悲鳴を喉の奥で圧殺しながら、ひたすらに走る。
崩れていく資材を。次々に襲い来る、魔物の爪や牙を。…息絶えた、船員の体を。
全ての合間をすり抜けて、目的地の甲板へ向けて疾駆する。

「おい!ちゃんとついて来てるだろうな、死んだら承知しねーぞ!」
「生きてるよっ!」

時折首を捻って、必死に俺の背に追いすがっている金髪の男を振り返る。
彼は右手に執った剣を振るっては、俺を逃して目標を変更した魔物たちを仕留めていく。
鮮やかな剣さばきには惚れ惚れするが、今はそれどころではない。

場所は上空。飛行竜。
ソーディアン・ディムロスが発掘されたとの報告を受けた俺ことイリヤは、飛行竜に乗ってフィッツガルドまで足を運んだ。
が、その帰路。こうして飛行竜は謎の魔物軍団による襲撃を受けてしまったのだ。
目標は疑う余地なくソーディアンだろう。
実は今この瞬間も墜落の危機にさらされているのだが、それでもみすみすディムロスを魔物の手に渡すわけにはいかない。
俺が、守らなければ。

「つーわけで!マジ死んだらぶっ殺すからな、スタン!」
「死んだやつをどうやってぶっ殺すんだよ!いいから前見て走ってくれ!!」

焦燥と泣き言が混じった声で叫び、炎弾を続々と打ち出す青年。
さっき名前を聞いたが、スタン・エルロンというらしい。年頃としては、多分俺とそう変わらないと思う。
さらに聞いたところによると、こいつなんと密航者らしい。なんてこった。
本来なら縛り上げなきゃならないんだろうが、今は緊急事態。協力してくれるなら、いくらでも使わせてもらう。
悪いやつじゃなさそうだし、問題はないだろう。たぶん。

甲板の扉を開く。
上空の風圧が容赦なく全身を襲うが、立ち歩くぶんには支障なさそうだ。

「…」
そこらじゅうにうち捨てられた船員の遺体に、胸にひりつくような痛みを覚える。
立ち尽くす俺を不審に思ったのか、遅れて辿りついたスタンが不思議そうに甲板を覗き込む。
…途端、まるでこの世の終わりみたいな顔をして凍りついた。

「…なん、だよ。これ…」
「なんだよって、遺体だよ。船内でも散々見ただろう…」
「ッ…!!」

俺の口調にスタンは一瞬だけ憤ったようだが、すぐに言葉を殺した。
きっと今の俺は、ひどい顔をしているんだろう。
…死体を見る機会なんてそうそうないし。それに慣れたいとも思わない。

魔物のうようよする甲板を見渡すと、最深部に脱出用のポッドが見えた。
残数は二つ。そしてそのうち一つが、今まさに上空へ投げ出されていくのが視える。
一刻の猶予もない。俺達はあのラス一のポッドに乗り込めなければ、このまま飛行竜の墜落に巻き込まれて死んでしまうのだから。

「…行くぞスタン。流石にこれは俺も戦うから」
「嫌だ」
「そうか嫌か。じゃあ行くぞ……って、は?」

あまりに早い回答だったので、意味を理解しないまま返事をしてしまった。
思わず半身に構えていた体制を崩して、微動だにしないスタンの顔面を見つめてしまう。

「俺は行かない。…ここに残って、この人たちの仇を取る」
「はぁッ!?」
なに言ってんだこいつ!

「俺はディムロスを持って帰らなきゃなんないの!仇とかそういうの後にしてくれます!?」
「何言ってるんだよ、イリヤ!このまま逃げるなんて…!」
「逃げるとかじゃなくて、状況を見ろっつってんだよ!」

俺も必死だった。このままスタンが頑として譲らなかったら、俺は彼と戦ってディムロスを奪わなければならなかったのだから。
更に、うようよする魔物も会話を待ってくれるほどできた奴らじゃない。
このままじゃ本当に死ぬかもしれない。
待っててくれる奴がいるのに。約束を守れないかもしれない―…

目の前が暗くなりかけた時、全てを打ち破ったのは、今まで沈黙を貫いていた"彼"の声だった。

『馬鹿者が!もう少し考えろ!!』

「!…ディムロス…でも…」
声の主は、スタンの握る剣。ソーディアン・ディムロス。
長年の研究の甲斐あって、やっと聞こえるようになったソーディアンの声が、間違った使命感に燃えていたスタンを容赦なく叱咤する。

『このまま貴様が戦って死ぬことが、この者たちの望むことか!?
 思い上がるな!今すぐ脱出しなければ、貴様もその男も死ぬのだぞ!』

「…」

スタンの戸惑っている目が、俺を見る。
俺は黙って頷いて、その肩に手を置いた。「行こう」軽く脱出ポッドへ視線を走らせると、スタンもまた黙って頷く。
ごめんな、と小さく唇が動かされた気がした。

「大丈夫、怒ってねーよ。じゃ、俺が景気よくぶっ飛ばすから一気に走ってくれ」
「ぶっ飛ば…え?」

白衣の内側から、毒々しい色の液体が入った試験管を抜き出す。
そして途方に暮れるスタンをよそに、勢いよく旋回して俺達を襲おうとしていたワイバーンの顔面に、その一本を投げつける。
迸る閃光。
頭蓋を喪った怪鳥が、あっけなく甲板に叩きつけられた。

「……え?」
引き攣った顔のスタンが、再び呟く。今、何が起きたんだ、と。

「そんなんいいから走れ!これ、中距離に投げないと巻き添え食うんだよ!」
「巻き添えっ!?冗談じゃない!」

走るスタンの速度が増した。扱いやすい奴で助かる。
ポッドに飛び込んだスタンに続き、彼の背に蹴りを入れながら滑り込む。狭いから仕方ない。
「操作!」「わかってる!」
こうも土壇場になれば、初対面同様の人間とでも阿吽の呼吸ができる。人間の適応力とは末恐ろしい。

ポッドがレールを滑って、上空へ投げ出される。
そのほんの僅かな時間に、どうやら迷惑なお土産を頂いてしまったらしい。

「っ…操縦桿が、効かないっ…!」
「ちょ、マジかよ?冗談だろ、ってぎゃあああああー!!」
魔物の最後の一撃によって、操縦不能となった脱出ポッドが空を舞う。
錐揉み回転で自由落下していくその感覚に、俺の悲鳴は意識もろとも掻き消されてしまった。

…ごめんよ、エミリオ。イリヤにーちゃん、もう帰れないかもしれない。


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