模すのなら
カップからは心地よい芳香と、柔らかな湯気がのぼっています。
触れると、冷えた指先からじんわりと熱が伝わってきました。
場所はケテルブルク、某ホテル。
一度チェックアウトしたのにまた戻ってきてしまいました。
客室の一室、というか私の部屋にイオンくんが訪れて何分経ったのでしょう。
彼は何も話さず、身じろぎもせずに立ち上る湯気を眺めています。
どうしたんでしょう。折角上手く淹れられたのに冷めちゃうじゃないですか。
「アニスたちが心配ですか?」
「!……いえ。そうではありません」
唐突に話題をふった私に驚いたようですが、さほど取り乱しもせず。
イオンくんは我に帰ったように、目の前の紅茶を啜りました。
「僕は彼らを信じています。心配する必要などありません」
「そうですか」
「…ここに来たのは、ユノ。貴女と話したかったからです」
細い指先がカップの淵をなぞっています。
毅然と話を切り出さないなんて、らしくないですよね。珍しい。
黙って首を傾げ、続きを促します。
「貴女のことは、ヴァンやモースから聞いていました。
ユノ・リーランド…被験者のイオンに最も近かった、導師守護役」
「…」
「だから親しげにしておけって、…言われていたんです」
いい加減な説明もあったものですね。
確かに私は近かったかもしれない。だけど親しくは無かった。
ぶっちゃけ仲悪かったですしね。死に際に大嫌いとまで言われました。
ヴァンやモースの教育が悪かったんでしょうね。
もし完璧にイオンくんが"イオン"を模すのなら、あの時。
「イオンは私に恩義なんか感じてないと思いますよ」
「え…?」
「フーブラス川。ジェイドから、私を守るとき」
彼はジェイドを制す時、確かにこう言ったんです。
彼女には恩があるから、どうか殺さないでくれ、と。
今まで漠然と疑問に思っていたんです。
導師守護役を理由とせず、"イオン"が私に感じている恩とは何かって。
これではっきりしました。
イオンくんは私とイオンの関係を履き違えていたのですね。
ならあの時の言葉も態度も、納得できます―…
「それは、違います!」
「!」
突然声を荒げたイオンくんに、目を見開きます。
話を渋るなどとは比較できないほど、珍しい…というより、初めてかもしれません。
身を乗り出す勢いで言い放った彼は、やがて唇を噛んで俯きます。
「違うんです。あの時僕が言ったのは、"イオン"じゃなくて」
「イオンじゃ…ない?」
思わず反芻すると、イオンくんは頷き、実直に私を見据え。
「僕の感じている、恩義です。僕自身の感情です」
見慣れない、その瞳。
実直?違いますね。ここまで来ると、愚直という言葉のほうが相応しいでしょう。
そのあまりに美しい深緑に圧倒された私は、
以前彼に感じていた違和感や不快感を、完全に忘れ去っておりました。
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