温かいベッドから抜け出して、病室の扉を静かに開く。
「…うわ、寒っ」
途端に体を包んだ冷気に驚いた。
窓の外を見れば、見事に真っ白で何も見えない。…最近ではまあ、珍しくないことだけれども。
漏れでた欠伸をかみ殺しながら、億劫そうに重い体を引き摺る。

この階に飲み物の自動販売機は数台ある。
…でも今の私はどうしてもシトロンが飲みたいので、他の飲料は受け付けません。絶対拒否。断固拒否。
というわけなので、一階のロビーを目指します。

「………あれ?」
「!」

エレベータが開いた瞬間、目に入った人物。
無人を予想していたから意外だったけど…一応、短い入院生活の中で何回か顔をあわせた人でもあった。

「どうしたんですか、堂島さん。堂島さんもリボンシトロンですか?」
「は?……ああ、飲み物か?俺は違う」

松葉杖を器用に動かして私に向き直った堂島遼太郎さん。
彼は言うまでもなく堂島菜々子ちゃんの実父であり、鳴上さんの叔父にあたる人で。
その関係で、入院前からも少なからず面識がある人だ。

「足立を探していてな。まだ病院内にいるはずなんだが…春日部、知らんか?」
「あだちさん」

堂島さんの口から出た名前に、意図せず唖然としてしまう。
足立。足立透。
以前夕闇の中で出会った、軽薄な印象の刑事。

…あの人は、なんか苦手だ。

「見てませんけど…どうせなんで私も一緒に探します」
「いいのか?…いや、お前はもう寝たほうがいい。消灯時間も過ぎてるしな」
「今時の高校生は、日付変わってから眠るもんですよ」

嘘です。普段の私は十時すぎには就寝します。
有無を言わせぬ語調で堂島さんの隣に並ぶと、浅い溜息をつかれた。
「寝不足になっても、責任は取りかねるぞ」
「はーい」
押しに弱いようで結構なことだ。鳴上さんとは大違いである。

薄い明かりのついた病院内を、二人で並んで歩く。
…と、周囲よりも明るいロビーのほうから、複数の話し声が聞こえてきた。
内容も声質も詳しくはわからない。
けど。

「…足立さんっぽくないですか?」
「ああ。…あいつ、こんなところで誰と喋ってやがるんだ?」
苦々しい独白の後、堂島さんの歩行速度が速まる。
慌てて追いすがって、明るい場所へ向けて角を曲がる―…と、そこには。

「聞きたいことがあるんです。…足立さんに」

能面のように無機質な顔で、強い覚悟と意志の持った目で。
ひとり佇む足立さんと対峙する、見知った学友たちの姿がありました。

「僕に?…いいけど、手短に頼むよ」
以前会った時と変わらない、軽い口調で受け流す足立さん。
けれどその横顔には、この寒さに似つかわしくない汗が滲んでいるように見えた。

重たい沈黙が病院のロビーを包む。
口火を切ったのは、鳴上さんだった。
半年以上も前の、早紀さんと山野アナが死亡した事件について、滔々と足立さんへ疑問をぶつけていく。

…内容、は。よく覚えていない。
ただ問い詰めている間の、鳴上さんの辛そうな顔と。
だんだんと余裕と表情を失って、感情が潰れてしまったような顔になっていく足立さんの姿だけを覚えている。

「やっぱり」
無意識のうちに呟いていた。
私の隣には誰もいない。堂島さんは足立さんの傍へ歩み寄ってしまったし、鳴上さんたちはあの二人を挟んだずっと向こうにいる。
だからその呟きは、誰にも届かない脳内の独白となんら変わりなかった。
「…やっぱり、あの人だったんだ」
もう一度呟く。

鳴上さんたちに背を向けて、こちらへと駆けてくる足立さんと目線が合った。

焦燥と稚気と歓喜の窺える、見たこともない眼をしていた。

「美咲!」
彼の手で私の体が突き飛ばされるのと、りせが悲鳴じみた声で叫ぶのは全く同時だった。
足立、と悲壮感あふれる堂島さんの怒号が響く。
壁に背を預けて座りこんでいると、にわかに集まりだした夜勤の看護師さんたちが目を瞬いているのが見える。

足立さん、どこに行ったんだろうか。
どうせ逃げ場なんてないだろうに。

そこまで考えて、重たい瞼をゆっくりと閉じていく。
そういえば、壁にぶつかったのは後頭部が一番先だった。もしかしたら脳震盪でも起きたのかもしれない。
まあいいか、と思う。
リボンシトロンを購入する暇もなさそうだし。起きれそうにないし。
おやすみなさい。


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