楽園偏愛録 | ナノ


▼ 皮膚に踊る

 閉塞感を伴いながら目を覚ました。夢見が悪かっただけかもしれないと起きぬけの頭で考えたが、どうやら違うみたいだった。朝のにおいがする。照射された地面から立ち上る水蒸気のにおいだ。背中を地面につけて、仰向けに寝ていると思うのだけど、どうしてだろう、目を開けたはずなのに、目の前が真っ暗だった。いや、瞼を開けたつもりでいて、開いていない、のだと思う。目の上になにかがはりついていて、それが私が目を開けるのを邪魔しているのだ。
 なんだと思って、瞼のあたりに触れる。手袋をしたままではどうにもわからないので、それをはずしてからだ。あれ、と思わず声が出た。
 瞼のあたりにはきちんと私の目のある場所にそれらしきふくらみも、まつげも存在したのに、どう考えても皮膚に触れたような感触ではなかったのだ。皮膚にしてはかさかさしている。ひどい肌荒れなのかとも思ったが、それにしては硬いのだ。かさぶたみたいだ、と思った。恐竜化したときのディエゴの皮膚みたいな……。あ、寝てる間に彼が勝手に私を恐竜化させたのか? でも、だとしても目が開かないのはどうしてだろう。皮膚が硬すぎて動いてくれないのだ。ぴくり、ぴくりと筋肉がうごいてくれてるのはわかるのに……。
 なにかヤバイ物にでも触れてしまったのだろうか。さわっただけでかぶれる草なんていくつでもあるけど、皮膚が硬化するようなものなんてあっただろうか。ディエゴに聞けばわかるかな。
 あ、そうだ、彼はまだ寝ているんだろうか。
 なんとなくぽかぽかするし、もう陽は昇っているのだと思う。

「ディエゴ、いる?」

 私は彼じゃあないから、人の気配なんてわからないんだけど、なんの物音もしないので、近くに彼がいないことだけはとりあえずわかった。
 ついでに彼の愛馬のいるような音もしないんだけど……。
 あれっじゃあ馬に乗ってもう出発しちゃったのか? お、起こしてくれてもいいだろうが……。
 起き上がる。彼がいないんなら……というかそもそも人に頼るのが間違いか。自分でどうにかするしかない。とりあえず目を開けられるようにならないことにはどうしようもないな。乾いてかさかさになってるんだとしたら、えーっと、水があればなんとかなるんだろうか。この状態で水場を探すとか自殺行為なので、素直に自分の水筒をあける。
 ちゃぷん、と音がした。大丈夫、中身ははいってる。
 上を向いて、瞼の上に水をゆっくりとかけていく。皮膚を伝った水が耳の中にはいってきてひやりとした。
 再び自分の瞼に触れてみる。多少水を吸ったみたいで、やわらかくはなった。しかし目を開くには至らない。しばらく水に顔をつけてるとかしてればそのうちよくなるんだろうか。微妙に不安を抱えたまま硬化した皮膚をいじっていると、あることに気が付いた。思わず手が止まり、ぞわりと寒気がした。
 硬化している皮膚の範囲が、広がっている……? さっきまでは瞼だけが変な感触だったのに、今は頬も……。そしてこれが口元にまで広がった時、どうなるんだ? その状態で呼吸はできるのか?
 全身にぶわりとなにかいやなものがかけていくかんじがした。どくりと心臓がはねている。落ち着け、どう対処したらいいのか、とりあえず水があれば多少マシになるってことはわかったんだ、それで……ああもう、どうしろってんだよ!
 医者に見せてどうにかなるような症状だろうか? この状態でハンググライダーをとばしてどっかの町にたどり着けるか? もし全身が硬化してしまったらきっと動けなくなる。こんなところでそのまま死んでいくよりはなにかしたほうがマシだ。
 だったら急ごう。手探りで荷物をまとめる。すっかり慣れてしまっているせいでハンググライダーは見えなくても開けそうだけど、視界が奪われているのでバランス感覚がほとんどゼロの状態だった。くそっ、と舌を打ったところで、がさがさと草むらの揺れる音がした。

