楽園偏愛録 | ナノ


▼ 鳥

 鳥と見紛う。

 君は高く飛ぶ。決してそれは飛んでいるのではなく、前に進みながらゆっくりと落下しているにすぎない。鳥のように、自ら羽ばたけはしない。君は高い場所を探して、そこに登り、それからやっと飛べる。君はあくまでも人間で、鳥には劣る。
 しかし、鳥と見紛う。俺の目はちゃちじゃあないから、空にいる君の姿をみて、なんの鳥だろう、と思ったりなんか、滅多にしない。ただ、馬の上から、いつもより高い目線で地上を見渡したとき、そこをスッと横切る影がある。それを見たとき、俺はまず君ではなく、鳥を連想する。
 空を飛べる、ということは、どこにでもいけるということだ。君くらい高く飛んでしまったら、銃でも撃ち落せない。空で君は、無敵になる。誰にも負けない。君はどこまでも自由で、誰にも従わなくてもいい。ただし、君はそれを知らない。自分は無力であるかのように思い込み、そのとき君は、どこにもいけなくなっている。
 砂埃が舞い上がる。いつも思うが、着地の仕方が雑だ。あれではすぐに足を痛めてしまう。そんなこと俺には関係ないが、もし善良な人間がここにいたら、君に飛ぶのを止めろと注意するだろう。

「恐竜は毒草も嗅ぎ分けられる?」
「余裕」

 顔色がいつもより悪かった。このレースで体調を崩すってことは、そのままリタイアを意味することもある。君はここでリタイアか? 俺は君が根を上げるのを待っている。なのに君はどこまでも俺に付いてくる。ハンググライダーがあるとはいえ、自分の身体だけでこのレースを、参加者でもないのに、参加者と同じ行程を、乗り切ろうとしている。
 正直言って、君の存在まるごと、正気の沙汰ではないのだ、と思う。

「昼はなにを食べたんだい?」
「うん……。山菜をね……。食べれそうだなと思ったから」

 一言で言ってしまえば、馬鹿なんだ、君は。頭の回転はそこそこな癖に、時々なにも考えないで、リスクを承知でわけのわからないことをする。
 こういうやつだった、と言って、君は指で地面になにかの形を描く。昼に食べた山菜を描きたいのだろうけど、君は絵のセンスがあるわけでもないし、さすがに俺の読解力もついていかない。だから君がなにを食べたのかはわからない。しかし君の具合が悪いってのは明白だった。
 他人を労わるなんてことを、俺はしない。というか、したくない。意味がわからない。必要ないからだ、とも思う。しかし君は自分で自分の身体の具合と向き合ったりできないというか、どんな状況にあっても平気で無茶をするというか、とにかく放っておいたら君はどこかで野垂れ死にしてそうなのだ。だから、俺はほんのちょっとだけ、手を差し伸べてやる。ちょっとだけな。

「どこか痛むのか」
「いや……。そうじゃあないんだ。なんていうか、その」

 君は、自らの体調の悪さなど、申告したがらない。弱みを見せることが嫌なのはわかるが、恐竜にそれを隠そうとしても無駄だ。
 腕を掴む。発熱しているな、と体温でわかった。毒草と呼ばれるようなものを口にしたんだろう。君にしては迂闊なことだ。俺にしたらちょっとだけ愉快。

「寒気は?」
「……うん、する」
「気だるさ」
「ああ……」
「身体が重い?」
「はい……」
「頭痛などは?」
「いや、それは大丈夫」
「一応食べたもの吐いとくか?」
「それはもうやりました……具合悪くなったときすぐに」
「毒草かもしれないとわかってて口にしたのか」
「というより、いろんな種類の山菜を日替わりで食べてるんだよね、毒見のために。そうしたら食べれるもの、食べれないもの、自分でわかるでしょ」
「全種類俺の前に持ってきてみろ。食えるのと食えないの、3秒で分別してやる」
「恐竜すごいね……」
「……横になっていろ。なにもするな。水を汲んできてやる」

