▼ 03
私は私から逃げられない。
自分がどういう人間なのか、いやというほどわかっている。
それを変えることはできない。例え何があっても、後悔すらできない。
ずっと他人を排して生きてきた。自分だけがなにがなんでも生き残るために。そうするしかなかったとは思わない。けれど私はそれを選んだんだ。優しい心は、きっとひとかけらも持っていないし、必要ない。私はどこまでも他人のことがどうでもいいんだ。そう、誰であろうと、自分に関係のない人間のことなんて、どうでもいい。
ディエゴの母親のことも。
気にかけたりできない。申し訳ないと思ったりできない。あの時助けてあげればよかったなんて、微塵も思えない。だってそのとき私とディエゴは他人同士で、私は他人に、そんなことをしようと思える人間じゃあないんだ!
底の知れた、どこにでもいる利己的な人間じゃあないか。そのことにずっと納得してきていただろう。
どうしていまさら、胸を痛める?
そうじゃなかったらよかったなんて、どうして思う?
ディエゴの表情は読めない。怒っているのか……と思ったけど、違うのかな。それにしてはひどく冷静な視線だ。さっきは怖かったのに。それを見る私側の気持ちが変わったんだろうか。
権利がある。彼には、私に復讐する権利が。
ひどい人間でいることに抵抗はない。だからそれで自分がどんだけ恨まれたって、文句はないつもりだ。この瞬間もそれは変わらない。
ただ、いつもより少し、悲しい、と思う。
なにがなのかは、わからないけれど。
「俺は、あの時黙ってみてるだけだった農場のヤツらを許しはしない。あのビーチで君を見つけたときからずっと、俺はどうやったら君の誇りを切り裂けるかを考えていた。君はなにを誇りにして生きているのか、知るためにこのレースを共にした。君は先ほどチケットを提示されても、受け取らなかった……。君は俺に付いてきたいのか」
「……ああ、そうだと思う」
自分でもどうしてそう思うのかはわからない。けど、ディエゴとここで別れることが、いいことだとは思えないのだけははっきりしてる。そう、はっきりしてるんだ。
だったら私は、それを伝えないといけないな。
「私は貴方と行きたい」
「そうか」
両手で顔を覆う。
さよならを。きちんと、する時だ。ディエゴが顔を寄せてくる気配がする。
私の一番欲しくない言葉を知るために、貴方はずっと私と一緒にいたんだね。
「君にそんな資格はない。ついてくるな」
耳元で囁かれた言葉が、思いのほか、優しい。
声が震えてしまうから、私はただ、頷くだけにした。
さよならが、言えなかった。
このためか。
このために、一緒に行こうなんて言って、私に信用させて。そうしてから、裏切るためか。貴方を信じた私を。貴方を好いた私を、みじめなものにさせるためか。
そのための、旅だった。
やっぱ流石だよ、貴方。それ、大成功。
ディエゴが離れていく気配がする。私は目を閉じる。
「契約書は残念ながらまだ有効だ。君がマンハッタンにたどりついたとき、まだ俺に会う勇気があれば待っていろ。金は払ってやる。約束どおりな。この部屋は好きに使え。我が愛馬を休ませるためにも一泊しようかと思っていたが、止める。留まれば君と同じ街に居ることになるから」
私はドアが閉まる音を聞いている。本当は耳を塞いでしまいたかった。静かになった部屋の、開いた窓から、風が入ってくる。
リンゴォから貰った銃を取り出す。
私にはこれがずっと、死のかたちそのものに見える。だから、嫌いだ。
彼と共にあるならば、これを手に取ることも構わない、恐れないと、そう思った。
ベッドの上に銃が落ちる。
投げ出された、私の覚悟。
嵐の海のなかで、父と母は命がけで私を救ってくれた。そんな両親が、誰かのせいで死んだなんて思ったら、私はそいつを殺してやりたい、と思う。
ディエゴはそうは思わなかったのかな。憎む人間が多すぎて、わかんなくなっちゃったのかな。
貴方には私を殺す権利すらあったのに。
他人のために、なにかをできない。
それはどうしようもない、私自身。
変えようの無い、自分。
目を閉じたまま、体の力を抜く。
どっぷりと眠ろう。一晩中、飛んで、川にも落ちて、また飛んで、もう、くたくただ。
眠る。
目を覚ましたいとは、思えないけれど。
眠る。
本当に、目が覚めなければいい。
できれば草原を飛んでいる夢でも、見たい。
砂漠でもいい。
私は飛んでいる。
ディエゴの姿が地上にないか、双眼鏡を覗いているんだ。
いい風が吹いている。このまま天気が続くって、恐竜の天気予報が告げるから、私は安心して飛べるんだ。
そんな、夢を。
貴方と旅がしたかった。
そうしたら私は、なにかを得られるような、そんな気がしていたんだ。
雨の中を飛び、水の中で、両親の記憶を思い出した。
貴方が居なかったら、私はなにも知らないまま、なにもできないまま、くだらない人間のまま、そのまま死んでいくしかなかったんだ。
『価値』のある人間になりたい。
結局のところ、私の願いはそれなのに、『価値』とはなんなのか、考えたことなんかなかったのかもしれないな。
誰の目から見ても、『価値』のある人間じゃあなくて。
誰かにとっての、『価値』のある人間。
ディエゴは私に、無価値ではないと言ってくれた。あれも嘘かもしれないけど。
ああ。そうだ。ディエゴ。
私の誇りを切り裂くって言うなら、貴方は。あの時……ピアスについて訊ね、私が答えたあのときに。一言、『かわいそうに』って言えばよかったんだよ。それが私にとって最も屈辱的なことだった。けれど貴方はただ『そうか』って頷いて……それだけで……。それ以外なにも、言わなかった。
それが、嬉しかったんだ。
貴方は、私に、いいことをいっぱい、くれた。憎んでいても、貴方が知らないうちに、私は貴方から、たくさんもらった。
心臓の上に、手をのせる。鼓動を肌で感じる。
私はどうするべきか。
考えよう。そして、答えを出さなければ。
私は、ディエゴのこと、どう思ってるんだ。
彼についていって、なにがしたいんだ。
どうするべきなのか。
まどろみながら、思考する。
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