鳴上さんの帰宅と同時に失礼させてもらうと、冷たい秋の風が全身を撫ぜた。

目映いほどの夕焼けは街並みを真っ赤に染め上げて、
建物や私自身の影全てを真っ黒に塗りつぶしている。
場合によっては美しいと表現すべきなんだろうけど、どうだろう。

怖い、かな。それとも気持ち悪い、かな。
とにかく、とても歓迎すべきじゃない、とんでもなく不吉な雰囲気だった。

早く帰りたい一心で坂を下り、通りを抜ける。

人は、まばらながらもきちんといた。
買い物帰りの主婦、制服姿の学生、みな変わった風もなく、
真っ赤な全身で真っ黒な影を引きずって、何事もないように歩んでいる。


きっと今日の夕焼けはいつも通りだし、不吉でもなんでもないんだろう。
こんなにも怯えて特別に思い込んでいる私が異質なんだろう。
おかしいのは私。
そうであってほしいと、心から思う。
早く帰りたい。


足早だった歩みは、ほとんど駆けているのと遜色ない。
このまま家まで止まる気はないし、止まる必要もなかった。
はずなのに。


「…あの」


私は歩みを止め、目の前の影へと声を発した。
振り返ったその顔は真っ黒で禄に識別なんかできないけど、知らない人だった。
何度か見た顔ではある。名乗ってもらったこともある。
そういった意味では知らない人ではないのかもしれないが、私は彼についてそれしか知らない。


「えっと、君は和菓子屋の…なんだったっけ?」


名前、足立透。職業、刑事。
堂島菜々子の父堂島遼太郎の相棒で、八十稲羽署に所属している人。
それだけしか知らない人なのに、どうしてだろうか。
声をかけなきゃいけないと、そう思った。

「春日部です。春日部美咲」

意図せずして途方も無く平坦な声が出て、自分で驚いた。
だけど息を呑む私に対して足立透はそれに関しては然程疑問には思わなかった様子で、
ああ春日部さん、そうだ店名は捩りなんだったねと笑った。


「…それで、僕に何か用事が?ああ、道に迷ったとか…」

「十六年住んでます。迷いません」


目に見えて狼狽する彼だけど、私だって慌ててる。
何してんだ私。
"善良"な刑事さんに詰め寄って、何がしたいんだ私。

「刑事さん」

三歩ほどの距離から、私よりも高い位置にある顔を見つめる。
もう黒くはない。以前見たのと変わらない、寝癖の目立つ姿が目視できる。

私は彼の、手袋をはめた右手が持つ簡易なファイルを指して。
何の気なしに、問うた。


「お手紙には、宛名を書くのが礼儀ですよ」


何を言ってんだ私、と。自分に問うた。

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