Unbreathed love syndrome | ナノ


▼ When all the hearts die:U


 気分が悪かった。生まれて初めて、『アタマが痛い』って感覚に陥った。頭蓋の下の血管が、心臓が役割を果たすたびにじくじくと疼いて、それがどうにもできないのがつらかった。その心臓っていうのも、やることはやるにしても、どうにも調子がいいわけではないらしく、俺はいつのまにか自分の服の、左胸あたりをつかんでいた。シンクに流してしまったコーヒーのにおいも、不快だった。カップの底には溶けきっていない砂糖が粒を残していて、俺はつい笑ってしまった。意味のないことをしようとしてる。ちょっとだけ自分の部屋を振り返ってみると、隣人は閉められたカーテンに目を向けていた。視線がかち合わなかったことにほっとしながらも手を動かし、再びコーヒーのにおいが漂ってくるのをまつだけにする。頭痛が治らなかった。普通の状態じゃあなかった。なんてことのない朝に突然こうなっていたら、即行病院行きを決意してるだろう。
 かぶりを振る。
 わかっていたことだろう。
 いつか、逃げられない時がくる。
 誰かが俺のことを指差して、お前は異常だと、狂っていると、……俺のしていることは『恋』なんかじゃあない、と。……言う日が来るのだ。知っている、そのくらい。
 だってどんな、ドラマをみても、文学をさらっても、俺のこの恋の仕方が正しいとされているものなんて、どこにだってないのだから。
 ねぇ、『好き』だってことでしょう? 恋ってつまり、すごく好きだってことでしょう? 違うの? 好きなだけじゃあだめなの? なにがいけないの? どうしたら正しく愛せるの? どうしたら俺は……『正しく』……。
 『何だっていい』じゃんか、俺を愛してくれるものなら、恋する相手なんてなんだって。
 それは、いけないことなの?
 きっと誰かがそのうち、ああおかしいことなんだぜって、言いにくるんだ。俺はそれがわかってるし、わかってるから、そういうことを言われる前にはぐらかす。逃げる。
 けれど。
 砂糖をたっぷり入れたコーヒーを再び隣人の前に出す。
 この人から俺が逃げる、ということはきっと、できない。
 他人から見れば『大間違い』の恋でも、俺にとってはどうしようもなく、『本物』なのだ。
 ああ、それでも。
 こんなに心臓と頭の痛む恋は、これがはじめてだ。
 これがもし、俗に言うホンモノってやつで、これこそ恋だと言うのなら……。恋ほどつらいものもないな。

「残りの質問に答えよう」

 正面から視線を送った俺に、隣人はちょっとだけ笑った。
 ……この人になんと言われて、俺の恋が終わるのだとしても、……それでこの人の名前が教えてもらえるなら、失恋くらい悪くないかもしれないと、馬鹿なことが一瞬頭をよぎった。

「……お前はまだ、『隣人』が好きなんだな」
「…………『君』のことも同じくらい、好きだよ」
「へぇ」
「……だって、こういう恋の仕方しか、してこなかったんだ。俺は前の恋を引きずらないと、次の恋ができないんだよ。ねぇ、好きじゃなくなるって、簡単なことではないんだよ。……君のことを指すのではないほうの『隣人』への恋は、君にも恋をして、君に手ひどくフられたときに、初めて終わるんだ。いつも、そうだった」
「……理解の効く話ではないが……まぁいい。そうだな……、それじゃ、どう言おうか……」

 『心底面倒』という表情を隠さないで、隣人はまだ湯気のたつコーヒーカップを口元に運んで、一口やはり舐めるように飲み、「まずい」と零した。対抗するわけじゃあないが、俺も『不可解』という表情は隠さなかった。隣人はこっちを見て笑ったから、それもまた『不可解』だった。俺がどんなに笑いかけても、そんな笑みをこぼしてくれなことなんてなかったのに!

「……あー……そう、だな……まず……お前は本当に、俺が『好き』、なのか?」

 隣人にしてはめずらしく、歯切れ悪く言葉をつむぐ。対して俺は一応の心の準備というやつを、二杯目のコーヒーを入れながら済ませたところであったので、よどみなく答えられることができるはずだった。けれど一瞬、たった一瞬、胸のところでなにかつっかえたような気がして、舌がおりた。気の抜けた声になってしまった。

「……そうだよ」
「そうか。だが、お前の今までの話を聞いて、納得できる人間がいるかといったら、そうじゃあないぜ。わかるか」
「…………何故」
「いちいちお前の相槌を待ちながら少しずつ話していくのも面倒だからいっぺんに言わせて貰うが、お前は『恋』がしたいだけで、俺が好きなんじゃあない。『恋』をしていないと不安で不安でたまらないんだろう。だから『恋』の相手は誰でも良いんだ。俺じゃあなくても、隣に住んでいる女でなくても、勿論ピラミッドでもエッフェル塔でなくても、なんでもよかった。……君はどうして恋がしたいと思ったんだ?」
「……っ、なんだよ、確かに『手段』だ。愛してもらうための手段だよ、恋は。誰でもいい恋だけれど、好きって気持ちが嘘なわけないだろ。バカにしてるのか」
「こっちの台詞だ。バカにしてるのか。こんなに甘ったるいコーヒーを出す人間をどうやって好ける。『手段』にすらなっていないのに気が付かないのか。お前が何年もしてきた『愛してもらうための手段』というやつが、とっくの昔に失敗していることから、どうして目をそらす」
「君が好きだよ!!」

 声を大にして叫んだ言葉が、嘘じゃあないこと。それがどうして目の前のこの人にわかってもらえないのだろう。しんと熱くなった目頭をとっさに押さえつけた。自分の声が頭に響いた。

「君好みのコーヒーを入れることは、俺にはできない……! だって君を好きになったのは、俺がその前に『隣人』を好きだったからで、それナシに君への恋は成立しなかったんだ……。君をきちんと見ることは、できないよっ、できないけど……。できなくても君が好きだ……。好きだよ……。違うのか、これが、間違いなのか……。好きだって、伝えたら、ちょっとは相手にも好きになってもらえるものじゃあないのか」
「知らん」
「こうしてればいつか、だれかが、おれをすきになってくれるだろ……」
「…………」
「なんだよ……。なんにもっ……おかしいところなんてないじゃないか……君はちゃんと人間だし……おかしい恋なんかしてないだろ……がんばっただろ、俺……俺は……!」
「……無駄だ」
「やめろ……言うな……」
「『君は誰にも愛されない』」
「言うなッつってんだろ!」

 がたんとイスが音をたてた。いろいろなものが積み重なっている壁を背中に隣人が立っていて、彼の肩に俺の手がある。その手は隣人を壁に押し付けている。強制的に立ち上がらされたのと、壁に押し付けられたので、隣人は一瞬こっちを鋭く睨んだが、なにかを思い出したように、その目を閉じる。
 壁際に積んであった俺のガラクタが、床にいくつか転げ落ちていった。




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