楽園偏愛録 | ナノ


▼ さようならのその先で01

 映画を見た。シスターが見ようと言って、時代遅れのビデオテープをセットした。施設のほかの子供たちがわらわらと集まってきた。私は後ろの方で三角座りをして、じっとそれを見ていた。子供たちに見せるにしてはすこし悲しい話かもしれないと私は思った。男が死に、妻が自殺する。男は天国で暮らすことができるが、自殺した妻は地獄行きだ。男は妻を救うために地獄へ向かう……。天国の幻想的で、絵の中のような光景は子供たちのこころをひきつけたが、私は退屈していた。だって、ヒーローがいない。あの妻を救おうとしている男はヒーローだろうか? そうかもしれない。でも、ちがう。足りない。なにかが足りないのだ。ヒーローが必要なんだ。この世界をおもしろいものにするためには。
 幼い私は納得しようとしていた。これはこういうものなんだ。今見ているこの映画は充分におもしろいものなのだと。しかし納得できなかった。
 だってヒーローがいないじゃないか。
 ふつう、子供には親というものが存在するものらしい。施設の子供たちはみんなそういうのがいないか、いても面倒を見てもらえなくなったとかで、優しいシスターでもたくさんの子供たちとでもなく、親というものと共に暮らし、成長していくものららしいのだ。しかし私たちにはどう足掻いてもそんなものは存在し得ない。では他のものが必要だ。それは一緒に暮らすたくさんの子供たちかもしれないし、聖母のようなあたたかい微笑をくれるシスターたちかもしれない。
 しかし、NO,断る。
 私に必要なのはヒーローだ。
 心の底に、そんな思いがあった。なぜかはわからない。アメコミにはまってたとかじゃあない。キャプテン・アメリカにも憧れないさ。
 ただ、誰かが。
 私の人生に決定的に『誰か』が欠けている。そういう認識があった。そのXが、ヒーローだ。
 なんでヒーローなんだかよくわからないが。
 とにかくそんな、妙な物足りなさを感じながら、映画はもうラストシーンだ。どろんとした気分でただ画面に目を向ける。
 男が妻になにか言っていた。明瞭には聞こえない。
『こんなに広い地獄の――でまた巡りあえ――だ、――で出会えないはずがない』
 聞こえないふりをした。奇跡的な確立のアタリくじは、きっともう引かれてしまっているのだ。
 私は彼にはもう会えない。



 すごく昔のことを思い出した。いや、そんなに昔でもないか? 映画をみたときのことだ。内容はあんまり覚えていないけど、ラストシーンだけは頭に浮かぶ。顔をあげる。テーブルの上に伏して寝てしまっていたのか。図書館の中の丁度いい温度の中で、もう一眠りしてしまうこともできたが、それもどうなのだ。だいたい課題がまだ終わっていない。とある町の経済成長について調べていたところだった。そのきっかけはなんだったのか。どんな偶然、あるいは戦略があったのかを調べ、それを利用することはできないか、というレポートを書くつもりだった。幸いにして紙類などを下敷きに寝てしまったようではなく、ルーズリーフの端が腕のしたで皺になってしまっているくらいだった。
 はぁ、と溜息をつこうとして、正面の席に人が座っていたことに気が付く。
 びくりと肩が震えた。私がよほど寝過ごしていなければ今はまだ土曜日とはいえ午前中で、大学の図書館に人はあまりいない。大きなテーブルもいくつか空いているはずだった。わざわざ誰かが座っているその正面にいる必要なんてどこにもないのだ。
 目線をテーブルの上に向けたまま、ゆっくりとその人間を観察しに掛かる。その人の手元だけが視界にうつる。本などは読んでいない様子だ。ここ涼しいからな。まったりできるし、用もないのに図書館に来る人は、よくいる。

「目は覚めたのか?」
「え、」

 おもわず一気に視線をあげて、正面にいる人間と目があった。初めて見る顔だった。少なくとも同じ学部ではないだろう。こんな男が居たような気はしない。
 急に顔をあげたからか、ぐらりと視界がゆれ、めまいがした。頭を抑えていると、溜息のような声が聞こえてくる。

「その本」

 そう言って指差されたのは、私の手元にあったものだった。『スティール・ボール・ラン全レース記録』と表紙には書かれている。とある町の経済成長について調べていたところ、このレースのチェックポイントになった際の観光収入が大きかったのではないかと思ったので調べていたのだ。膨大な記録のなかから見つかることはやはりレースの結果の詳細などで、町の経済成長に繋がったような記述はされていない。レースの記録といっても、このレースに参加していた一人の人物によって書き上げられたものであるらしいし、公式のものではないのかもしれない。参考にはならないと思って、後で棚に返しに行く予定だった。

「この本が、なに?」
「君に必要なかったのなら、俺が借りたいと思ってな」
「ああ、そっか。起きるの待っててもらってごめん。起こしてくれてよかったのに」
「……もらうぞ」
「うん」

 私から本を受け取ると、男は座ったままページを開き始める。席、移動したりはしないのか。まぁ、今からそうするのもあれだし、あたりまえか……。腕時計に目をやると、今日の分の講義が始まるまでまだ時間があった。学食に行こうと思っていたけれど、なんとなくこのままここでレポートを作る作業を続けた方がいいような気がして、居座ることにした。
 ぱらぱらと本のページを捲る音が聞こえてくる。他人が近くにいる、という感覚はあまりいいものではないと思っていたが、案外心地良いものだな。

「君はどうして、この本を?」

 本に視線を向けたまま、男が聞く。自分に話しかけられているとわからないで、沈黙をつくっていると、彼はちらりとこちらに視線を向けた。確かにめずらしいかもしれない。レースの記録。乗馬が好きな人とかじゃあないと気にもとめないようなものだ。あ、じゃあこのひと乗馬好きなのかな? そんで私もそうだと思われてんのかな?
 若干申し訳ないような気持ちを抱えつつ、答える。

「そのレースの存在が、ある町の経済成長に関係あるんじゃないかと思って……。当時の様子がどんなだったか知りたかったんだけど、まぁ当然レースのことしか書いてなかったから……」
「……また金絡みか」
「? うん」
「相変わらずだな。名前は?」
「……キト」

 相変わらずって、なにがだろうか。よくわからなくて首をひねる。名前を聞いて頷いてから、満足げに目の前の男は読書を再開しだしたので、あわててたずねる。

「貴方は?」
「……ディエゴ」

 どこかで聞いたことのある名前だと思った。さっきの本に載っていたのかもしれない。ふぅんと頷く以外にリアクションのしようもなく、私は黙々とレポートを書き進めていった。
 不意打ちのように、ディエゴは声をかけてくる。

「君の最終講義が終わるのは何時だ?」
「え……と、今日は、ろくじはん……?」
「終わったら食堂前に来い」
「な、なんで」
「なんとなくだ」

 なんとなく、とか。そんなこと言う人だったかよ、貴方――――と。
 思わず言いたくなった脳に、固まる。
 無遠慮に目の前の人間を見つめた。
 今は、帽子も被ってないし、手袋もしていないし……馬に乗ってもいないけど。
 私はこの人を知っている。
 どうしてだろう。
 なんで……。
 なんでこんな、初めて会った人間に……。

 ああ、この人が私のヒーローだ、と。
 強く思うのは、どうしてだろう。




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