楽園偏愛録 | ナノ


▼ ある世界、ある二人

 別れ際、苦し紛れにつかんだ貴方の腕が熱かった。
 だから私は、この手を離したら二度と会えないんじゃないかなんて、死んでも思えなかったんだ。


 ハンググライダーを背負って歩くと、目立つ。あれはなんだろうって好奇の目。邪魔だし危ないからはやくどっかに行ってくれないかなって邪魔に思う目。いろいろだ。まぁとにかく、目立つ。縦に長いからな。慣れていない人間がひとりで背負って歩くとよたつくし、危険だってのも間違いじゃあない。いや、慣れていなくたって、この程度のものひょいと抱え上げてしまう人もいるか。
 この街に来るのは久しぶりだった。戻ってくるのは、と言うのには、まだ少し抵抗がある。私にもし戻ってくる場所があるなら、それは自分の故郷だけのように思える。そしてその故郷はまだ見つかっていない。世界中を旅して探してはいるけれど、旅そのものを楽しみすぎて、どっかで見落としてやいないか、心配だ。
 もし私の故郷が見つからなくても、それはそれでアリな未来だ、とは思う。だが満足なんかしていないから、私は旅を続けなくちゃあいけない。
 見慣れているのかどうかまだ曖昧な街の風景を、一枚、写真におさめる。このへんだとどこに現像を頼んだらいいんだろう。道中撮ったものもお願いしないとな。
 しばらく道に沿って歩いていく。事前に連絡くらい入れるべきだっただろうか。でも、きっちり予定の決まってる旅じゃあない。いけるところまで行く。たったそれしか、決めていない。
 とりあえず宿をとろう。ここにどれくらい滞在することになるのかはわからないが、せっかく人が大勢いるんだ。金稼ぎもしたい。
 そう思って歩いていくと、周りの人間がわずかに、道の端によって歩こうとするのがわかった。道路の真ん中を馬車が通りでもするんだろう。ハンググライダーを背負っているせいで、まわりの人間よりもわずかに行動が遅れる。あわてて自分も端に寄ろうと思って、つい焦ってしまった。ぐらりとバランスがくずれる。背中のハンググライダーが重たい。しまった、倒れる。誰かが危ない、と口にするのが聞こえた。受身だけでもとれないかと思って、荷物を抱えていた手を空けようと思った時、ふいに自分の体が固定されるのを感じた。ハンググライダーごと倒れていくはずなのに、そうなっていない。というかハンググライダーが倒れていかず、逆にそれによって私の体が支えられているようであった。
 ぐるりと首を回して、背中の方を見る。そのまえに馬の蹄を目にした。それだけでもう、誰だかわかってしまう。

「……キト、か?」
「あ、……えっと、ひさしぶり……ディエゴ」

 そう、ひさしぶりに。
 見上げた顔は、すこし不機嫌そうに眉を寄せている。シルバー・バレットに乗って、どこかに行くところだったらしい。彼の片手ががっちりと、バランスを崩しかけたハンググライダーをつかんでいる。はっとして、私はあわてて体勢をたてなおした。ディエゴが手を放す。そのまま小言のひとつやふたつ吐かれるかと思ったのだけれど、彼は馬からさっと地面に降り立って、それからちょっとだけ身を屈ませて、私と視線を合わせる。あいっかわらずなに考えてるかよくわからないすまし顔で。

「おかえり」

 それでも告げられた言葉が妙に優しげだったから、思わず口をつぐんでしまう。二の句をつげないでいると、私の反応なんかどうでもいいようで、ディエゴは馬を引いて歩き出す。それをぼんやり眺めているつもりが、いつのまにか手を引かれていて、前につんのめるように、私もそれについていくかたちになってしまう。

「どこに、てか、どこか行く途中だったんじゃ……」
「宿はもうとったか?」
「……まだ」
「ふぅん、じゃあ、俺の部屋でもいいか」
「なにが」
「君の宿」
「…………」
「ソファーかベッドか選べ」
「ソファーで……。……条件は?」
「夜どおしテーブルゲームだ。つきあえ」
「寝れないじゃないか! なんのためにベッドかソファーを選ばせたんだよ」
「不満か?」
「……いや、いい……」
「……しなくたっていい」
「……?」
「君は無償で部屋を貸されるのが嫌がるだろうから、適当に条件をつけただけだ。俺は君を部屋に呼べればなんでもいい」
「なっ……」

