楽園偏愛録 | ナノ


▼ 夜

 二人分の部屋を取ると、ふたつ続いた部屋をあてがわれることが多い。キトはまったく気にしてはいないが、隣の部屋の物音くらい、俺にはすぐわかる。彼女が今なにしてるのかも、だいたい。
 それを告げたとしても、キトはああと頷いて、やっぱり耳いいね、と言うだけだ。俺だったらの話だが……、他人に自分の行動が筒抜け、なんて状況はゴメンだ。彼女にはチビの恐竜を一匹持たせてある。そいつに触れれば、俺といない間彼女がなにをしていたかなんて、すぐにわかる。なのにキトは、その恐竜を手放さない。俺に隠し事はするくせに、俺に自分の行動がすべて知られているという状況に、何故甘んじるのか。
 まったくわからない。

 眠りは浅い。すぐに目が覚める。小さな物音で起きてしまうなんて、小心者っぽくて気に食わないが、今目が覚めたのは、キトが部屋を出て行く音を聞いたからだ。
 ドアを開けて、それから閉める音がした。彼女の足音が、遠ざかっていくのがわかる。
 カーテの隙間からは、ほんのわずかに月明かりが漏れているだけで、まだ夜が明けるような時間帯ではないことがわかる。
 キトが夜中に、どこかに行くということは、わりとよくある。彼女は宿のあるような村や町についたら、とりあえずなによりもまずはじめに金稼ぎをしたがる。夜に出かけることも少なくはない。けれどそういうときには、会話のどこかでさりげない風に、夜に出かけてくるというようなことを、きちんと俺に伝えてから出て行くことが多かった。もちろんいちいち俺に告げて出て行く必要なんてないし、なにも言わないで夜の町に繰り出すということも彼女には不思議ではない。
 しかし、だ。
 自分の部屋のドアを開ける。薄暗い廊下に、キトの残していった匂いがのこっている。けれどこれは彼女のにおいではない。鼻をついたのは甘ったるい、花のような香りだった。ミツバチを吸い寄せるような、あの。
 わざわざ自分の「におい」を変えてまで、彼女はどこに行った?


 街灯がぽつりぽつりと、周辺の光景を薄く照らしていっている。キトの残していった香りは、そういった明かりのない場所へ続いていた。
 路地裏。
 ……確か、キトの昔の、二つ目の取引先の子供たちも、そういったところに居たんだったな。だから彼女にとって、そういった場所はトラウマに近いものなのかと思っていたが、そうでもないのか。
 ひとつ、道を曲がってしまうと、恐竜の嗅覚が悲鳴をあげるくらいの甘ったるい香りに、そこは満ちていた。
 路地裏なんて、だいたいそんなものだ。
 しかし、この中ではキトのにおいだけを追うのは難しい。というか俺は、何故自分の睡眠時間を削ってまで、彼女を探しにきているんだ。
 それよりも。
 キトはこんな場所になんの用があって……

「お兄さん、今夜はどんな娘をお探しで?」

 下から声がした。足元に娼婦の格好をした女がひとり座り込んでいる。この路地裏の案内人とでも言うべき人間か。フードのようなものをかぶっており、顔はよく見えない。結いもせず流されたままの髪が、ほんの少し覗いているだけだ。
 芝居がかった台詞と声には、嫌になるくらいの聞き覚えがある。

「君、そんな衣装を持っていたのか。知らなかったな」
「今日の夕方に、頂いたばかりだからね……、で、どうしてここに?」
「こちらの台詞だ。……君は、こういうことでは金を稼がない人間と思っていた。わりとなんでもやるんだな」
「形振り構っていた覚えないけどね、私……、って、ねぇ、なんか怒ってる?」
「怒っているとかそういうのじゃあ……、ただ、翌日に支障がでることはやめろ」
「……べつに寝不足くらいなんとも……って、ああ、そうか」

 キトはあたりをきょろきょろ見回してから、耳を貸してよ、と言う。そんなことしなくたって俺に聞こえない君の声なんかない。そう思いつつも、身を屈めて、彼女に寄せる。彼女の服の袖からのぞく指の爪に、装飾がほどこしてあるのが見えた。わりと完璧に『そう』見せたいわけだ。

