▼ 07
鉄でできた線路。二本のレールを固定するように、木の板が交差してはめられている。草原に、どこまでもどこまでも、続いているようだった。
けれどそれはどこかで必ず途切れている。
いつまでも、歩き続けることができないのは、そのせいだ。
この道がもしどこまでも続いていれば、貴方との旅も終わらずに済んだだろうか。
うち捨てられたように停車している列車を途中で見つけた。連結部分がやはり破壊されていた。なにかで打ち砕かれたようなかんじだ。でも銃でやったんじゃあないな、もっと大きなものでやられた、ジャイロの鉄球か、ジョニィのスタンドってところだろう。列車はぼろぼろだった。ところどころに誰のものかもわからない血痕が付着していて、窓はほとんど割られている。そのへんで拾った木の枝を杖がわりにして、列車のなかをくまなく探したが、誰もいなかった。ここではすでに戦闘が行われ、そしてすべてが終わったあととなっている。
私は線路と辿って、どこまでも歩いていく。違う世界から来たディエゴに、ナイフで刺された脚が痛い。けれどもう血はかわいてしまった。それくらい長く歩いてきた。痛む足を引きずって、前に前に、進んでいく。
こんな脚じゃあ、空は飛べない。
空からならいつだって、貴方を見つけることが出来たのに。
今はこうして、地面に這いつくばって、ぜぇぜぇ言いながら、少しずつ、歩いていくことしかできない。
それでも。貴方に会いたい。
会いたいんだ……。
願いはあった。
どんな形でも良いから、貴方に生きててほしかった。もう一度会って、話をしたかった。
違う世界のディエゴが私に求めたこと、よく理解できる。
生きていて。側にいなくてもいいから、どこかで。
そしてもう一度会うことがあったら、立ち止まって、ちょっとだけ話をしよう。
貴方は確か、私とテーブルゲームがしたいんだっけ。
うん、いいよ、やろう。いくらでもやろう。
私は賭け事は好きだけど、実はゲームは得意じゃあないんだ。貴方は頭が切れるし、私が貴方に勝てるゲームなんて、なかなか無いかもしれない。だから、たくさんやろう。いろんなゲームをしよう。私が勝てるゲームが見つかるまで、見つかっても、ずっとやろう。
貴方はコーヒーが好きで、私はそれにちょっとでもいいから砂糖を入れたい。同じテーブルで飲もう。向かい合って座ろう。
貴方と。
話がしたい。
旅がしたい。
会いたい。
ただ……会いたい。
広い広い草原の、真ん中の線路の上。乾ききった血。それらすべてをさらうように吹く風。
貴方はその中にいた。
線路のふたつのレールの真ん中に、横たわっている。
それを貴方だといってもいいのか、私にはわからない。
貴方には首が無かった。それに、胴体も切断されてしまっている。列車に引かれたのか。貴方はどこだ? 首から上は?
私は貴方のどこに縋りつけばいい。
杖がわりにしていた木の枝を投げる。倒れこむようにして、貴方の上に覆いかぶさる。
あったかかった恐竜のからだは、もう、すっかり冷たい。
免疫系の話をするなら、その中心は心臓だ。肉体の制御は脳がするが、拒否権は心臓が握っている。脳じゃあない。だから人間の『核』は脳ではなく心臓だって主張する哲学者もいる。そんなことはどうでもよかったが、今はその哲学者の思想に乗ろう。私は貴方の首と下半身のない死体に縋りつく。
涙は出ない。泣きたかったのに。大声をあげて。
貴方ほどじゃあないけど、とても血が流れた。ここに来るまでずいぶん汗をかいた。どのくらい歩いたんだろう。わからない。そのあいだ一滴の水も飲まなかった。涙に使える水分なんて、もう私には残っていないんだ。
貴方の手をとる。つめたくて、硬い。死後硬直が始まっている。胴体を裂かれているその断面の血はかわききっているように見えるのに、首の傷の断面は、まだしめっている。ディエゴは胴体を列車に引かれて、事切れた。そのあと死体の彼の首を、誰かが持っていったんだ。どうして? 大統領がやったのか? 見せしめか?
ふと、あなたの言葉を思い出す。
同じ人間が出会ってしまったら、待っているのは……。
消滅したふたつの銃。
そうか。貴方は……。自分自身を、迎えにいったんだな。
ジョニィ、ジャイロ、ホット・パンツ、ルーシー、スティーブン。この場にいたであろう人間のうちの誰かが、遺体を持ち去った別の世界のディエゴを、追ったんだ。
遺体は奇蹟。
奇跡がおきても、もう私の知っているディエゴは、帰ってこない。
無力な遺体だ。なんの価値がある。あんなもののために、何人死んだ。
目を閉じる。なにも見えなくなる。喉がかわいた。身体が重い。もう一歩も動けないんじゃあないかってくらい。
私は貴方を迎えにこれただろうか。
貴方の手をにぎる。指をからめる。貴方の指は伸びている。どこかに手を伸ばしているみたいに。
最後まで、貴方はなにかを求め続けた。貴方はなにも諦めず、ただただ飢え、焦がれ、戦ったんだな。
軽く感じる貴方の身体を、抱きしめる。そうすることになんの意味があるんだろう。わからない。
線路がどこまでも続いているように見えた。
でももう、動けない。歩けない。貴方とここにいよう。一緒に居よう。一緒に眠ろう。夢をみよう。このままずっと。
ずっと。
風が吹いている。それを肌で感じている。だが頬だけは違った。熱っぽい感触。それに濡れている。目を開く。近すぎてよく見えなかったが、赤かった。
舌。
おおきな舌。
よく知ったにおいだった。
私は手をのばす。
「……シルバー・バレット……」
ディエゴを探して、ここまで来たのか。
私と同じだね。
身体を起こす。もう二度と動かないと思っていた、疲れきった身体が、何故かエネルギーに満ち溢れているように感じた。
貴方の手をとって眠ったからかも。
ひとり、ほくそ笑む。
そうだね、ディエゴ。立ち止まっちゃあいけない。
「ねぇ、ちょっとだけ背中を貸してくれない?」
馬は答えない。ただ頭をたれている。ディエゴの、首のない遺体に、敬意を表するように。
風が吹いている。風を感じると、いつも空を飛ぶ感覚を思い出す。
長い、長い、旅だった。何度も苦痛を味わい、何度も貴方と衝突した。
貴方とした、このたった一度の旅。
立ち上がる。痛む脚は、それでも脚として機能する。
「……ありがとう……」
ねぇ、……貴方が好きだった。子供がヒーローに憧れるように、貴方のことが。
変だよね。
だってちっとも貴方、いい人なんかじゃあ、ないのに。
でも、好きだ。憧れた。ついていきたいと思った。
たった一人の、貴方に。
私の背中を押した、恐竜に。
長い長い旅の、……ここが終点。
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