水中に落下して浮かび上がってこなかったリドルを慌てて陸へと救い上げ。
目の前で座り込んだまますすり泣く彼女を前に、アスベルは濡れた頭を掻いた。

「…ごめん。まさかあんなに驚くとは思わなくて…」
返事はなく、ただしゃくりあげるリドルの声だけが室内に響いている。どうやら相当怖かったらしい。普段の毅然な姿とは似ても似つかないその様子に、正直どうしたらいいのか全くわからなくなってしまう。
「……なんで、ですか?」
暫く待った後にようやく搾り出された声。
顔をあげることなく投げかけられた問いに、アスベルは「な、なにがだ?」と動揺を隠し切れない間抜けな応答をしてしまった。

「なんで先輩、ここにいるん…ですか?もう夜なのに」
「あ、ああ。部屋を抜け出すリドルの姿が見えたから。多分ここだろうなって」

乱暴に目元を擦り、リドルがようやく顔を上げる。見れば、確かにアスベルは水着姿であり、準備をしてからこの場にやってきたのだろうことが窺える。
リドルは憔悴した面立ちで深く息を吐き、そういえば、と忌々しい記憶を呼び戻すかのように沈みきった声を落とした。

「私が、実地任務で落水した時…助けてくれたの、アスベル先輩でしたよね」

二年か三年ほど前だ。
バロニア近海で発生した魔物の討伐のため、数人の教官と学生が軍船に乗って行った実地任務。その最中にあった大きな波に、リドルは船から滑り落ち、落水したのだった。
もとよりカナヅチだった彼女である。
激しい波になす術もなく沈みかけた頃、指示も待たずに飛び込んだアスベルが彼女を救い出したことがあった。奇しくもそれは彼がマリク・シザースの眼鏡にかなったきっかけの出来事であり、彼の人生を変えるきっかけでもあったのだが、それは余談というもので。

「そうそう。その時にあまりにも抵抗していなかったから、ああこの子泳げないんだ、って…」
「…喧嘩売ってます?水辺じゃなかったら言い値で買ってますよ?」

冗談でも言うかのような軽さのアスベルに、リドルの恨み言が突き刺さる。
慌てて口を閉じる彼に、リドルは半ばヤケになったような軽い息をついた。「確かに私は泳げないですよ」背後に溜められた、静かに波打つ水。コップに入ればなんでもないその物質が、集まってしまえばこれほどに恐ろしい。
震えそうな身体を片手で抱きしめながら、眼前のアスベルから目を逸らす。

「だ、だけど…泳げないままなら、きっと迷惑になると思って。だから…」
「わかってるよ」

泣きそうな顔で言葉をつむぐリドルに微笑み、その手を引く。
アスベルは彼女を立ち上がらせると、「リドルの気持ちはわかってる」と続け、片手で冷えた肩を掴んだ。
「でもさ、一人じゃ泳げるようになんてならないぞ。つきあってやるから」
「え?…そ、そんなの悪いですよ。明日だって早いのに…」
「気にするな。後輩を助けるのは先輩の役目だ」
それにまた沈まれても困るし、と笑えない冗談で笑うアスベルに、再びリドルの瞳が潤む。そんな彼女の落とした消え入るような『ありがとう』に、アスベルは静かに破顔した。

「以前ラントの近隣で、潜水しないと進めない洞窟があったんだ。
 あんな場所がないとも限らないし、やっぱり泳げるにこしたことはない。頑張ろう」
「は…はい。ご指南、よろしくお願いします…」

潜水。
あまりに遠すぎるその言葉に、リドルは肩を落として頷いた。


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