「キト? なにをしている」
「ディエゴ……!? ……、…………、私は先に出発している、日が暮れそうになったらまた貴方を探すよ。それじゃ」
「……こっちを見ろ。一体どうしたんだ」
「……こ、来ないほうが……」

 なんにも考えてなかったけど、私のこの異常皮膚がどっかから、植物か動物に移されたもんだとしたら、それは私からディエゴにも感染しうるってことだ。……だったら……。あ、でも素直に話して自分に害があるってわかったら、彼は近寄ってなんかこないか。

「そっから見える?」
「……目のあたりか? 変色してるように見えるが。……開けないのか」
「皮膚が硬化してるみたいなんだ。どんどん広がってる。今は……もうすぐ口までか」
「俺がいない間になにか変化はあったか?」
「寝てただけだからわからない。小動物がいやな病気をもってきただけかも。……あー、その」

 足音がする。そしてそれはこちらに迷いなく近づいてくる。びくりとして後ずさった。なんのつもりだ? 感染するかもしれないって伝わらなかったのか?

「なんっ……」
「手はまだ動くよな?」
「え、ああ」

 自分の手がとられる。触っちゃだめだろ、と言おうとしたが、皮膚の硬化が口元にまでまわってしまっている。硬化していくスピードがあがってないか? 隙間から呼吸はできるけど、このまま全身この変な皮膚になってしまったどうしよう。
 ディエゴはなにかを私に握らせると、ひとつ息をついて、私の手をとったまま話し始める。

「今、君に持たせたのは俺の所持している遺体の左眼部分だ」
「……」
「遺体を所持していたらしいジョニィや、新たに遺体を手にしたジャイロは、フェルディナントの恐竜化が完全に進行しなかった。君の皮膚におこった異常がなんなのかは知らないが、遺体でなんとかなるなら儲けものだな」
「そ、そうならなかったらどうするんだよ! 貴方までこんなんなっちゃったら……!」
「……目は開くか?」
「あ……」

 突然視界がひらける。口もちゃんと動いてくれた。ディエゴは私に遺体を握らせたまま、私の瞼のあたりに慎重に触れていく。

「もう、大丈夫そうだが……」
「あ……え……遺体すごくない?」
「ああ。だが……」
「……この遺体は貴方のだ。私が手に入れたものじゃあない」
「……、そうだな。一度遺体をこちらに戻せ」
「ん……」

 ころりとした奇妙な目玉をディエゴに返す。すると今度はそれまで遺体を握っていなかった方の手に違和感を覚える。見ると。指先から硬化がはじまっている。自分の目で直接確かめるのは初めてだが、カサカサとしていて、ささくれのようなものがいくつかみられる。色は茶色で……。そこで気づく。

「これ、樹木の表面に見える」
「……燃やしてみるか?」
「や、やめて」
「冗談だ。……おそらくそのとおりだろう。放っておいたら君は見事な彫刻作品にでもなるんだろうか」

 やれやれと首を振りながらディエゴは再び私に遺体を寄越す。

「あ、それちょっと待って」
「……どうした?」
「ほら、見て、さっき遺体に触れた時から、妙なかんじがしてるんだけど……、今度は硬化した皮膚が他の部分へ広がっていかない」

 樹木の表面のような皮膚は、指先のみで留まっている。そこをどけ、と私が意識を集中させると、硬化している部分が指先から手のひらへ、手のひらから腕へ、そして首のあたりまで移動してくる。

「……君がうごかしてるのか?」
「硬化している皮膚の部分を『押しのける』ことができている……んだと思う。これをゆるめると……ほら」

 首の硬化が、あっというまに全身に広がっていく。足の付け根が硬化したときに立っていられなくなったので、あわててそれを『どかして、縮ませる』。

「……ふぅん」
「これ、どういうこと? 遺体スゲーって結論でいいの?」
「……ジョニィとジャイロが恐竜化しなかった原因にもうひとつ仮説がある。遺体を所持していたからではなく、スタンド能力を身につけていたから……かもしれない、というものだ」
「……『これ』がそうだっていうのか? 私に、スタンド能力?」
「今はまだよくわからないが、その皮膚の硬化を押し留めることのできている『なにか』がそれにあたると考えられる。遺体を手にしたことでスタンド能力が得られるのだとしたら、君の『それ』は少なくとも俺の恐竜化と同系列のものさ」
「……そうか」
「ところで、その皮膚の硬化がなんらかのウィルスによるものだとすると、君はそれを完全に消し去ることはできないのか?」
「それなんだけど……、ナイフある?」
「肉の解体用でいいなら」
「うん、じゃあちょっと手伝って」

