェンスから体を離した荒垣先輩が柔らかく微笑む。
どうも、今日の説得は無理そうだ。不満ではあるが、こればっかりは仕方が無い。
わたしは寮で準備していた全ての誘い文句を腹の中へと飲み込んで、いつもよりは遅い足取りで前を行く荒垣先輩の背中を追った。

溜まり場から、ラーメン店『はがくれ』までは片道20分ほどかかる。

意図的にタルタロスや影時間の話題を避けながら、はがくれの暖簾をくぐる。
いらっしゃいませー、と人の良い笑顔で対応してきたのは、痩せた若い店員だった。

「わたし、特製で」
「わかった。…特製ふたつ、頼む」

カウンター席に並んで座り、先ほどの店員が運んできたお冷で口を湿らせる。
久々に訪れたはがくれは夕食時を僅かに外したようで、珍しく空席が目立っていた。

「そういやぁ、この前はアキが珍しく女の話をしてきたな」
「え?」

唐突に振られた話題に首を捻る。
女の話?あの真田先輩が?マジで?

「今、寮にいるんだろ?ボクシング部の元マネージャーが」

「時任先輩のこと?…え、やっぱりあの二人ってそういう関係なんですか?」

思わず身を乗り出して荒垣先輩に詰め寄る。
気圧された先輩が退いたその瞬間、背後から「お待たせしましたー!」と快活な声が聞こえてきた。
わたしと荒垣先輩の前に置かれるラーメンのどんぶり。
漂う濃厚な香りに、今まで感じなかった空腹感が刺激されていく。

「とりあえず、食うか」
「はい」

即座に頷き、割り箸をどんぶりの淵に置く。
いただきます、と小さく呟いてから、どんぶりの中へと箸を入れた。
太めの麺に絡んだ、とろみのある魚介のスープがたまらなく美味しい。

「それで、アキの話だったか」
再び話が始まったのは、荒垣先輩のどんぶりが半分ほどに減った頃だった。

「結論から言えば、おめぇの期待するようなモンはねぇ。
 ただ、あいつの頭の硬さが浮き彫りになっただけだ」

「やだなぁ、そんなもの。浮き彫りどころか、空高く飛んでますよ」

言いかたは悪いが、あの人はバカがつくほどの真面目さんだ。
きっと将来彼女ができてもトレーニングとか勉強とかを優先して、同年代のお付き合いらしいことはしないに違いない。
…実際時任先輩とのことも、口先で茶化しているだけであって、本気でどうこうなるとは考えていないわけだし。

「………大丈夫なんですかね。あの人」
「さぁな…」

幼馴染の今後を憂いて溜息をつく荒垣先輩。
その横顔は、まぎれもなく『保護者』のそれであった。

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