Unbreathed love syndrome | ナノ


▼ Love without moonlight

生活音が聞こえてくるのは、隣ではなく真上からだったりする。西の隅、一階にある俺の部屋の、東隣の隣人は、はたして本当にいるのかどうか、そこんとこから検証しなくちゃあいけないくらいに気配がしない。キッチンを使う音も、洗濯機を動かす音も、なにも……。俺がたまたま聞いていないだけ? 真上に住んでいる奴は足音だけでうるさいのに? 変だなぁ。だって誰かいるよなぁ。俺はそういった他人の生活音が嫌いじゃあないんだ。そこに誰かいるっていうことにちょっとだけ安心する。ぼーっとベッドの上で天井を見上げているときでも、誰かの気配を感じる。見えない家族みたいなものだと思っていた。そういうのを俺は持っているんだ。真上の部屋にね。だからそういうのが隣にもいたらいいなぁと思っていた。無駄にでかい窓にあわせて買った、裾の微妙に足りていないカーテンを開けて、外を窺う。あ、明かりがついてる、隣の部屋。閉め切られたカーテンからわずかに明かりが漏れている。いつもは絶望的に真っ暗なのに。めずらしい。
俺は窓を開けてベランダに出る。普段使わないベランダ。一階だから洗濯物を干すのもちょっと躊躇っちゃうし、なんか物干し竿自分で買わないといけないみたいだし。そういうのめんどいし。だからベランダはちょっと汚い。床板を踏むとざらざらと音がする。砂利たまってんなぁ。一旦部屋の中に戻って、薬箱のなかから未開封の煙草を一箱取り出す。ライター持ってないんだよな……。友達と花火したときのチャッカマンが押入れにあったはず。煙草にチャッカマンで火ぃつけるってどうよ……カッコつかねぇし。でも誰も見てないからいいや。
 カチッ、と。
 ムードもロマンもなにもない音で、点火。あわててベランダに戻る。お向かいの住宅はどの部屋からも明かりはもれていなかった。誰もが寝静まっている時間。しかし隣人は起きている。俺と隣人だけが。なんとなくそれがうれしい。見えない家族、見えない友人。二人っきりだね。ほらーロマンチックだ! ロマンチック。
 馬鹿みてぇなことを思いながら、なんとなく風に吹かれる。隣人が実在しました記念だ。煙草なんか普段吸わないけど。そんでこれすっげーまずいし! もう二度と吸わないし! でもまぁ、ベランダに出る自分への口実ってことで。俺は隣人の部屋の窓からもれるわずかな明かりを見つめている。今時一人暮らしで表札に名前なんて書かないから、隣人の性別すら、俺は知らない。年齢はなんとなく同じくらいだろうなーって思うけど。このへん大学に近いからアパートに住んでるのは学生ばっかだし。だからこそ生活時間帯もそんなに変わらないはず……。なのにどうしていつも気配がないんだい、隣人。
 隣人のベランダにも物干し竿がなかった。洗濯物、外に干さないんだ。俺と一緒。あとは? あとはどんな共通点がある? 恋した女の子みたいに、俺は隣人のことを考えている。だって初めてなんだ。明かりがついているんだぜ、部屋の明かりが!
 ふと、隣の部屋の窓からもれる明かりが、ゆれた。カーテンがゆれたんだ。俺は思わず視線をあらぬ方向にそらした。同時に窓の開く音がして、じゃりじゃりしたベランダの床板を踏む音もした。隣人? 隣人今そこにいんの? 何気ない風を装って視線を隣にやる。ああ、隣人、きみが隣人か。
 男がいた。ひとりの男だ。俺みたいに煙草を吸いに来たとかではないらしく、ただなんとなくすることが無くて暇で、そういえばベランダってどんな風になってるんだろうって思って窓を開けてみて、うわ砂利たまってるなぁって思ってる……そんなかんじ。足元を眉をひそめて見つめているのが、隣人の部屋から漏れる明かりに照らされた、俺が最初に見た彼の表情だ。

「どうも」

 煙草を口元から離して、声をかける。隣人は驚いた風もなく顔を上げ、わずかに会釈してベランダの手すりに腕を預けた。そのまま彼は動かない。俺も二言を発しようとしていた口を閉じる。
 窓からの明かり、わずかなそれが隣人を照らしている。それってロマンチック? 今日は月が出ていない。だから明かりは俺達の部屋からしか漏れていないんだ。
 だからこれはロマンチック。煙草の二本目を吸おうかなと考えて、自分がチャッカマンでしか火をつけれないんだってことを思い出した。あーあ。そんなかっこわるいこと、隣人の目の前でできるわけないじゃあないか。短くなった煙草を黙って消す。どうする? ベランダに出ている口実を失った。どうする? 隣人みたいに黙って夜風に当たる? あれはさぁ、隣人だからできるんだよ。長めの髪が風に吹かれてゆっくり揺らめいて、背中のラインがすっごくクールだった。骨の形がわかるのに、細い印象は受けないんだ。どっちかっていうと筋肉質なんだよ。横目でちらっちら隣人を窺ってたら、ついに目があった。ま、わかっちゃうよね。こんな見てたらね。でも、隣人は睨むというよりは、どっか不思議そうな目でこっちを見ている。なんか用ですか? って? でも愛想のある感じじゃあないよね。だからといって邪険にもされていない。
 ぶわっと風が吹いて、隣人の髪の毛が揺れ、彼はそれを手で押さえる。その間に俺はベランダの手すりから身を乗り出して彼に顔を近づけていた。隣人だからね。このくらいの距離だよ。

「ね、」

 月明かりはない。照らし出しているのは無骨な蛍光灯の光。部屋からもれる、ちょっとオレンジがかった白い光。ロマンチックかい? そうじゃあないかもしれないね、でも、月が綺麗じゃなくたって、ましてや出てもいなくたって、俺は胸を躍らせることができたんだよ。

「恋しても、いい?」

 一目ぼれなんかじゃあないよ、隣人、俺はずっと君を知りたかったのさ。気配のしない隣の住人。俺はずっと、君のことを考えていたんだから。





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