 皮膚の硬化をどかして、左腕の手首の辺りに集めて、ちょっとだけ広げさせる。ディエゴはすでにスタンド能力を獲得しているからだろうか、この硬化が彼にまで及ぶ気配はない。

「樹木の皮膚って、少なくとも人間の皮膚よりは頑丈だろ。だとしたら私のスタンド能力とやらで、この皮膚の硬化を操れるんだとしたら、それはちょっと利用できるんじゃないかと」
「……俺になにをさせる気だ?」
「硬化した皮膚に痛覚があるのかどうかを確かめたい。ないならそれこそ儲けものだ。ナイフでこのへん切ってくれ」

 全力でめんどくさそうな顔をされた。

「……君のそういうバカなところにつき合わされるのはうんざりだ」
「貴方の方が加減が上手いだろ?」
「……手を出せ、動かすなよ」
「……」

 私の手首にナイフをあてがうと、軽い動作で彼はそれを引く。ぱくりと皮膚が裂かれる感覚がしたが、痛みはない。出血はあるのだろうか。傷口を確認しようとすると、ディエゴがめずらしく驚いた声をあげる。

「……これは……」

 それまで樹木の表面のように硬化していた皮膚が、にぶい銀色に変わっていた。傷口は見当たらない。ディエゴは面白そうにナイフでその硬化した部分の皮膚をひっかく。

「……『同じ』だ、キト。鉄でできたナイフで君の肌を裂いたら、君の肌が鉄になった」
「な……」
「面白いな。これも広げられるのか」
「……たぶん」

 手首のみに留めていた皮膚の硬化を、腕全体に広げる。鉄でできた皮膚を動かせるわけもないので、指先までぴくりとも動かない。

「君の能力も面白いが、きみがどこかからもってきたこの奇病も面白いな。硬化した部分に傷をつけると、カメレオンみたいに、傷をつけたものの性質に変化するのか」
「……」
「君はこれをどうするんだ?」
「たぶん、私の『スタンド能力』ってやつで、このビョーキは完全に消し去ることができると思う……。けど、そうしないでいてこのビョーキを飼いならした方が有用っぽいな。これ、このままで大丈夫かな?」
「大丈夫かどうかは知らないが、そのままのほうが面白いだろう」
「……ま、やってみる。危ないと思ったら皮膚の硬化は完全に消滅させることにしよう」

 硬化している皮膚の部分を右手の手の甲に集めて、縮小させる。でたらめな模様のようになって、鉄の皮膚がわずかにうごめいている。手を握ったり開いたりする時に、多少皮膚が引っ張られるような感覚があるが、問題ない範囲だろう。

「……よし、これで邪魔にはならない……」

 安心して息をついた。どうなるかと思ったけど、ディエゴが遺体を持っていたおかげでどうにかなったな。といっても、この皮膚の異常の発生源が、そういった意味不明のものからきていないともかぎらないので、なんともいえばいが……。

「まぁ、とにかくありがとう、ディエゴ」
「……ああ。出発できるか?」
「うん」
「……それで……」
「……?」
「それで、君の怪我がちょっとでも減るといいんだがな」

 鉄の皮膚がうごめく手に視線をやりながら、ディエゴがつぶやく。確かにこの奇病をうまく操ることができたら、ちょっとばかし上等な皮膚が手に入るわけで、まぁ、多少頑丈にはなるのかな。でもうっかりすると、この硬化した皮膚に喰われて動けなくなりそうだ。
 ディエゴはそれ以上なんにも言わないで、自らの身支度をはじめた。シルバー・バレットとどっか行ってたのは水場に自分の馬を連れて行っていただけらしい。水場のあるところを教えてもらって、私はそちらへ向かってから出発することにした。水筒がカラだ。結局一滴も水筒の中身を飲めていない。この両手で水をすくって飲んだら、今は少し鉄の味がしそうだと思った。




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