楽園偏愛録 | ナノ


▼ 05

「……彼は、自分はウェカピポと対立することになるだろうと言ってた。それで、彼に勝ちたいって……。そのためにダイナマイトが必要だって言うから、私が用意することになった。……貴方に隠したいというのは彼の意向だが、私も少なからずそれを楽しんでいたところがある。……怒っているなら謝るけど」
「怒っているとかそういうのではない」
「そうなの……? あ、そうだマジェントとはどこで会ったの? ダイナマイト渡さなくちゃ」
「ああ、マジェントと会ったって言うのは嘘だ。君の反応を見たかっただけ。ウェカピポには本当に出くわしたぞ。奴になら会える」
「ウェカピポにダイナマイト渡してどうすんだよ……」
「……君は」
「……うん」

 真夜中の風が、山からの風が、窓から入ってきて、私たちの間を通りぬける。町の中でいちばんのホテルをとった。明かりは充分で、だからディエゴの表情もちゃんと見えるはずだと思った。けれど彼はわずかに顔を伏せる。
 ああ、目が合わない。

「……君は、俺を信用するのに、48日かかった」
「……、えっと……なに、48? 信用って……、私が昼まで寝てた日、までのこと? 数えてたの?」
「いや、覚えていただけだ。君よりもずっと記憶力がいいから、俺は」
「……ああそう……。で、それがなに?」
「マジェントには一瞬だったのかと思って」
「……信用にかかった時間?」
「ああ」

 ……。
 そういえば……、まぁそうだな。マジェントは裏であれこれ思考をめぐらせて人を騙せるような人じゃあないだろうし。

「そうなるね」
「……ふぅん」
「……ちょっとまって、それだけ? それが嫌なだけ? 騙そうとしたこと怒ってるんじゃあないの?」
「だから怒ってるとかでは……。……君は」
「…………」
「本当に俺についてきたくて付いてきているんだな?」
「もちろん」
「もしビーチで会ったのがマジェントみたいに君と気の合う人間だったら、そいつについていったか?」
「…………」

 なにを。
 なにを言っているんだ。
 自分のなかにある熱が、かっと頭まで上ってくるのを感じた。
 ベッドから腰をうかし、身を乗り出す。テーブルに手をついて、それ越しに、ディエゴを見据える。彼はすこし驚いているように見えた。

「私が貴方以外についていくなんて思うのか?」
「……キト?」
「貴方だから、私は飛ぶんだよ。カンザスから貴方を追って、金を手にする機会を投げ捨ててまで、貴方を口説き落として、ここまでついてくることを許可をもらってんのに、そんなことを、私が他の人間にすると思うのか? この私が?」
「……なぁ、君ちょっと……」
「私が雨の日も飛べるのは、貴方のおかげなんだ。……貴方といて、はじめて、自分が無価値じゃあないかもしれないと思えるようになったんだ。貴方が……。貴方以外に、私にそんなことできる人間、いないよ……」
「……あのさ、感情が高ぶったときに泣く癖、なおしてくれないか……。困る……」

 テーブルの上に。しずくが、落ちていく。ああ、また、みっともない。泣くことは、きらいだ。前がみえなくなる。涙は邪魔だ。
 ディエゴの手が、頭を撫でる。優しい手に思えた。貴方じゃあないみたいだ。でも、貴方なんだね、これが……。
 手で、涙をぬぐう。汚い顔だと、笑われそうだった。その前に言ってやろうと思って、息を整える。

「あのね、私、ずっと貴方みたいに、なりたかった……。強くって、なんでも知ってて、なににも屈しなくて、鋭くて……。私のなりたいそのままのかたちをしてた……。貴方は私の、ヒーロー」

 頭の上を行ったり来たりしていたディエゴの手が、ぴたりと止まる。どんな顔をしているかは、わからない。涙で前なんか、なんも見えない。けど、頭の上においてある手が、震えているような気がした。

「…………なぁ、そういうの、言うのさ……、恥ずかしくないのか、君は」
「ない。……なによりも貴方を信じてる。それが貴方に、伝わるなら、どんな言葉でも、使う」
「…………は……っ……。……途方に暮れるよ」

 小さなテーブル越しに、ディエゴは私を引き寄せる。恐竜になれるようになっても、ちゃんとあったかいってこと、実感しながら、彼の肩口に、閉じた瞼をそっと寄せる。耳元で「テーブルが邪魔だな」と言う声が聞こえた。私は一度乱暴に抱え上げられて、テーブルの上に膝をつくかたちにさせられる。
 私のすすり泣く声だけが部屋に響いている。
 何故泣いているのかはわからない。ディエゴの言うように、感情が昂ぶったのは、自分でもわかるけれど……。

 嘘かと思うかもしれないけれど、こんな風に抱きしめてもらうのは初めてだった。もしその経験が私にあるとしたら、それは父や母との記憶だっただろう。けれどディエゴの肩に顔を寄せながら、私ははるかな草原を空想していた。
 他の誰でもない、貴方に。
 身じろぎをする。私の腕もぜんぶ、貴方に捕らえられていたから、それをじわりと、貴方という境界の外に出す。
 これは本当のことだけど、誰かを抱き返すなんて、初めてだった。自分が誰かの背中に両手をすがるように伸ばすことなんて、ないと思っていた。

 飛び立つには、翼が必要だ。
 それを、貴方がくれた。飛び方を教えてもらった。
 なにもできなかった雛が、ひとりで空を飛べたんだ。
 そういう気持ち、貴方はわかる?
 それがとびっきり嬉しいことだったって、わかる?

 祈りたかった。貴方の無事を、貴方の幸せを、……貴方の支配する世界を。
 それを貴方は、きっと跳ね除ける。誰かに祈られることなど、必要ない。貴方は貴方だけの力で自分の望むことを叶える。それができるだけの実力がある。
 貴方に祈りは必要ない。祈ることは貴方を蔑むことだ。
 けれど、それでも私は祈りたかった。
 彼のために出来ることなんて、本当にそれくらいしかなかったから。













 あの時のことは、今でも鮮明に覚えている。
 涙が止まらなかったのは、貴方が優しかったからだ。
 世界中のなによりも、優しかった。
 貴方は、他人のために、そういうこと……、抱きしめたりとか、しない人間だと思っていた。そういう貴方に、憧れていた。だからそこで私は、私を抱きしめたりなんかする貴方に、ちょっとくらい失望してもよさそうだったのに。
 でも、私は嬉しかった。
 貴方に貴方らしくないことをさせてしまったのに、私は嬉しかった。
 貴方が泣き止めと何度も言っても、私の涙が止まらなかったのは、貴方がそう言いながらも、私の頭を撫でていてくれたからだ。

 たまにわけもなく、泣きたくなるときがある。
 酒場に行って、そこでできた友人と飲み明かして、その友人と別れたあと、私はひとり、悲しさにしがみついているのだ。友人と別れたことが悲しかったのではない。だってお別れは、何度もある。人生に何度も。
 私がこんなにも悲しくなるお別れは、ひとつきりしか、存在しない。
 それでも……いや、だからこそ。
 私の人生に、貴方がいてくれてよかったと思う。
 悔やまれるのは、貴方に、
 きちんとさよならが、言えなかったこと。
 それだけ。

 

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