 いつもなら君は、ここで眉を顰めるだろう。君は他人が自分に向ける厚意を信じていない。そうされるだけの価値が自分にあると思っていないんだ。君はどこまでも自己評価がなってなくて、自分で自分の可能性を縮めている。
 今はよほどつらいのか、水を汲んでくるという俺の言葉にすんなり頷いた。川を探し出し、流水を樽の中にすくう。清潔なタオルをひたして、かるくしぼる。それを君の額にのせる。意識が朦朧としているようで、硬く閉ざされた瞼が開けられることはなかった。
前髪をよけてやる。肌が焼けるように熱い。食べれるもの、そうでないもの、それくらいならわかるが、彼女が食べたものがどういうもので、どういう影響をもたらすのかについては、知りようが無い。このまま彼女は目を覚まさないかもしれないし、5分後にはケロっとしているかもしれない。
 運が悪いのだと思う。俺も、君も。
 レースの直前、あのビーチで、俺は出店なんかに目を向けなければよかった。そこにいる君に、気が付かなければよかった。でなければ、こうして一緒に旅をすることもなかっただろう。
 よりにもよって、このタイミングで、君に会ってしまった。
 君がどう思うかは知らないが、少なくとも俺にとって、それは良いことじゃあない。
 あのビーチ以外でなら、どこだってよかった。ロンドンの町なかでもいい、賭場でも、酒場でも、どこでも。このレースとは関係ないところで君に出会っていれば、もっと違う関わりかたができた。少なくとも君は毒草を口にしたりはしなかっただろう。

「……ねぇ」

 死にかけみたいな声が、呼んだ。
 君は人生のどこかで、一度でいいから、誰かに縋る機会を、得られれば良かったのにな。自分以外の誰かを信じるってことを、学べばよかったのに。君は永遠にひとりぼっちかもしれない。

「どうした?」
「のどかわいた」
「ああ、起きられるか?」
「うん……」

 俺が、できるか? と聞くと、君は必ず、それに頷く。できっこないと、やれと言った俺自身そう思っていることでも、君はできないなんて、絶対に言わない。
 その高熱じゃあ、起き上がるのもつらいだろうが。上体を起こしてやる。彼女の背中を支えながら、水の入ったコップを口元に寄せてやる。
 子供。
 君は子供だ。俺と同じくらいの歳に見えても、というかあるいは、俺より年上かもしれないんだがな。でも、子供だ。未熟な人間のまま。

「……ありがとう」

 君がなんとか水を飲み下すのを見届けてから、君の背中を地面におろす。
 俺は君と、旅なんかしたくない。

「少し、話せるか?」
「……うん。水飲んだら、ちょっと楽になった」
「そうか。なぁ、バックギャモンはできるかい?」
「よく知ってるね、そんなゲーム……。できるけど、今は盤がないよ。サイコロも」
「君は賭け事は好きか?」
「金がかかってるなら」
「じゃあ、次の街についたら盤とサイコロを買おう。月の無い夜は暇で仕方がないからな」
「トランプのほうが荷物にならないよ」
「駄目だ。カードについた細かい傷とかを観察して、覚えることができてしまうから、伏せてあるカードがなんなのか俺はわかってしまう」
「……そうなの?」
「ああ」
「今度一緒に賭場へ行って一儲けしよう」
「お誘いだな。断るが」
「……いい話なのに」
「俺は君とバックギャモンがしたいだけだからな」
「……わかった。貴方とバックギャモンをする」
「OK 約束だな」
「約束?」
「ああ」
「貴方には似合わない言葉だね」
「ああ」

 熱にうかされて、君は半分、眠っている。今しているこの会話を、明日の朝、君が気分よく目覚めたとき、覚えていることはないだろう。確かにそうだ。絶対に遂げられない約束。そんなのは約束ではなく……、ただの言葉でしかない。
 きっと俺は君と、バックギャモンがしたかった。どこか小奇麗な、テーブルの上で。このレースと関係ないところで、出会えばよかった。会話をして、賭け事をして、そういうのでよかったんだ。君は大陸横断なんかできる人間じゃあないんだよ。干からびて死ぬ前に、諦めてさっさと国へ帰ればいいのに。
 君はまだ、どこへも行けない。どこかに行くだけの力はあるのに、君はそれを知らない。信じていない。
 いつか俺の気が向いたら、君の翼の使い方を教えてやる。
 それまでは地面で、せいぜい這い蹲っていろ。俺は君が苦難する姿を見るのが、なかなかに好きだ。だからしばらくは、ここにいろ。
 君が何処かへいける日へ、明日が向かうといいな。



 

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