何故だか知らないけれど、すごく眠い。
重い瞼を無理やりに開いたまま、起こした上半身を必死に支える。
少しでも気を抜けば、顔面から突っ伏して眠ってしまいそうだった。
「あー、でも安心したわ。思ったより元気そうだな」
見舞い品の果物(やたらリンゴが多い)を傍らに置いた花村さんが、ベッド脇にある丸椅子へ腰掛ける。
彼の後ろにいた千枝さんと雪子さんがリンゴを剥こうと身を滑らしたが、なんだろう。この凄まじい不安感は。
この人たちリンゴなんて剥けるんだろうか。
「ちょっと…剥けるよ?リンゴくらい!」
「えーと、皮を残さなければいいんだよね?」
「大丈夫だ。手を切ったとしてもここは病院だからな」
「どういう意味よ!!」
蹴り倒そうと身構えつつも、直前で堪えた千枝さん。
肉食獣のごとく唸りながら花村さんを牽制し、雪子さんと共に果物ナイフを握る。
……って、おい。握っちゃ駄目だろう。流石の私でも分かるぞ。
本当なら私が剥いてあげたいところだけれど、それはできない。
数日前のあの交通事故で、私は利き腕を綺麗に折ってしまったのだ。
まあ、幸か不幸か負傷と呼べるのはその腕だけで、他は細かい擦り傷やら打ち身やらで済んだのはよかったと思う。
即座に逃げてしまった車の追跡よりも、私の身を優先してくれた完二には感謝の言葉もない。
「安心したのは私のほうですよ」
あからさまに安堵した様子の先輩三人に破顔し、不恰好な形のリンゴを受け取る。
本当に"皮を剥いただけ"で食べやすさの度合いは全く変わっていないのだけど関係ない。自由な片腕を使って口元に運び、かじりついた。
「ちょっと前に一年生三人組が来たんですけど、大変でした。
りせなんかすっげー泣いてて、もう親以上ですよ」
「…なんか想像つく。りせちゃん、美咲ちゃんのことすごく心配してたから…」
柔らかい声で呟く雪子さん。
リンゴを咀嚼しながら通常通りの聴覚でそれを聞き届け、咥内の異物を嚥下する。
「もちろんあたしたちも心配だったよ。
霧のせいで事故が増えてるって知ってたけど、まさかこんな…」
「あはは、まあ気象じゃあしょうがないですよ。本当、なんなんでしょうねえ」
半ば自虐的にせせら笑えば、三人の表情は目に見えて沈痛なものへと化した。
…交通事故に遭った学友を慮る表情じゃない。
変に疑ったり気にするのはやめようと決心したはいいものの、やっぱり―…
どう声をかけたものかと考えていたその時、病室の扉が遠慮がちな音をたてて開かれた。
当然のように、全員の目が向く。
開け放たれた扉の向こうに立っているのは、数日ぶりの鳴上悠さんだった。
「遅れてごめん。美咲」
「いいえ。来てくれて嬉しいです」
見舞い品の花束を抱えなおしながら、額に汗を滲ませた鳴上さんが微笑む。
「私なんかより、菜々子ちゃんは大丈夫なんですか?」
「ああ。今は眠ってるよ」
道を譲った雪子さんと花村さんの間に立ち、私の傍らにある花瓶を見て複雑そうな顔をする鳴上さん。
両親のぶん、巽家のぶんと大量に生けられた色とりどりの花。正直、もう一束は生けられない。
「美咲お姉ちゃんが来てくれるって喜んでた。…ありがとう」
「そ、そんな。やめてくださいよ」
頭を下げる鳴上さん。咄嗟に身を乗り出す私。腕が折れていたのを忘れていた。凄まじく痛い。
「菜々子ちゃん、あんなに辛そうなのに。
私入院患者だけど元気爆発だし、なんか…情けないです」
「いやいや何でだよ」
「美咲ちゃん、それはさすがにおかしいと思う」
「つーか元気爆発って自分で言ったよ」
「ちょっと、総ツッコミやめてください」
ボケたつもりはなかったんですけど。
すっかり眠気の覚めた私は、わざとらしく大仰に溜息をついては、リンゴの芯を近くにあった皿の上へ戻す。
「本当に元気ですって。検査やら何やら終わったらすぐ退院しますし」
「…そう、か。よかった」
「それより、もうじき看護師さん来るんですけど。
面会時間も終わりますし、そろそろ期末試験のお勉強でもしたらいかがですか?」
「うるせーな、お前!」
喚きながら、出入り口へぞろぞろと歩き去っていく二年生四人。
白い病室にひとり取り残されるのは多少寂しかったけれど、引き止めるわけにもいかない。
複雑な心情を悟られまいと微笑んでいたら、四人の背がまったく同時に止まり、またまったく同時に全員の顔が私へと向きなおされた。
「霧が止んだら、また遊ぼうね」
確信じみたその声を残し、彼らは廊下へと消えていった。
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