ひどい嵐の日だった。

分厚い雲が明るかった空を黒く染めあげ。
暗い海は強風によって揺れ、大きな波を立て続けに起こしていく。
少しも気を抜けないほど上下左右に揺れ動く船上で、正気を保とうと躍起になっていたかつての自分。今まさにその時と同じ気分だった。
そうだ、あの後、どうなったんだっけ。
一際大きな波が来て、船が突き上げられるように浮いて。そして。

「リドル!何ぼーっとしてんの?」

すぐ横で聞こえたパスカルの声に、一気に意識を呼び戻された。
乾いた笑いを浮かべながら振り向けば、そこには水着姿で不思議そうに首を傾げるパスカルの姿。
そうです、今私たちプールにいるんです。
憂鬱極まりない状況に、人知れず涙交じりの息を吐いた。

場所はユ・リベルテ、宿屋。
以前会った威厳のある男性が大統領だったというサプライズののち、
調子が悪いという大輝石の調査へ向かう約束をこじつけた直後のこと。
遺跡へ伝令を飛ばすから一晩待ってくれとの言葉に従い、"羽を伸ばしている"のだそうだ。みんな的には。

何を言っているのか全く分からない。水泳なんて疲れるだけなのに。
「リドルったら。別にプールだからって泳がなくていいのよ?一緒に遊びましょ」
おかしそうに目を眇めて笑うシェリアが、水からあがってこちらへ歩み寄って来る。そして二人がかりで私を水へ突き落とそうとするものだから、必死に振り払ってその場を離脱しようと試みる。

「あ、あの!私いま、お腹痛いから、水はちょっと…」
「…お昼ご飯、いっぱい食べてた」
「じゃあ食べすぎちゃったのかな!あはは!…さ、先に休んでるね!」
「ちょっと、リドル!」

背後から投げられる制止の声を無視し、控え室へと駆け込む。
着替えもそこそこに急いで廊下へと飛び出すと、今来たらしい普段着姿のアスベル先輩と目が合ってしまった。

「リドル?プールはもういいのか?」
「そ、その…はい、もういいんです。お先に失礼します!」
「…?ああ」
勢いに押されて頷いた先輩を残し、全力で走って自室に戻る。
扉によりかかるようにして立って、自己嫌悪で痛む頭を両手で抑えこんだ。
プールで遊ぶなんてとんでもない。絶対に無理だ。
「…はあ…」
我ながらびっくりするほど気弱で情けない溜息だった。脳裏にこびりついて離れないあの時の記憶や感覚に目の前が真っ暗になる。
だってさ、仕方ないじゃない。


「泳げないものは、泳げないのよ!」
時間は流れて深夜。施錠こそされていなかったプールは見事に無人である。
同室のパスカルがけたたましい鼾をかいて寝始めたのをいいことに部屋を抜け出してきた私は、ひとり真っ黒にたゆたう水を前に悲鳴をあげた。

騎士学校に入ってから、いつ水中の試験があるのかとずっと怯えっぱなしだった。
幼少期、グレイル湖へ行った時に小船から転落したのを皮切りに。
入学後の実地任務でも海に落ち、旅に出てからも船続き。正直気が気じゃない。
しかしここまで水に縁があるのだから、今後旅するにおいて水中を移動しないとも限らない。そのときに足手まといになるのだけは絶対に嫌だし、仲間全員にカナヅチが露呈するなんて想像するだに恐ろしい。

「あぁ…でも無理、絶対無理。沈むよ絶対沈む、人間は水より重いのに浮くはずない」
怨嗟に似た呟きを延々と繰り替えす。広い部屋じゅうに響いているけど気にする余裕など微塵もない。ただひたすら現実逃避のためにぶつぶつと呟き続けていたところ、ふと。
まとめた後ろ髪に、ほんの僅かな風を感じた。
不思議に思うよりも早く、完全に注意の範囲外だった耳元へ、ふっと息が吹きかけられる。

「わっ!!」
「ッッ――――!!」

誰の声だったかなどわからない。
ただ"突然の音"に緊張で張り詰めていた神経の糸を断ち切られた私は意識を失わんばかりに驚いて、飛び上がって。そのまま前方の水へと落下した。
「ちょっ…リドル!リドルっ!?」
遠くなっていく水面の上から狼狽しきった声が聞こえる気がするが、それどころではない。もがく暇すら無しにやたらと深い底へ沈んでいく中、ぶつりと意識が断ち切れた。

ああ、やっぱり水は嫌いだ。

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