楽園偏愛録 | ナノ


▼ 05

 ディエゴは本来カンザス・シティで一泊するつもりだったと言っていた。前ステージの彼の順位はランク圏外……。彼自身が怪我をしている様子はなかったから、ジャイロ・ジョニィとの争いで馬のほうがダメージを負ってしまったのだろう。それなら、次のステージでも馬に無理はさせないはず。
 つまり、頑張れば今からでも追いつける。
 足は、包帯で固定すれば走れる。腕の怪我も、衛生的に保ってればそのうち治るだろう。五日間、充分な準備をして、私はディエゴを追うためにカンザスを発っていた。もちろん飛んで、だ。
 トウモロコシ畑が広がっている。馬の走った後が、いくつもある。
 二日だ……。街を出発してから、二日。飛べるだけ飛んでいるつもりだし、レース参加者の姿もちらほらと眼下に見え始めている。もちろん、先頭集団にはぜんぜん追いつけないけど……。
 小さい恐竜がいてくれたら、貴方の居場所なんてすぐにわかるのにな。元の姿に戻ってしまったウサギは、妙になついてくれたので、引き続き鞄のなかに押し込めている。
 双眼鏡を覗く。片手だけで自分の身体を支えると、少しだけ傷が痛む。抜糸のときにまた来いと診療所の人は言ってくれたけど、それは自分でやるしかなさそうだな。

 もう、何度も、こうしてきた。いつも、いつも、上空から、貴方を探してきた。
 だから、貴方がそこに居たなら、私は絶対に……見つけられるんだよ、ディエゴ。



「……キトか?」

 着陸時の音に反応して、ディエゴがこちらを向く。水場で馬を休ませているところのように見えた。砂煙が舞い上がり、一瞬彼の姿が見えなくなる。私が目元を押さえているうちに、ディエゴは私を攻撃できる位置まで近づく。ざり、と、間近で砂を踏む音がした。

「何故追ってきた。チケットは」
「……良い値で売れた。丁度マンハッタンまで行きたがっているご婦人が居て、高値で買い取ってくれたよ。おかげでハンググライダーの修理代が払えた」

 ディエゴは沈黙する。その目には、きちんと私が映っているだろうか。私は自分を見下ろすその目に、少しでも対等になりたくて、背伸びをして、話す。

「貴方はお母さんが亡くなる原因になった人に復讐がしたいんだよね」

 銃をとる覚悟は、きちんと、命をかける覚悟と、等価になっているか。
 私がなにをしたいのか、それは、川に落ち、両親の記憶を思い出し、わからなくなってしまった。故郷は探したい。けれど、なんのために探すのか? それがわからない。だからそれは、一旦置く。だってそれは人生目標だからな。
 今、私が一番望んでいることは。

「私は、そのときのこと、覚えていない。ささいな日常の一部として捉えていただろう。きっと私は貴方たちを見捨てたと思う。私はそういう人間だから。貴方に謝ることはできない。後悔することもできない。私に出来ることっていうのは、貴方に復讐されるってこと、享受することだけだ……。それで、なんだけど」

 こほん、とひとつ咳払いをする。
 貴方に許してもらうことが、私の免罪符にはならない。それどころか、私に罪の意識なんかないわけだ。平行線で、どこまでいっても私たちの関係はどうにもならない。
 だから私は、鞄から一枚の紙を取り出した。
 水没しても駄目にならないように、大切にしまっておいたものだ。
 貴方との契約書。
 今となっては私と貴方を繋ぐ、唯一の紙切れ。

「取引をしよう、ディエゴ」

 それが私に出来る、たったひとつのこと。
 最後の、悪あがき。

「ここに契約書がある。覚えているだろうけど一応内容を復唱させてもらう。貴方がこのレースを終え、マンハッタンにたどりついたとき、レースの順位に関わらず、レースの優勝賞金に該当する金額の半分を私に支払う。私側の条件はたったひとつ。貴方よりも先にマンハッタンに到着すること」

 破り捨てたって良い。
 律儀に守らなくても良いんだよ、ディエゴ。契約書なんて、あってないようなものなんだ。ただの紙切れなんだ。燃やすなり、刻むなり、してしまえば、あとかたもなくなってしまう、ちゃちなものなんだ。
 けど、貴方はそうしなかった。
 私は、そこに賭けてもいいだろうか。

「もし私が言う条件を飲んでくれたら、この契約を破棄してやってもいい。条件は……いままでどおり、私をレースの、同行者として認めること。ビーチで私たちがした契約には、私にしかメリットがない。マンハッタンでもう一度私に会って、貴方がしたかったことは復讐なわけだし……。だからこの契約の破棄は、貴方が私に金を支払わなくてもよくなる、という結果しか生まない。これは間違いなく貴方側のメリットになると考えるが、それ以外に私にできることなら要求してくれて構わない。銃くらい貴方のために撃ってやるし、食料の調達も任せろ。なんでもいい。どこまでもその条件を飲むつもりだ。『どうしても』……だからな。『どうしても』、私は貴方についていきたい。その資格がないっていうなら、作ってやる。それがこの取引だ」

 そして、最後の取引になるかもしれない。貴方はこの条件を飲むなんてことしないだろう。だって母親の死の原因の一人だ、私は。
 だけど……。
 貴方が私を置いてどこかに行ってしまうのに、なんにもしないで黙ってそれを見ているなんて、できっこない。
 だから、足掻かせて。
 最後まで。

「……君が大金を得る機会を捨てるなんて信じられないな。なにかウラがあるんじゃあないかと勘ぐってしまう」
「……うん。でも信じて」
「……本気で言ってるのか?」
「私を側において、復讐の続きでもすればいいだろ。なんでもいい。一緒に行かせて」
「……君、砂漠では俺の誘いを一度断ってるよな。一緒に来いってヤツ」
「あの時とは気が変わった。貴方といるうちに、貴方が好きになった。一緒にいるといいことがありそうだから、この先も共に行きたい。マンハッタンでほとんど情報も得られずに貴方をただ待つなんて、嫌だ」
「…………好きって」
「変な意味じゃないよ。それで、この取引は成立するのか? 教えて欲しい」
「……君は、開き直ると、厄介だな……」

 ディエゴは草むらのなかに腰を下ろす。指先の合図で、私にもそうするように伝える。トウモロコシ畑と川の間で、私たちの姿はすっかり草の中に隠れてしまう。あ、こうすると、目が合いやすい。ちょっと体勢を変えるだけで、貴方と同じ目線で話せる。

「君は金がいらないっていうのか? 本当に? 故郷を探すんじゃあなかったのか」
「いらない。貴方についていくことのほうが大事になった」
「……」

 ディエゴは口元を指で覆い、目を細める。なにかを考えているときの顔だ。なにか、考慮するような要素でもあったのか……。

「……取引は、成立しない。俺は君とは行かない」
「…………そう」



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