風邪をひきました。

「……うん。ごめんね…寝てれば治る。…うん。ばいばいありがとー」
携帯の電源ボタンを押しこんで通話を中断する。
耳元から桃ちゃんの声が聞こえてくるのはとても気分がよかったけど、ごめんね桃ちゃん私そんな余裕は微塵もないんだ。

あああああ、超だるい。
ベッドに突っ伏して全身の力を抜く。携帯が指先から滑り落ちて、床に落下した。
拾い上げる元気はもちろん無い。
今朝方から不在の母親が置いていった水分はとっくに無くなっており、乾いた喉が痛いんだけど…立ちたくないし、どうでもいいや。
寝れば治るだろう、たぶん。
おやすみなさい愛しの桃ちゃん。あなたの応援で、わたしはがんばれる…


「……りん。そめりん…」
…あれ、おかしいな。桃ちゃんの声が聞こえる。
幻聴まで聞こえるとなると普通に医者行ったほうがいいような気がしてきた。どうしよう。
「び、美人な女医さんじゃないと…やです……」
「何言ってるの、そめりん?ここの近所のお医者さんはお爺ちゃんばっかりでしょ」
「そんな、殺生な…」
……って、あれ?今見えた桃ちゃん、夢や幻覚にしては妙に現実味があったような。

無理やり重い瞼を押し開くと、心配そうに眇められた赤い瞳が見えた。
幻覚でも妄想でも夢でもない。本物の桃井さつきちゃんだ。

「桃ちゃん…なんでいるの…!?」
…しかし、家人が私以外全員留守な染宮家。無論合鍵なぞ持たない友人が自室にいるというのは、かなり異常な状況である。
桃ちゃんの看病に喜ぶのは後だ。なんでここにいる。

「あ…ごめんね。そめりん具合悪いっていうから、看病しようと思ったんだけど。鍵が開いてなくて」
「うん」
「青峰くんが軒先の植木鉢の下から発見したの。合鍵」
「!!?」

なん…だと…?
信じがたい事実が二つほど爆弾のように投下された。意味がわからない。
一つは合鍵。これは…探しちゃ駄目だろう。あるだろうなと察しはしても、探すのは駄目だろう。倫理的に。
そして二つ目は。

「なんで連れてきちゃうの、青峰さんをッ…!」
「…うーん、ごめん…断る理由もなくて」

苦笑する桃ちゃんは可愛いが、こればっかりは許せない。
理由がない?笑止。『青峰くん暑苦しいから』でファイナルアンサーだ。
自宅に入られるのも嫌なのに、こんな弱った姿を見られるだなんて最悪すぎる…いっそトドメを刺してほしいもう殺してください。

「…お、染宮起きたのか」
「すみません。お邪魔してます」

「あ、テツヤくんもいたんだ」
青峰さんとテツヤくんが揃って自室に侵入してくる。もう勘弁してほしい。
彼らは桃ちゃん同様にベッドサイドに座り込んできたが、至近距離から三人もの人間に顔を覗き込まれるのが嫌過ぎる。
軋む体を無理やり起こそうと身じろいだが、それはテツヤくんの手によって阻まれた。

「起きちゃ駄目です。寝ててください」
「うわ、顔すげーあちぃな。ポカリ飲むか?」

青峰さんの手が私の額を抑える。力が強くて潰されそうだが、意外にも冷たくて心地いい。
…つーか、マジか。ポカリマジか。欲しい。
「寄越…してください青峰さん」
「……」
思わず口汚く寄越せ、と言いそうになったものの寸でで抑える。
しかしそれも手遅れだったらしく、青峰さんは非常に微妙そうな顔をしたが、「まあ今回は許してやる」と渋々ペットボトルを差し出してきた。
面目ない。

「…青峰くん。寝てる人間にペットボトル渡すだけって酷いと思うんだけど」
「あ、ボクが支えます。やっぱり体起こしてください」
「ぐっ…!ご、ごめん…テツヤくん…」

何が嬉しくて同級生に風邪の看病なぞしてもらわなきゃならないんだ。
それに咳こそないとはいえ、バスケ部一軍の彼らがこんなウイルスまみれの部屋に来て大丈夫なんだろうか。
もしも伝染ってしまったりしたら、赤司さんに何を言われるかわかったもんじゃない。…想像するだに恐ろしい。

青峰さんからペットボトルを受け取る。蓋は既に開いていた。

「ポカリおいしー。沁みるー」
「…ん?」
随分と久々に採った(ような気がする)水分に歓喜する私をよそに、青峰さんが不審な呻きを漏らす。困惑した様子で自らのスポーツバッグを漁る彼を、テツヤくんと桃ちゃんと私の視線が突き刺した。

「あ、悪ィ染宮。それオレの飲みかけだわ」
「……………え?」
「開けてねーのはこっち。間違えちまった」

悪い悪い、はははは。青峰さんの笑い声が自室に響く。
一瞬で全身の汗が引いた気がした。
力の抜けた指先からペットボトルが滑り落ちる。中身を飲み干した後だったのは幸いだった……じゃねえ!超不幸だ!アホか!

「みんな、ごめん。ちょっとトイレ」
「…吐くの?」
「吐く」
「てめぇ染宮ふざけんな」

一応冗談だ。一応だけど。さすがにそこまで神経質じゃない…と思う。
怒る青峰さんを桃ちゃんと二人でなだめていたが、テツヤくんの「まあ気持ちは分かります」との発言で一気にスタート地点へ回帰してしまった。

頭も痛いし眩暈もするし、ふらふらと体は安定しない。
…だけど、楽しかった。三人が気を遣ってくれているのには気付いていたけど、それでも心から笑うだけで元気が出るような気がしていた。

この瞬間までは。

「うん。じゃあそめりんが元気出るように、私頑張るからね!」

すっくと立ち上がった桃井さつきを呆然と見詰める私たち三人。
「………え?」
先ほどのポカリ事件の時よりも、私は動揺していた。
…桃ちゃんが頑張る。頑張るって何を。

「具合悪い時ってやっぱりお粥かなあ…あ、キッチン借りるね」

意識が、一瞬飛んだ。
楽しげに自室からいなくなっていく桃ちゃん。ぽかんとするテツヤくんをよそに、私は青峰さんの肩を全力で引き寄せた。熱のせいではない、嫌な汗が全身を伝う。
「青峰さん助けて私まだ死にたくない助けて」
「…必死すぎんだろお前。気持ちは分かるけどよ」
「うるさい!」
普段ならば笑って済ませられる桃ちゃんの料理。もとい、製造物。
駄目だ。絶対駄目だ。
体調が悪い時にあんなものを摂取したら、本気でトドメを刺されてしまう。

「あの、どうしたんですか?二人とも、」

さすがに訝しんだらしいテツヤくんが眉根を寄せた直後、キッチンの方向から軽い爆発音が聞こえた。
ボンッ、だ。ボンッ。
その後かすかに聞こえた桃ちゃんの悲鳴の後、三人揃って黙り込む。

「…ボク、様子見てきますね」
「テツ」
すかさず腰を上げたテツヤくんに、振り返らない青峰さんが声をかける。
はいなんでしょうと立ち止まったテツヤくん。
私は頬を伝う涙と汗を拭いながら、彼に向かってこう告げた。

「わたし、ゆでたまごが食べたい」

しばし硬直したテツヤくんが、塩派ですか醤油派ですかと切り替えしてくる。
両方ください。四人ぶん。きっとそれが、一番おいしいから。

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