「貴方ひとつ誤解をしてる。べつに娼婦の真似事をしてるわけじゃあない。というか、今更娼婦になんてなれないよ、私。彼女たちには彼女たちの技術があって、誇りがあって、私なんかがそう安々とできるコトじゃあないんだ」
「じゃあ、なにを?」
「ボディーガードみたいなことかな……。昼間、彼女たちのうちの一人と知り合いになって、頼まれたんだ。私は銃を持っているし……。最近、乱暴な男が現れるらしいんだよ。彼女たちは困ってる。その男の特徴を私は教えてもらって、そういう奴が現れたら、銃で脅してでも追い返すってことになってる。イカツイ男を見張りに立たせたんじゃあ、普通の客まで寄り付かなくなってしまうからね。一晩だけでもいいならって、私が引き受けることにしたんだ」
「……馬鹿じゃないのか」

 できないくせに? なれないくせに? そこに居たら君も、そういう人間に見られるのに? そうなったらどうするつもりなのか、一ミリも考えていないんじゃあないかと思う。

「君のことだから、報酬がよかったとかなのか? 一晩だけなのに」
「いや……ただ……」

 何人かの若い男が、路地裏に入ってくる。路地裏といってもそんなに狭いわけじゃあないが、キトは俺を引き寄せたまま、他の客の邪魔にならないようにしろと言う。何様だ。

「……ああ、ええっと、まぁ、もうそれでいいや。報酬がよかった。それだけ」
「俺に嘘か?」
「だって……」

 言いかけて、キトは息を呑む。彼女の視線の先を追う。男がひとり路地裏に向かってきているようだった。なんてことのないただの男に見えるが、彼女にとってはそうじゃあないらしい。

「あいつか? 君が追い払うべき男」
「暗くてよくわからない……。もうちょっと近づいてくるのを待つ。貴方はここから離れていて。客でもない人間がいると不審がられそう」
「……どのくらい近づいてくればわかる? あと何秒だ?」
「……30秒」
「OK じゃあ30秒だけ君の客になってやる」
「いや、えっ、」

 軽く悲鳴に変わりそうな声をあげるキトの口を塞いで、服から覗いていた彼女の肩口に顔をうずめる。ここが彼女の面白くないところなのだが、動揺したのは一瞬らしく、すぐに黙って俺の首に腕をまわしてくる。目線は路地裏の入口に向いているようだ。彼女の口を塞いでいた手をよけて、どうにもそちらは手持ち無沙汰だったらしい彼女の空いた手を壁におしつける。はぁ、と、キトの口から溜息がもれる。笑っているようにも聞こえた。

「ずいぶん強引な客だね」
「色気のない娼婦」
「いやだから……ああもう。あの男が来た。教えてもらった特徴と一致する。奴を追い払うよ」
「……あの男だな?」

 キトの手を引いて立ち上がる。すると丁度、路地裏に入ってこようとしていた男の進路を塞ぐ形になる。
 自分の体の一部を、悟られないうちに恐竜化させる。横にひねった足をずいと前に出す。それが男の足元をすくうことになり、よろめいたところで胸倉をつかんだ。

「ディエゴ?!」
「君より俺のほうがうまくやれる。……部屋に戻っていろ」
「なっ……」

 男がうめいて、なにかを言っている。悪いが、愚者の言葉を聞くつもりはない。キトに視線を向ける。服の下に銃を隠し持ったまま、逡巡するように俺と、俺につかまれている男の顔とを見比べて、それからまたひとつ、溜息をついた。彼女の口元が動いて、なにかを言う。聞き取れたのはきっと、恐竜化した俺の聴覚だけだっただろう。

「……私がやらなくちゃあ意味がないんだよ……」

 キトはかぶっていたフードをよけて、素顔をさらす。夜闇のなかにぼんやりと浮かんだ顔は、ああ、演技をしてるときの顔だ。やれやれと、こっちが溜息つきたくなる。彼女は、男をつかんでいる俺の腕にやんわり触れる。

「……他のお客に手を出すことは止めていただけないかしら。常連だからって、甘く見ないわ」
「……へぇ、俺だって客だぜ。命令するのか?」
「だから、お願いしてるの。その手を離してちょうだい。そちらだって大事なお客様よ」
「……君に免じて」
「ありがとう」

 彼女にあわせて、茶番を演じる。ほんとうに一人で乗り切るつもりか、この馬鹿は。いってやりたいことはいろいろあったが、まぁいい。やりたいようにさせてやる。
 かちゃりと、彼女の袖の下で、引き金に指があてがわれる音がした。目の前の男はただの人間の聴覚しかもっていないから、そんなことには気がつけない。
 さて、と言って、キトは俺から視線をはずし、男のほうに向き直る。

