「イリヤは、何故俺を嫌うんだ?」
潮風に服やら髪やらを遊ばせながら、ジョニーが問う。帽子が落ちそうだ。

「別に嫌ってねーぞ」
ふと登った甲板に、先客がいるのは予想外だった。
船の頑強な縁に頬杖をついて夜の海を眺める。生憎の曇り空だが、これほどに大きい船が波を裂いて進む姿というのはなかなかに爽快な眺めだった。

「そうかぁ?かなり露骨だぜ。目線とか絶対零度だしな」
「…マジで?」
「いや、ウソだ」
「…」
一気に脱力する。ごん、と縁に直撃した額が鈍い音をたてた。
けらけら笑うジョニーを恨みがましく見上げると、達観したような遠い目で海を見る横顔が目に入る。
…そうだな。嫌うってほど、大層な感情ではないけれど。

「俺はお前のそういうところが勘に障るんだと思う」
「え?」

昏かった瞳が、はたと焦点を結ぶ。見下ろされる前に顔を背けた。

「なんかさ…頑張ってる感?が全面に出てるっていうか。似合わないぞ、道化なんか」
「…」

唖然としたような顔で俺を見下ろしていたジョニーが、驚いたなと自嘲するように笑う。
立ち上がると、丸く重そうだった帽子を手に持って恥じ入るように頭を掻いているジョニーの姿が否応なしに目に入った。

「同属嫌悪ならぬ、異属嫌悪ってやつか?俺はお前さん、結構気にいってるんだけどね」
「男に言われても嬉しくねーよ…」
若干照れながら言うな。全身に怖気が走ったわ。
再度脱力しそうになるのを寸でで抑え、異属嫌悪という言葉を反芻する。
…異属、か。

「俺さあ。小さい頃からすっげー頭良くってね」

ジョニーが硬直する。
…ああいや、参考ばかりに過去話でもしようと思っただけなんだけど。
瞬きの仕方を忘れたような顔で、ただ固まったまま俺を凝視するジョニー。
いたたまれなくなって名前を呼ぶと、彼が小刻みに肩を震わせているのが見えた。
「くっ…ふ。ふふふふふ」
真一文字に閉じられた唇から、不気味な笑い声が漏れている。

「はっははは!本当に面白いな、イリヤは!」
「てめっ…なんで笑うんだよ!」
「だって普通、思い出話を自慢から入るかぁ?ははは!あー駄目だツボった…くくく…!」
「…ッ」

予想外の大爆笑に言葉が出ない。
十数秒待ってやっても未だに笑うジョニーに段々腹が立ってきたので、その右の脛にローキックを見舞う。途端に膝を折ってくずおれるジョニー。
脛を押さえて震えたまま動かない成人男性を前に鼻を鳴らし、早足で船室へ向かう。
いい加減眠い。朝も早いだろうし、何よりあいつに構う時間が惜しかった。

「ち、ちょっと待てイリヤ!過去話は…」
「お前にするくらいなら木にでも話す!おやすみなさい!」

全力の皮肉を込めて吐き捨て、甲板に繋がる扉を閉める。
叩きつけるように閉めたいのはやまやまだったが、生憎現在は深夜。眠っている者がいる以上、騒音はたてられない。

足音に細心の注意を払って自室に戻る。同室のスタンはもう眠っているようだ。
一切の乱れもなく整えられていたベッドに潜りこみ、シーツを顔の位置まで引き上げる。
潮風でゴワついてしまった髪に不快感を感じたが、柔らかいベッドの中にいればそのうち気にならなくなる。
うとうととまどろんでいたら、起きているか、と彼の独特な声が聞こえてきた。

「…ぎりぎり起きてるけど、なんだ?ディムロス」
『少しだけ我の話に付き合え。貴様は何故、我らの声を聞こうと思った?』
「?」

真意の読めない問いに、上体を起こす。
眠るスタンの傍らに立てかけられていた古めかしい剣。その柄にとりつけられた大きなレンズが、ちかちかと光っていた。

『声を聴くための実験は難しかった、と言っていたな。
 それほどの危険を冒して尚、我らは関わるに値する存在だったのか?』
「…そりゃあ、まあね。当然だろ」

欠伸をしながら後頭部を掻く。先の男に比べれば気負わなくていい相手だというのもあって、俺は完璧に神経を緩ませまくっていた。

「俺がリオンに会ったの、もう何年も前だけど。
 そん時には既にシャルティエはいたからな…一緒にいるのに喋れないって結構くるぞ。精神的に」
『…そうか?』
「完璧に見えない場所で悪口言われてるかもじゃんか」

笑えない冗談を笑いながら言えば、ディムロスは完璧に黙ってしまう。気難しい人だ。

「俺さ、小さい頃から頭よかったんだ。だから周りのやつがみんな馬鹿に見えた。
 そんな自分がいやで、嫌いで…俺より才能ある奴を、凄い奴をってセインガルドに亡命した」
『…』
「で、リオンが初めてだったんだよ。俺が負けたって思える人。
 だから俺はあいつをすげー尊敬してる。そんな奴が信頼する"人間"だ、喋りたいに決まってるだろ?」

再びシーツに包まり、枕に顔面を埋める。
黙っていたディムロスが観念したような溜息をついて、シャルティエは果報者だな、と感慨深そうに呟いた。
果報者、か。
ディムロスにそう言ってもらえるのなら、俺も嬉しい。

怒涛のように襲いくる睡魔に身をゆだねて、瞼を閉じる。スタンのイビキがうるさいが、もう慣れた。
おやすみなさい。誰へともなく呟いたのちに意識を遮断する。

…翌朝、寝坊常習犯スタンと共に叩き起こされたのがこれ以上ない屈辱であったことを、ここに記しておこうと思う。


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