「あーばーれーたーいーですー」

時任先輩の件から、一週間近くが経過した。
最後にタルタロスを探索してからはどれほど経っているのだろう。
毎夜訪れる影時間は、毎日毎日見回りばかり―…当然イレギュラーのシャドウなどそうそういない。
退屈すぎて、ペルソナも召喚器も埃をかぶってしまいそうだ。

「なんなんですかー、もう!不毛ですよ、こんなの!
 タルタロス特攻してレベル上げしてたほうがまだ有意義ですよっ!」

「騒ぐな。シャドウが出たらどうする」

「出てほしいんですー!」

影時間のムーンライトブリッジを、美鶴先輩と真田先輩とわたしの三人で並んで歩く。
ここ一週間ほど、欠かさず行っている巌徒台の見回り。
…とは名ばかりで、実際はただの夜のお散歩状態である。

暇に耐えかねて絶叫するわたしを美鶴先輩は諌めたが、真田先輩はなにも言わなかった。思いつめているとかそういうのではなくて、単にわたしと同感なだけらしい。
腰に吊るした召喚器をちらちらと気にしつつ、浅い溜息をついている。

「現時点でのタルタロス探索は許可できない。
 なにせ、お前たち二人は猪突猛進すぎるんだ。この前も―…」

「わかってるさ、美鶴。俺たちを御するヤツが必要なんだろう?」

わたしたちの脳裏に、一人の男性の姿が浮かぶ。
荒垣真次郎先輩。
一年と少し前に、とある事件をきっかけにしてわたしたちの前から去っていったペルソナ使いだ。真田先輩とは幼馴染とかで、荒垣先輩が寮を去ってからも仲良くやっているらしい。真田先輩いわく。

「近いうちに、また会いに行ってみる」

「…すまないな。荒垣のことは明彦に任せっぱなしだ。一度、私も同行しようか」

真田先輩の横顔が引き攣る。

「いや、いい。お前が行ったら、あいつは話す前に逃げそうだ」

冗談めかして言われた言葉に、今度は美鶴先輩の横顔が引き攣った。
私はそんなに怖いのだろうか。
そんなことを悄然と呟くが、正直に答えるのならば、イエスだ。

口調とか、整いすぎた容姿とか、色々あるんだろうけど。
何よりも断りづらすぎる空気というか…一度話したら、もう離してもらえないような雰囲気が美鶴先輩にはある。
そういったものを感じているから、荒垣先輩は逃げるのだろう。

「あ、じゃあわたしが行きます?説得」
「…その発想はなかったな。いいかもしれない。一度やってみるか」

なにやら顔色の悪い真田先輩が頷く。

いつの間にやら、わたしたちは巌徒台分寮の前へと帰ってきていた。
影時間は既に明けているから、寮の入り口は街灯の光で照らされている。
そして、寮の前には一台の乗用車が止まっている。理事長の車だった。

「あっ、久しぶり!桐条さんに彼方ちゃん、真田くんっ!」

理事長に続いて下車してきたのは、時任先輩。
満面の笑顔でこちらへ駆け寄ろうとした彼女だが、手に持ったスポーツバッグが思いのほか重かったらしい。
振り回された時任先輩は悲鳴をあげ、体制を崩してしまった。

倒れた時任先輩を、素早く滑り込んだ真田先輩が抱きとめる。
見事な手際に、「おおー」と純粋な感嘆の声が漏れた。…ん、だけど。

「うっわー」
「……」

時任先輩を背面から抱えている真田先輩。
その黒い革手袋に包まれた左手は、時任先輩の胸をがっちりと掴んでいた。
先輩危ないじゃないですか、と真田先輩は言うが、わたしたちから見れば真田先輩の体制のほうが危ない。痴漢以外の何物でもない。

「でも…いーなぁ、時任先輩。
 この前お風呂入ったときも思ったけど、見た目よりずっと大きいし」

「………」

「……えっと…美鶴、先輩?」

沈黙したまま動かない先輩を見上げ、ぎょっとした。
般若だ。
般若が、ここにいる。

「明彦」
低い声で唸りながら、美鶴先輩は鉄拳を繰り出す。
真田先輩、後頭部に大打撃。クリティカルだ。もう一撃で気絶は確実だろう。
しかし殴られても尚、状況が飲めていないらしい真田先輩は、時任先輩の胸をわし掴んだままで目を白黒させている。

サーベルを抜く美鶴先輩。顔を真っ赤にした時任先輩が何やら訴え、真田先輩が彼女から離れる。
その様子を離れた位置から眺めつつ、わたしは寮の扉へと手をかけた。

「あ、おかえりなさい」

ラウンジにはゆかり先輩がいた。
てっきりもう眠っていると思っていたので、少しだけびっくりする。

「いや、その…影時間に一人で寝るってのも、ちょっと怖くて…」
「そうなんですか。…うん、仕方ないですよ」

背後の会話を無視して内部へ入り、ゆかり先輩の正面に座る。

仕方ない、と言ったものの、正直彼女の心境はよくわからない。
わたしにとっては単純に睡眠時間が一時間ほど増えるだけなので、むしろ影時間の寝心地は良いくらいだ。
…と、まえに美鶴先輩に話したら、これ以上ないくらいの深い溜息をつかれたが。

腰を落ち着けて一分もしないうちに、外にいた四人がラウンジへと入ってきた。

「それで、理事長?
 こんな時間にレディを連れてくるのは、些か非常識だと思うのですが」

全員がソファに腰を据えた後、美鶴先輩が棘しかない口調で尋ねる。
真田先輩の行いに未だご立腹のようだ。八つ当たり対象にされた理事長は苦笑して、「検査結果の報告だよ。時任さんが、できるだけ早くというから」と受け流す。

その後の話し合いは、比較的スムーズに進んだ。

時任先輩の検査結果は、『わからないことがわかった』とでも言えばいいんだろうか。
ともかく彼女が戦うのは無理だということで、安全確保のために"寮母のアルバイト"としてこの巌徒台分寮に滞在してもらうことに決定した。

「……大丈夫かなー。なんか嫌な予感がするんだけどなー…」
「えっ?」

ラウンジに残されたわたしの独白を、ゆかり先輩が拾ったらしい。
まっすぐに向けられた目に慌てる。
深い意味はなかったんだ。ただ、嫌な予感がすると。漠然とそう思っただけで、確信じみたものは何もない。

「や、やめてよ。彼方ちゃんの勘とかって、すっごい当たりそうなんだもん」

「そうですか?」

ゆかり先輩が不安そうな顔で頷き、「私、もう寝るね」と踵を返す。
ラウンジには、わたし一人が残された。

…まぁ、いいや。お風呂入って、さっさと寝よ。

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