▼ 08
出航の時間が迫っている。先日税関職員とモメたばっかりだ。乗せてくれるといいけど。もし駄目だって言われたらどうしようか? どう言いくるめてやるかな……。
「あっ!」
船の甲板から、聞いたことのある声がしたので、顔をあげる。逆光で顔が見えないな、誰だ? ああ、その前にいかん。もう手続き終わってるか? まぁまだ出航してないしセーフだろ。乗っちゃえ。
「ヨーロッパ行きの船はこちらで合ってる?」
「わ、また貴方ですか。遺体は乗せちゃいけない決まりなんですよ。何度言ったらわかるんです」
「それはもう諦めたよ。貴方たち数十人がかりで私の大事な積荷を降ろそうとしやがって……。乗せたいのはこっちの馬だ。いいだろ? なんかもうすでに乗ってる馬いるし」
「ええ、まぁ馬はどうぞ……」
「どーも」
甲板には見知った顔が数人いた。ほとんどがレースの参加者だ。ヒガシカタっていう日本人もいる。彼をナマで見るのは初めてだな。どうしてヨーロッパ行きの船に乗っているんだろう。
それから。
「……さっき声をあげていたのは貴方?」
ジョニィ・ジョースターはアメリカ在住だったと思うんだけど……。ヨーロッパ人気なのか? 住んでいる身としてはよくわからない。
「……ジャイロの言っていたことは本当だったな」
「?」
「どうして君がDioの馬を連れてるんだ?」
「ニュージャージーの線路のそばで見つけたというか……。一応この大会の主催者であるスティーブン氏のところに札束持っていって、『この馬を私にくれ』と言いにいったんだけど、馬の鼻紋をとられただけでOKが出たんだ。なにもおかしいことないよな?」
「その札束のうちいくらが、ミルウォーキーでぼくから貰った金なんだか……」
「三分の二くらいかな。……っていうか覚えてるのか、……くそ、詐欺のことは黙っていてくれ」
「…………」
シルバー・バレットを船員にまかせて、ほんのちょっとになった荷物と、折り畳まれたハンググライダーを置き、甲板の手すりに寄りかかる。
アメリカ大陸が、少しずつ霞んでいく。海と空にのまれていく。
「……ミルウォーキーで君と別れたあと、ぼくはジャイロに君の事を話した」
「……それで」
「ロッキー山脈のなかの村で、ジャイロはDioと一緒に行動しているハンググライダーを使う何者かの存在に気が付いていたらしいんだ。あの時ジャイロは遺体の『眼球』を得ていたからな……。君がハンググライダーでミルウォーキーまで来ていたらしいって言ったら、ジャイロは君がそのDioの仲間なんじゃないかって……。ぼくは信じなかったけどな。あのDioに仲間がいるなんてありえない。……でも、本当にそうだったとは」
「……仲間じゃないよ。同行者だ。ただの」
ジョニィも私と同じように、海を眺めている。さざなみの音。目を閉じるとゆりかごのなかにいるみたいだった。
このレースで、ジャイロ・ツェペリもまた、命を落としたと聞く。ジョニィの隣にある木箱の中身は、きっと彼の遺体なんだろう。……そうか、彼を故郷に帰すために、この船に……。
……。
……ん?
「ちょっとまてジョニィ・ジョースター、その木箱の中身は遺体か? ナマで? どうやってこの船に乗せた。私がディエゴの遺体を乗せようとしたときは係員に全力で止められたのに!」
ディエゴに血の繋がった家族はいない。それだけは知っている。けど、故郷に親しい人が居るのかもしれない。友達とか、恋人とか。だから彼の体を、連れて帰りたかった。けど、それは敵わなかったのだ。燃やして灰にするしかないと言われた。私にはそれができなかったのだ。
「さぁ? 係員の小男に乗船許可をとってこいと言ったらOKが出ただけだよ。なにもおかしことはないよな?」
「嘘だ……くそっ、賄賂か? いくら払った? 私が先日提示した金額じゃあ不十分だったってことか……?! あの係員め……」
「いやぁ、彼ら金では動かないんだよなぁ、ニョホホ、どういうわけかぼくの積荷は降ろせない、それだけさ」
「……、貴方って……」
ジョニィのほうに向き直る。そういえば、足が動くのか。立っているからかな、それで余計に……。
「ジャイロ・ツェペリに似たよね。彼とはミルウォーキーで一度会っただけだけど、彼の雰囲気をそのまま貴方が抱えてるのがわかる」
「……」
調子よく笑っていたジョニィは口を閉じる。なにも言わなくなって、再び海を眺めているようだった。
気を悪くしたか。べつに悪気はなかったけど。
「フン、まぁいい。ヨーロッパまでずっと潮風に当たっていたら具合が悪くなりそうだし、私はお先に船室の中に失礼するよ、ジョニィ・ジョースター」
「……いや、待て、詐欺師」
「詐欺師って言うな」
ハンググライダーを抱えあげる。ジョニィを見ると、意地悪く笑っている。その笑い方も、どこかジャイロに似ているような気がした。
「君もだと思う」
「なにが?」
「なんていうのかなぁ……雰囲気が、とても。その憎たらしいかんじ。そっくりだよ、ディエゴ・ブランドーと」
「……っ、な」
「一緒に旅をして、似たんじゃないの」
し、か、え、し、と、最後に唇でかたちを作って、ジョニィは満足げに、海を眺める作業に戻る。その後ろで、立ち尽くしながら、私はなにも言えないでいる。
膝から力が抜けた。倒れそうになるのを手で支える。音に気が付いたジョニィが一瞬振り返る気配を見せたが、口笛を吹かれただけだった。
……似た?
