目の前に座る見知らぬ女性を、離れた位置から凝視する。
半ば閉じられた瞳は焦点があっておらず、ぼんやりと床を見つめていた。
意識は、明らかにない。

「…これ、手遅れ…じゃないですか?」
「っ冗談じゃない!」

彼女を影時間の街から救ってきた真田先輩も美鶴先輩も、報告を受けて駆けつけてきた理事長も一言も喋らない。
意を決して…というと大げさだけど、それなりの覚悟を持って発した言葉に、真田先輩が噛み付くような勢いで反応した。

「俺たちはシャドウを倒した!間に合ったはずだ!」
「…明彦」
「俺は、認めない」

唇を噛みながら、呼吸以外の動きを見せない女性を見つめる真田先輩。
どうやら彼女は真田先輩の知人らしい。
"トキトウ"先輩。そんなふうに呼んでいるのを、何度か聞いた。

「と、とにかく。影時間が明けたら病院に連絡してちゃんと診てもらいましょうよ」
「うん、それがいいよ。手配は僕がしておくから」

真田先輩のやりきれない思いが矛になって、その先が美鶴先輩に向きかけていたものだから、理事長と二人で慌ててフォローに入る。

余計なこと言っちゃったな、と後悔していた時だった。
今まで沈黙していたテレビが「この時間のニュースを伝えます」と喋り始め、寮内の照明が一斉に復活する。
影時間が明けた。
しかしこの明らかに変質した空気の中でも、"トキトウ"さんは身じろぎひとつしない。
「じゃあ、君たちはもう休んで…」

「…ぃ」

……え?
理事長の声を遮った、小さな声に全員が動きを止める。
振り返れば、今まで一言も喋らず、身じろぎもしなかった"トキトウ"さんが、真っ青な顔でがたがたと震えているのが見えた。
「先輩、気がついたんですか…!」
嬉しそうな真田先輩が、彼女に近寄る。
しかし彼がトキトウさんに到達するよりも早く、彼女は閉じられていた唇を開いて、とんでもない声量で絶叫した。

「嫌ァアアアアアアアアアアッ!!」

「ひっ…!?」
びりびりと鼓膜を震わすような声量に、驚いて退いてしまう。
ぶつかった美鶴さんが抱きとめてくれたのが、ちょっとだけ嬉しかった。

『消さないで』。
しきりにそう連呼するトキトウさんは明らかに錯乱していて、駆け寄った真田先輩を突き飛ばしてしまう有様だった。
わたしたちが呆然と立ち尽くすなか、動いたのは美鶴先輩。
上半身を揺らしながら叫び続けるトキトウさんの肩を掴んで、片手で頬を思いっきり張る。

はじけるような乾いた音が響き、そして、長かった絶叫が止まった。

「……桐、条…さん?」

涙で汚れた顔で、トキトウさんが呟く。
美鶴先輩が頷いて彼女の肩を押し、ソファへと座らせた。

私がわかるのですね。うん。あなたの名前と年齢を教えてください。時任亜夜、18歳です―…
そんな問答を視界の端で見守りながら、わたしは尻餅をついたまま口を開けている真田先輩の腕を掴み、上へと引っ張り上げる。

「いつまで座ってんすかー、もー」
「あ、ああ…悪い、彼方。つい立つのを忘れていた…」

いまだ状況が飲めていないような顔で呟く真田先輩。
無理もないと思う。見たところ時任先輩(…でいいのかな?)は平均よりも身長が高そうだけど、当然のように真田先輩よりは背が低いし細身だ。
そんな彼女に突き飛ばされ、吹っ飛んだのだから、呆然とするのも当然だろう。

「…えっと。桐条さん?その子は…」

「はい。彼女は近衛彼方といって、中等部の二年生です。
 この寮は、少々特殊でして。私や明彦と同様、寮生として滞在しています」

理事長と真田先輩の顔は当然のように知っていたらしい時任先輩が、不思議そうな顔でわたしを見つめている。
丸くて綺麗な、純粋な疑問の視線。とっても居心地が悪い。

「こ…こんばんは」
「え?あ、うん。こんばんは」

口をついて出た挨拶に、時任先輩はきょとんとする。

「桐条さん。寮が特殊って、どういうこと?」

もっともな疑問だった。
美鶴先輩は無言でわたしたちに視線を巡らせ、全員の了承を確認する。
真田先輩だけは若干不満そうだったものの、一度影時間を体感した以上、事情を何も知らせないほうが危険だと判断したらしい。

「…それでは、ご説明します。
 おそらく信じがたいことだとは思いますが、どうか最後まで聞いてください」

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