楽園偏愛録 | ナノ


▼ 06

 お別れの言葉は、きちんと考えてこれなかった。
 そういう未来を、肯定するのが、すごく怖いことのように思えたから。
 契約書に、手をかける。
 どっちにしろ、これはここで破り捨てるつもりだった。
 貴方に否定されてもまだ、マンハッタンで金を受け取る勇気はない。
 だからこれは本当に、最後の賭けだったんだ。

「……なぁ、キト」

 立ち上がろうとしない私に、ディエゴはやや気だるそうに声をかける。
 私はなるべく彼を真っ直ぐ見据えようとしながら、けれどそれはできないでいる。
 目を逸らしたくなかった。恐竜の運動神経は、その一瞬のうちにどこかに行ってしまえるだろうから。

「こういう場面で泣かれると、こっちはちょっと困るんだけどな……」
「……ごめん」
「ん……君はさ」
「……、ちょっと、まって」

 ディエゴの服の端を、人差し指と親指でつまむ。そうやって彼の存在を確認しながら、彼がどっか行ってしまわないようにしながら、私は目を閉じた。そこにたまっていた涙が頬を滑っていく。あいているほうの手でそれをぬぐってから、目を開ける。

「……なに」
「ああ……君は、……死ぬと思うんだ。俺と来たら」
「……うん……?」
「カンザスで君はぼろぼろの状態で現れた。あんなの見たら、こいつはいつか死ぬって、誰でも思う」
「……」
「俺は、大統領と取引をした。俺が遺体を集めて奴に売るっていう、取引を……。いつか俺は大統領とも対立することになる。ジャイロも、ジョニィも、どいつもこいつも、敵だ。大統領はもう、君が俺に同行していることを知っている。きっと、君は遺体を巡る抗争に巻き込まれることになる」
「……、……う、ん……?」
「その、まったく理解できてませんって顔やめろってば」
「いや、だって、私が死のうが、貴方には関係ないだろう」
「……」
「……」
「……あー、そうか。じゃあ君は死にたいってことか?」
「そんなわけない。でも、それは貴方の気にするところではないよ」
「死にたくないなら、ついてくるな」
「死なないよ」
「……君なんか簡単に殺せる。誰でも、だ」
「……少なくとも貴方はそうしない。なんでか知らないけど、今私が生きてるってことはそういうことだ」
「……そうじゃあ、なくてな……」

 困ったように、目を伏せて、ディエゴは溜息をつく。この話が平行線になりつつあるのは私にもなんとなくわかる。なんか前にも、こういうことあったなぁ。サボテン、とってきたとき……? あるいは、砂漠の中継地点の村でのこと……? あれってなんで言い争いになったんだっけ……。

「……ディエゴは私に死んで欲しくないの?」
「…………、……なるべくな……」
「…………死んで欲しくないの?」
「同じことを聞くな」
「じゃあ例えば大統領と対立したとき、私が人質にとられて遺体と交換だって言われたらどうするの?」
「…………あのな……そんなの……見捨てるに決まってるだろ……君の事なんか」
「よかった。うん。あのね、それでいいと思う。私でもそうすると思う。貴方は貴方の利益だけを追求するべきだ。だから私のことなんか気にかけなくてもいい。ただついていくことを許してほしい。私は今、よくわかんないもののために、貴方についていきたいと思ってるんだ。はっきりしない、正確じゃあないもののために……。だけど、貴方についていきたいと思う気持ちが本物だから、今私、自分を納得させられる理由もないのに行動してる。自分でもすっごく不思議だよ」

 私は一旦、肩の力を抜く。
 どう、言ったらいいか……。言葉の力で、相手をいいくるめるの、苦手じゃあないはずなのにな……。どうも、ディエゴに対してだと、うまいこと言えなくなってしまう……。

「……なんで……死んで欲しくないの。私も貴方に死なれるのは嫌だけど、それがどうしてかはわからない。だから自分にあてはめて考えられない。教えて欲しい」
「……砂漠で言ったろ。君の事は気に入ってる」
「うん。でも貴方の母親を死なせた原因のひとつだ」
「……君だったら、どうだ? 君の両親が死んだ原因が俺だったらと考えて……」
「…………。……私だったら」

 私だったら、どうする、か……。
 どうするんだろう? 両親を死なせた奴がのうのうと生きてるんだったら、そいつには是非とも死んで欲しいし、とりあえず直接ぶん殴りたいとは思う。もっと陰湿な復讐の仕方を考えるかもしれないし……。
 でも、それがディエゴだったとしたら……。そう考えると、複雑だ。

「……わからない」
「ああ」
「……?」
「キト、俺が君についてくるなと言ったのは、君が死ぬかもしれないと思ったからだ」
「……復讐は?」
「半分口実だな。だが勿論どうでもよくはないし、どうしても君が憎ければなにかひどい仕打ちでもしてやろうかと思う。が、それはこのレースが終わってからでもいい。君は、それについては逃げないだろうし」
「ん……」
「……君はそれでもいいのか」
「ついていっていいなら、なんでもいいよ」
「拷問とかするかも」
「ディエゴ、私肉体的苦痛はわりとなんともないよ」
「……そうだったな。じゃあなにか考えておく。君が死にたくなるような屈辱的なこと」

 笑顔で言われてもなぁ。
 なんともないわけ、ないのにね。私も貴方も、きっとまだ、なんにもすっきりしてないだろう。でも、それでもいいんだな? 『このまま』……私たちは、『このまま』、相手をどう思ってるかも定めきれないまま、進んでいくことになる。
 それでも一緒に居たいと思える相手か?
 私はそうだって、頷ける。貴方はそれでもいいのか?

「俺は君を、母を失うことになった原因として憎んでいる」
「私はそれについて一切の後悔・反省・罪悪感を持っていない」
「けれど君の事は気に入ってもいるから、君への復讐は後回しにしてやる」
「そのかわりに貴方になにをされても文句を言わない」
「……」
「……」

 死ぬかもしれないからとか。貴方にしては細かいことを考えたよな。
 そんなの気にする人じゃあないと思ってた。
 結局のところ、私たちってなんなんだ? 一緒にいるのがおかしいような組み合わせだとは思うけど。

「キト」
「うん」
「俺の意向自体は変わっていない。君といると面白いから、このレースは君と行こう。ただし君は死ぬかもしれないと思ったらすぐに逃げろ。いいか?」
「うん。いつもそうしてるよ」
「嘘つけ。じゃあ、君の持ってる銃を渡せ」
「……なんで?」
「あれは君の覚悟なんだろ? 命をかけるっていう。死ぬための覚悟」
「ああ……」

 ……。死ぬための、死んでもいいくらいの……。
 ……もしかして……。

「貴方がレースに優勝するためなら命をかけるって、私、言ったから……? それが嫌だったの?」
「簡単に誰かのために命をかけるような人間は安っぽくて好きじゃあないんでね」
「……それで余計、私が死ぬと思ったんだね……」
「……わかったら早く渡せ」
「あー、うんと……でも、私が持っていちゃあ駄目かな」
「何故」

 目ぇ、怖いっての。
 私をこのレースから遠ざけるために、ディエゴは自分の母親のことを話してくれた。洗いざらい……。それなのに、私のほうにはまだ、話していないことがあるのは、ずるいよな。



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