「怪我はない? ごめんなさいね。今日はたっぷりサービスするから、許してくれない?」

 私の部屋にきて、と唇に指をあてながら、彼女はうそぶく。男は疑いもなく、最後に俺に一瞥くれてから、キトについていく。彼女たちが去っていくのを見届けてから、やっと俺は溜息をついて、くだらない、と口にした。

 



 ホテルに戻ってから一時間もしないうちに、ドアを控えめにノックする音がした。鍵は空いていると告げると、娼婦らしき格好のままのキトが顔を覗かせる。花のような甘ったるいにおいもそのままだ。

「……ディエゴ、さっきはその、ごめん」
「ああ。誰が常連だ。俺は色欲魔か」
「えっ、そこ?」
「……男はどうした?」
「路地裏よりもひと気のないところに連れて行って銃で脅したから、しばらくあの路地裏には近づけないと思う。娼婦が銃を持ってるっていう認識がインプットされたはずだし
「……そうか」
「ねぇ、なにに怒ってるの?」

 人の気持ちも解さないくせに、機嫌には敏感ときてる。面倒な女だ、ほんとうに。
 銃ひとつ手にしたくらいで、奢るような人間じゃあないだろう。だから、武器を手にしていたって、男と女じゃあどっちが有利かなんて、考えればすぐにわかることだ。

「……手に持っているのは?」

 質問には答えずに、逆に聞く。キトはなにか言いたそうにしたが、その言葉は飲み込まれた。報酬だ、と言って、掲げられたのはワインボトルだった。栓はあけられていない。

「報酬?」
「今日の仕事のね。金は出せないけど、酒なら隠し持ってるのがあるから、それで引き受けてくれないかって……」
「……じゃあ、君は金が手に入りもしないのに、あの仕事を引き受けたのか?」
「……昔、一度だけ銃を売ったことがあるって、話したっけ。子供たちに」
「……ああ」
「あの子供たちも、路地裏の住人だった。乱暴な大人に怯えて、銃を欲しがった。そして死んでいった」

 キトはドアを閉めて、部屋の中央にあるテーブルの上に、銃を置いた。ごとりと重たい音がする。

「私が今、銃を売る人間じゃあなくて、銃をつかえる人間だってことに、なにか意味があるんじゃないかと思ったんだ。今度こそ、路地裏の住人を守れるんじゃないかって……私が……。それがなにになるとかってわけじゃあないんだけど……なんていうか」
「……だから、俺の助けを拒否したんだな」
「ん……、というか、貴方が助けに入ってくれるなんて思ってなかった。びっくりした」
「ああいう男は銃までとはいかなくてもナイフくらい持っている。君なんか油断したらざっくりだ」
「まぁ、そうだけど……。でもあの仕事を頼まれた時、やらないわけにはいかないと思ったんだ。やり遂げなくちゃあいけないと。……そういえばどうして貴方はあの路地裏にいたの?」
「君が部屋から出て行くのがわかったから、追った。放っておくと、危険なことをしていかねないからな……」
「…………」
「どうした」
「なんでもない。このワインボトルは貴方にあげる。睡眠を妨害してしまったのは確かだし、謝罪としてだ」
「馬鹿か君は。レースにこんなもの持っていけば邪魔になるだけだし、今ここで飲んででしまうしかないだろう。今夜中にひとりで一本空けろと?」
「じゃあどうすればいいんだよ」
「グラスをふたつ用意しろ。酒は?」
「……飲めなくもない」
「決まりだな。ああそうだ、その前に君は着替えてこい。シャワーも浴びろ。そのにおいは鼻につくし、娼婦の格好なんて似合いじゃあないぜ」

 言い返す言葉もないな、と彼女は苦笑して、踵をかえす。甘ったるい香りも一緒に去って行く。気だるさを感じながらも、俺は彼女の腕をつかんで引き止めていた。

「次にこういうことをするときは、俺に言ってからにしろ。次からは絶対に助けになんか行ってやらないが、俺に隠れて部屋をあけるな」
「やだよ」
「…………」
「でも、ありがとう」

 満足げに笑んで、彼女は部屋をあとにする。残された静けさも、甘いかおりもすべて、夜の闇のなかに、飲み込まれていく。すぐに、だ。残されたものなんて、安っぽいワインのボトルと、重い銃だけだ。
かつてない気疲れを感じながら、まぁ彼女と飲めるならそれでもいいかと、らしくもなく、現状を享受した。




[ back to top ]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -