「ちょ、ちょっと待て!もう無理!マジで無理っ!!」
尻餅をついて武器を投げ出した俺に、尚も木刀を振りかぶっている少年に向かって臆面もなく喚きたてる。
俺から完璧に戦意が失せていることに気付いたらしい彼は、一瞬だけつまらなそうな顔をした後に、両腕をゆっくりと降ろす。俺が息をつくと、「また僕の勝ちだな」と不満と呆れがない交ぜになったような声が投げられた。
「イリヤは手ごたえが無さ過ぎる。僕より年上なのに、情けないよ」
「おいこらエミリオ、歳は関係ないだろ」
大仰に溜息をついて見せた、二つ年下のエミリオ少年。
彼の小さな手を借りて立ち上がり、頭半個ぶんは小さな背丈を見下ろした。
「イリヤおにーさんはインドア派なんだ。剣術なんか全ッ然駄目。勝てるわけないよ」
「…全然駄目な人間の動きではないと思うけどな」
不満そうに呟く彼だが、今しがた俺をボコボコにした人間の台詞じゃない。
固まった右腕をぐるぐる回すと、関節がひどい音を立てた。それに驚いたのか、目の前で丸い目を見開かれる。
「…まさかイリヤ、本当にもう歳なのか?」
驚愕に染まった純粋な顔で、なんと非情なことを言うのか。このお坊ちゃんは。
「あのなあ!俺はまだ13歳なの、発展途上なんだよ!」
「発展したら、僕にも勝てるようになるか?」
「……いや、多分無理」
「…」
とんでもなく胡散臭いものを見るような、胡乱な目で見つめられた。
「そ、そんな目で見るなよ…ちょっとドキドキするだろう…」
「…イリヤ、気持ち悪いな」
視線に侮蔑が加わった。ここまで来ると、流石にドキドキする余裕はない。
稽古の休憩、という名目で漫才の真似事をし始めて数分。
俺とエミリオの名を呼びながら、屋敷の物陰から見慣れた女性が現れた。
使用人の白いエプロンと、長いスカート。黒髪が綺麗な彼女の名前は、マリアン・フュステル。
目の前にいるエミリオの専属使用人で、稽古中の俺達を呼びに来るのは決まって彼女の役割だった。
「エミリオ、レンブラント様が呼んでるわ。そろそろお部屋に戻らないと」
「ああ、うん。わかったよ、マリアン」
他の使用人には仏頂面を貫き、気難しいエミリオも彼女の前では随分と柔らかい。
その理由が今は亡きエミリオの母親に関するものだというのは、いつぞやに偶然知ってしまったのだけれど…今は関係のない話だ。
マリアンはエミリオの木刀を受け取った後、俺の傍に転がっていたもう一本も拾い上げる。
あ、すいません、と思い出したように謝罪すると、人当たりの良い笑顔で応えられた。
「イリヤくんも。そろそろ戻らないと、またレイノルズさんが駆け込んできちゃうわよ」
「…それは困るなあ。あの人、嵐みたいだから」
ぼさぼさ頭に大きな眼鏡をかけた、職場の先輩の顔を思い出す。
以前エミリオと剣術に熱中して時間を忘れてしまった時、彼がこの屋敷まで俺を呼びに来たことがある。
あの時は、鼓膜が破れるかと思った。
とにかくうるさいのだ。声帯に拡声器でも仕込んでるのかってくらい。アレにまた来られるのは、どうあってもご遠慮願いたい。
「じゃあ、俺は帰るよ。エミリオ、また三日後に会おうな」
「ああ。楽しみにしてる、イリヤ」
傍目では判りづらいほどの微笑を浮かべたエミリオと、満面の笑みのマリアンに見送られてヒューゴ邸を出る。
城までの道のりは短い。
けれど、ついさっきまでの楽しいひと時と、ここから三日間横たわる激務を思えば、歩みが重くなるのは必然だと思っている。
…インドア派も、楽じゃないよなあ。
手荷物に丸めて突っ込んであった、多少小さめサイズの白衣を羽織る。
未だ子供の俺では、セインガルド城門の衛兵はこうでもしないと突破できないからだ。
『セインガルド王国直属研究院』。
それが、俺の所属する場所。
才能は使うべきものだ。
エミリオは剣に秀でているのと同じように、俺は勉学に秀でている。
だったら彼が騎士になるのと同じように、俺は研究者になるべきなんだ。
そう思って、俺はこの国に来た。
「たっだいま帰りましたー。お疲れ様でーす」
研究室の扉を押し開いた途端、レイノルズ先輩の爆発頭が俺の視線を独り占めする。
ああ、おかえりイリヤくん。
その声を最後まで聞く前に、俺は黙って扉を閉めた。
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