▼ 04
背の高い草を、風が撫でている。カンザス・シティの郊外、木の茂った林のなかで、私は銃を構えていた。銃の射程距離ギリギリのところにビールの空き缶がある。それは切り株の上に置いてあり、安定している。
銃は重い。
重たくて、嫌いだ。
ロンドンの郊外は、計画的でない都市化のせいで、虫食い穴のように、ぽつぽつとビルがならび、その隙間を埋めるように、開発の進んでいない更地が広がっている。私はそれらの発展しているところと発展しないところを行き来して、商売をしていた。
ふたつの場所で、価値観やものの値段は、びっくりするくらい違う。それを商売に生かそうとする人間は、少なくなかった。痩せ地でとれた食物を、金持ちのいる市場で知る人ぞ知る高級品と偽ったり。そう、主な商売相手は、金持ちの貴族。商人にも金持ちはいるが、彼らは目が利くから、相手にしてはいけない。
開発の進んだ地域にも、貧しい者はいた。
私の二つ目の商売相手は、路地裏に住んでいた少年少女。
『路地裏の瑣末な悪夢』
その場所にいる大人たちは、軽蔑と皮肉と哀れみとを込めて、彼らのことをそう呼んでいた。少しでも金がありそうな大人に話しかけ、彼らは路地裏で色を売る。少女も少年も同じように、自分の体で、わずかな金を手に入れていた。
その存在を知ったとき、私は衝撃をうけた。自分と同じくらいの年齢の子供たちが、身売りをしている。しかも、そのことがあたりまえのように思っている。自分たちの境遇を不幸だと認識すらできていない。
皆なにかしらの事情で、両親がおらず、自分ひとりだけで生きていかなければいけない子たちだった。それは私や、あるいはディエゴとも、同じなはずだった。
なのに、こんなにも違う。
たまたま人を騙すことにちょっとだけ長けていて、商売で稼いで生活できた私。
それがたまたま、できないからといって、身体を売らなければいけない子供たち。
人は平等なんかじゃあなかった。
強いやつしか、生き残れないんだ、まともには……。
その子たちの存在を知って、私は実際のところ、同情したのかもしれない。
彼らを商売先に加えることにした。
仕入れた野菜を、肉を、一部彼らに対して売った。もちろん彼らが買える額で、お貴族様たちに売る値段よりずっと安く。
そうすることで、自分がなにをしたかったのか、後から考えてみると、どうも私は、彼らの助けになりたかったらしい。私は彼らの、確実で、信頼できる、物資の流通ルートになりたかったのだ。
あるとき、路地裏の少年少女たちのうちのひとりから、こんな頼みごとをされた。
『バグパイプ』を売ってほしい。それを仕入れられる人間を何人か知っているが、彼らがまともに取引をしてくれるのは貴方のような商人だ。彼らと取引をしてきて欲しい。彼らから『バグパイプ』を買って、それを私たちに売ってほしい。
バグパイプっていうのはヨーロッパの一部の地域の民族楽器の名前で、彼らがどうしても欲するものにも、それを仕入れられる人間が何人もいるというのも不自然なことだった。だから私はすぐに『バグパイプ』がなにか別のものを指す隠語であるということがわかった。そして商人をしていた私でも知らない隠語だったのだ。普段私が取り扱わないような商品。
なんとなく、それがなんなのかは察していた。
けれど、彼らに頼まれ、ヒーロー気取りになっていた私は、それに頷いてしまったのだ。
『バグパイプ』はすぐに手に入れることが出来た。少年少女たちに教えてもらった人物と接触して、バグパイプをひとつ売ってくれと頼むだけでよかった。それは紙袋のなかに入っていた。ずっしりと重たかった。路地裏の子供たちは、中身は見ないで欲しいと言っていた。もし中身を見ていたら、未来は変えられたのかもしれない。けれど私は見なかった。子供たちを裏切ってしまうのが怖くて。
それから数日後、路地裏の子供たちは一人残らず殺されてしまった。
ある者は仰向けに倒れ、ある者はその上に崩れ、ある者は自分より幼い者を抱いて、ある者は誰かの腕の中で、死んでいた。みんな、銃で撃たれていた。
何故彼らが殺されたのか、調べればすぐにわかった。
武器などの流通を取り仕切るひとつの組織があった。私はなるべく関わらないようにしていたが、私が『バグパイプ』を買った人間もそのうちのひとりだったのだろう。そしてその組織の人間がひとり、銃で撃たれて殺されたらしい。
それだけだった。
それだけ。
路地裏の子供たちは、『バグパイプ』……銃を手に入れた。銃を売りさばく組織の人間がひとり殺された。その犯人が子供たちのうちの誰かだったなんて、そんな証拠はない。けれど彼らは銃を持っていたのだ。彼らである可能性もあった。どうやら、組織の人間が路地裏の子供たちを始末するには、それで充分な理由になったらしい。
路地裏の子供たちは、きっと大人たちから身を守るためにも、銃が必要だったんだ。だってすごく危ない商売をしてる。乱暴な大人もいるかもしれない。だからきっと、銃は必要だった。
それだけなのに。
銃を持っているという事実があるから、殺人の犯人ではないかと疑われた。実際にそうであったかもしれないが、それでも、関係のない子どもたちまでみんな、殺されてしまった。
それ以来私は、善良な商売をしないことにしている。
少なくとも、同情なんかで、ヒーロー気取りなんかで、取引をしたりしない。
ぜんぶ、自分のためにやる。
他人のことなんか、気にかけたって、しょうがないんだ。
――――殺す覚悟、か。
――――それは、殺される覚悟とは、違ったね。
引き金は、簡単に引ける。
私がとった安い宿から、小さな恐竜はいなくなっていた。ベッドの下に、かわいらしいウサギがひそんでいただけで。
チケットには、日付が書いてあった。フィフス・ステージが始まってから、もう5日。今日がその日付の日だった。
私がディエゴにできることは、なにもない。謝罪すら、できないだろう。あのとき、いや、おぼえてはいないけれど、彼と彼の母親が窮地に立たされていたとき、きっと私は助けなかっただろう。その自分の行為に、私は一切の後悔がない。
私はそういう人間なんだよ。
それは、どうしようもない。ディエゴに恨まれても仕方ないとは思うけれど、でも、どうしようもないんだ! 私がひどい人間であることは、変えようの無い事実で……。とんでもない悪意の塊が、私の中にあるんだ。
銃を構える。両手でしっかりと持ち、狙いを定める。引き金を引く。まず衝撃があり、私はやや後ろにのけぞる。銃声がするが、耳栓をしているので鼓膜にダメージはない。遠くのほうで、ビールの空き缶が後方に吹っ飛ぶのが見えた。近づいていって確かめると、缶の中心部分には穴が開いている。
『……君の『同行者』……、君にとってどれだけの価値がある』
『銃を持つと不幸になると言ったな。自分が不幸になってでも、そいつを守りたいと思うかどうか、聞いている』
リンゴォに言われたことを、思い出す。
私にとって、ディエゴは。
……私にできることは何もない、どこにいても、なにをしてても……。
でも、私にも『価値』が……あるかもしれないって、そう思えたの、貴方と居るときだけだ、ディエゴ。
銃をしまう。リンゴォに言われたとおり、これは切り札にする。服の下に隠しておく。
やることは決まっている。
部屋を出て行く貴方に、私はなんの言葉もかけられなかった。引き止める言葉、あるいは、別れの言葉すらも、言えなかった。
……だったら。
手にしたチケットを確認する。列車の出発時刻は、数時間後だ。なら、急がないと。
私は街に向かって歩き出した。
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