 しばらく会わないうちに、ずいぶんと臆面ない……、いや、元々か……。
 そう言われると、どう答えたらいいか、迷う。

「……、待って、私が貴方の部屋に行くことに、貴方にとってなんのメリットが……」
「またそれか。いい加減にしただろうだ。君が宿をとったとして、俺がそこに出向くよりも、君があらかじめ俺の近くに居た方が効率がいいだろう」
「……ああ、うん。……なんか」

 あのときと同じ会話してる。
 私は、旅の記憶を、思い出す。ずっとずっと遠い記憶になってしまったようにも思えるのに、ふと振り返った時に、その記憶はいつもそこにある。
 あの、長い長い旅の記憶。
 ディエゴと共に、終えた旅。
 あのとき貴方は、自分と別の安い宿なんかとってないで、自分と同じホテルをとれと言ったっけ。わざわざ足を運ぶのが面倒だから……。
 貴方はまだ、覚えているだろうか。
 あの旅の記憶。

 願いはあった。
 どんな形でもいいから、貴方に生きててほしかった。もう一度会って、話をしたかった。

 ……ふと、立ち止まる。そんなことを願っただろうか。悲痛に、切実に、そんなことを願ったことがあっただろうか。いつだってディエゴはしぶとく生きているし、だからこそ、彼にもう会えないんじゃないかなんて、思ったこともなかった。願いは必要ない。願わなくたって、叶っている。
 なら、今、私の脳裏を掠めた、この願いは、なんだろう?
 
「……キト、どうした」
「ん……なんでもない」

 立ち止まった私を不思議そうに見て、ディエゴは視線をあげる。ついたぞ、と彼の口から言葉がもれた。彼の暮らしている場所に到着したらしい。どこかに立てかけておくからと言って、ディエゴは私からハンググライダーをとりあげた。シルバー・バレットもどこかにつないでくるのだろう。彼はその場から去っていき、私はひとり、残される。
 この街に立ち寄る予定は、本当はなかった。予定のない旅だとて、それでも無理があるような道のとり方はしない。ただ唐突に、ここに来なければいけないと、胸がさわいだ。自分でもわけのわからないまま、ディエゴに会いにきたんだ。
 彼に会って、なにがしたかったかっていうと。
 ……これがまた、小っ恥ずかしい『願い』だと、自分で思う。
 だって、会おうと思えばいつだって会える。なのに、今この時、と急くことがあるなんて……。

 貴方に会いたい、と。
 探して、見つけて、抱きしめて、名前を呼びたい。

 まるで。
 まるでもうすでに貴方を……なくしてしまったかのような、痛々しい、願いが。
 唐突に押し寄せてきたのだ。
 でも、まぁ。
 悪くはないかな、と思う。
 だから私は、無理な進路をとってでも、この街に、……帰ってきたんだ。
 貴方のいる場所へ。
 まるで自分ではない誰かの願いを、叶えてあげるみたいに、妙にやさしい気持ちでね。
 シルバー・バレットと私のハンググライダーを置いてきたらしいディエゴが、こちらに向かってくるのが見えた。妙に気恥ずかしい気がして、うつむく。鞄を地面に置いて、身軽になる。

「……ねぇ、ひとつお願いがあるんだけど」
「……どうした?」
「つきとばしたりしないでね」

 そう言ってから、ディエゴに駆け寄る。やや体当たり気味に彼に抱きつくと、面食らった様で、驚きの声があがる。めずらしい、貴方がびっくりするなんて。
 しばらくそうしていると、溜息をついてから、ディエゴが私の背中と頭の上に、やんわりと手を伸ばす。子供をあやすように、ぽんぽん、と軽く頭をたたかれて、それがどうにもなつかしい気がして、つん、と鼻の奥がしびれるような感覚がした。

「ただいま、ディエゴ」

 この街が、私の故郷のかわりになんかならないことは、わかってる。だからこそ私は故郷を探して旅を続けるのだ。
 けれど、貴方のことを。私の帰れる場所だと、思っても……いいだろうか。
 ディエゴが喉の奥で笑うのが聞こえた。それから彼は、言うのが遅い、と毒づいて、

「おかえり、キト」

 それでも二回目の言葉を、くれた。




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