私と、ディエゴが?
……そんな……。
私の中に。貴方がいるのか?
もう、世界のどこにもいなくなってしまったと思っていた貴方が。
ここに、貴方の欠片があるのか。
そう思った途端、涙があふれた。線路で貴方を見つけたときから、ずっとおしとどめられていた涙が。
「……っ、くそ……」
拳を握る。
ああ、貴方は、
最後まで、戦ったのか。最後のその、一瞬まで!
諦めずに、勝つために、足掻いて、足掻いて……、
貴方は……。
悔いなく、生きたんだろうか。
たった20年とちょっとの、人生のなかに、誇りを、強さを、そして飢えを、持って。
精一杯、生きたか。
喜びのある、人生だったか。
苦痛は、幸福は、復讐は、剥奪は、正義は、悪は、信念は!
満ち足りた一生に、なっていたか……?
そればかり、考える。
ねぇ、幸せだった?
悔いはなかった?
やりのこしたことは?
遂げたかった思いは……?
ああ、くそっ!
貴方が現状に満足してるわけがない……!
きっと、悔しかっただろう。生きて、やり遂げたいことが、遺体を得ることも含め、たくさん、あっただろうに……!
なのに……。
自分の心臓の上に、手を当てる。鼓動を感じる。動いている。生きている。
……生きている……。
それは、きっと、大事なことで……。
なによりも……なによりも……。
捨てることのできない、私だけの……。
涙が止まらなくて、困った。泣き止めとあやすように頭を撫でる手も、声も、もう二度と。
ねぇ、貴方に会いたい。
探して、見つけて、抱きしめて、名前を呼びたい。
ディエゴ。
……ディエゴ……。
甲板の上で、いつまでも私は、泣き崩れている。具合が悪いのかと話しかける人間がいるたびに、ジョニィの声がして、なんて言っているのかは小さくて聞こえなかったけれど、でも近づいてきた人間の足音が遠ざかっていくのを感じた。それがただただありがたくて、それに甘えて、私は喉が枯れるまで、涙がなくなるまで、泣き続けた。
アメリカ大陸は、知らない間に、見えなくなっている。
貴方と旅した場所が離れていく。貴方と離れていくようでもあった。
貴方がどこにもいないなら。
私が貴方をかかえて、生きてやるよ。
そしたらずっと、一緒だろ。
それじゃあ貴方は不満かもしれないけど。
でも、いいだろ?
一緒に来いよ、ディエゴ。
旅を続けよう。
きっとどこまでもどこまでも、道が続いているよ。
……これで、私の物語は、おしまいだ。
陸が途切れても、谷が広がっていても、私は飛べば、どこにだっていける。
それを貴方が教えてくれた。
思えば、長い旅だった。そりゃあそうか、大陸を横断したんだもん。貴方は馬で、私はハンググライダーで。
まぁ、貴方の馬に乗せてもらったときもあったけどね。
長くって、忘れられない、旅だった。
たまにね。
くるしいときがあってさ、そのくるしさって、どうしようもないものなんだ。私が私らしく生きていくためには、どうしても乗り越えなくちゃあいけないものなんだ。
でも、やっぱりつらくって、諦めて、投げ出したくなるときが、ある。
そういうときに、貴方とした旅を思い出すんだよ。
あの旅の記憶はね、私のパワーの源なんだ。思い出すと、力が湧いてくる。なんでもしてやろうって気になれる。
ありがとう。
貴方に会えて、一緒に旅ができて。
ほんとうに、よかったよ。
ディエゴ。
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