▼ さようならのその先で03
静かな夜を感じていた。ディエゴの言葉に体が電気を通されたみたいにびりびりしていた。ずっと貴方の言葉が欲しかったんだ。生きている貴方がいるという事実が欲しかったんだ。
「……私は、貴方になにもできなかった」
「……」
「……遺体を集める手助けもしなかった。というか遺体の破壊まで目論んでいた。そうしたのは私自身の意思だ。後悔なんてしてない。けど、……そんな私に、こんな……」
おさえこんでいた涙が溢れる。ディエゴがもう私の目を塞いだりしなかった。声が震えた。
「……貴方になにもしてあげれなかった私が、今、こうやって、あの時の記憶と、同じくあの時の記憶をもっている貴方という存在を得てしまっていいのか……わからないんだ」
「……君らしくないな」
ディエゴはちょっとだけ笑う気配をみせる。
「なぁ、俺が君に図書館で話しかけたのは、あの旅のことを君が覚えていて、俺のことも……同じように覚えているのではないかと思っただけだ。物心ついたころから、君とした旅の記憶は……いや、記憶なんかじゃあないな。君と旅をしたという実感が、俺の中にあった。けど、だからってまた君を探すこともしなかったし、この大学にきて君を見つけても、関わろうとは思わなかった、何故だかわかるか?」
「……貴方の人生に私が必要ないからだ。貴方はいつも必要なものだけ選択していく。無駄が嫌いだからな」
「……まったく変わってないな。まぁいい。教えてやる。俺の近くに居たら、君は怪我をするからだ」
「……?」
「君は君のために生きている。自分の利益になる行動しかとらない。俺はそういう君が好きだし、君がそういう風に生きてくれたら良いと思った。だから君をそういう人間にしたつもりだ。さっきから不思議そうにしているが、もしかして覚えていないのか? フィラデルフィアで君は自殺しようとした」
「……あれは……だって、大統領と戦ってたんだろ? 私がいたら邪魔だ」
「自分の利益はどこにいったんだ」
「貴方の邪魔になるくらいなら、そうする」
「ほらな。君はちょっと俺のことが好きすぎるんだよ」
「すっ……」
「君がそう言ったんだぞ。大好き、だっけ?」
「覚えてないな!」
「都合のいいところだけ記憶にないフリをするな。まぁ君がそんなんだと知っていたから、俺は君を側になんか置きたくなかった。……で? 『キト』はどう答える」
ふるふると、体が小刻みに震えるのがわかった。寒いからでも、悲しいからでも、怖いからでもない。腹が立つからだ。
「そんなくだらない理由で側に置きたくないとか言われるんだったら、今ここでダイナマイトをまた調達して自殺の準備でもしてやろうか! 私に死んで欲しくなかったら側に置け。共に居ることを許可しろよ! 貴方と一緒に入れないんだったら、生きてたって……!!」
それでも私は、生きたけど。
貴方を失ってから、何十年も。
……貴方の分まで、生き抜いたけれど。
「……生きてたって楽しくなんか……っ」
けれど、貴方を失ってからの何十年間のことなんて。ほとんど覚えていないんだよ。どうしてだか、わかるか?
それが大事な記憶にはなりえなかったからだ。
だって、貴方がいない。
「ほらな、それが君だ」
どこからか手が伸びてきた。すぐ隣からだ。誰かの両腕に引き寄せられる。とてもなつかしい感じがした。ディエゴは私を抱きしめ、というより半ば動きを封じるように押さえつけたまま、私の耳元で言葉を続ける。
「カンザス・シティを抜けた草原で、怪我も完治してないのに俺に追いついてきて、契約書の破棄で取引を持ちかけたときだって、そうだ。資格とか、価値とか、あってもなくても、君はがむしゃらになって、俺についてきた。それが今更、なんだ。君が俺にできることなんてあろうがなかろうが、君は俺と生きるんだよ。駄々こねやがって……。……なぁ、俺と生きるだろ、キト。もう俺は君と関わってしまったんだし、こちらは引き返さないぜ。……そうじゃなければ楽しくないんだろう?」
じわりと、涙が新たに滲んだ。
生きる、ということを。
してもいいのか。
貴方はあんなに早く、命を失って。私だけがのうのうと、その先何十年も生き延びた。
それなのに。
一緒に行くのでもなく?
もう、どこにも旅なんか、レースなんか、ないのに?
それでも貴方と居て良いのか。
「……運命なんて言葉は、あまり好きではないんだが……」
「……」
「俺がたまたま図書室で眠っている君を見つけて、君の手元にあのレースに関する本があった。そうでなければ君が、あの旅の記憶をもっているだなんて俺は思いもしないし……だから君に話しかけてみようなんて思わなかった。あの偶然を運命だって呼ぶなら、俺はそれに乗るぜ。今度こそ絶対に君と生きる。そのためのアタリくじを引いたんだ。君はどうする? この運命……あるいはそうだな、宿命、と言い換えてもいい。これに抗うか?」
「……愚問。乗るんでも抗うのでもなく、自分のものにしてみせる。運命も宿命も私のものだ。だからあのとき、SBRレースに関する本を私が開いていたのは、……私が貴方に会いたかったからに違いない」
「……、」
「……なんだよ……」
「……それは、OKってことかい?」
「……?」
「『俺と生きろ』、の」
「OKもなにも、こちらから要求だ。『私を側に置け』、条件はなんでもいいよ」
「……気変わりの早い奴……」
「なんとでも言え。それで? 条件は?」
「そんなものあると思うのか。こちらとしても願ったり叶ったりなんだ……これ以上なにを望めって……」
「貴方らしくないな」
「……」
抱きしめる力が強くなる。潰されそうになってもがくが、離してなんかくれなかった。あわてててきとうに謝ると、ディエゴは深い溜息をつく。なんだか今日は呆れられてばかりみたいだ。
「じゃあ君は今日から俺の自宅に居候しろと言っても頷けるのか?」
「…………え、」
「ほら見ろ。なんでもいいとか言っておいて、対応できていないじゃないか」
「だって側に置けってべつに一緒に住んでって意味じゃあないもん……」
「じゃあなんだ」
「聞くのか……」
私はディエゴの腕の中で、しばらく考える。彼と一緒にいて、なにがしたいのか、ってことか。
そんなの……。
「また旅がしたい」
「……は……」
「その、あー、だって、貴方、マンハッタンにたどりつく前に、その……。だから、ちゃんと、貴方と、旅を、終えてみたくて……」
「……旅って……また君が川に落ちたりするのか……?」
「あ、いや、その、なんでもいいんだ。二人でどっかいこう。旅行ってやつだよ」
「ああ……」
遂げられなかった想いの、その先に。
今度こそ一緒に行けたら良いな、って。
……ちょっとだけ、思っただけ、なんだけど……。
「わかった」
「いいの?」
「どこへでも行ってやるさ。次の長期休暇までにプランを組んでおけよ」
「ほんとに?」
「……このくらいではしゃぐな。子供じゃあないんだから」
「……っ! ありがとう……!」
無理矢理両手をディエゴの拘束下から逃して、彼を思いっきり抱きしめる。ディエゴは一瞬驚いたような声をあげて、すぐにいくつか私の突然の行動に対する文句を言ってきた。聞こえなかったふりをすることにした。だいたいやめて欲しかったら貴方こそこの腕を解いてくれたらいいのだ。ディエゴの服に顔をうずめて、大好き、と小さく呟いてみたのだけれど、聞こえていただろうか?
案外この人も私の事嫌いじゃあないのだろうと思えて、なんだか嬉しかった。
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