▼ 02
「……君はそんな怪我をすることになっても、この先もついてくる気なのか」
「そうだよ」
だってマンハッタンにたどり着かなければ、金を手にすることができないじゃあないか。……でも、私はずっと、自分の『価値』を押し上げるために故郷を探していて……そのためにはお金が必要で……。けど、川に落ちたとき、母と父の記憶を、思い出した。ピアス、ずっと持っていてねって、お母さん言ってた……。片方だけになった私のピアス、両方そろって、はじめてひとつなんだ。なのに私……片方……、お金に換えてしまった。もう、どうしようもないことだけど……。こういうの、本末転倒っていうんだろうか。
全然、だめだな私、ぶれぶれだ、最近。自分がなにをしたいのか……ちゃんと考えてから、行動しないと。
「……わかった。しかし残念ながら、君の旅はここで終わりだ」
「……? どういうこと」
「先ほど大統領と取引をしてきた。内容は君に教えたりしないが……。その結果いくつか手に入れたものがある。そのうちのひとつを君にやる」
「……列車のチケット……」
「マンハッタンまでのな。途中で船に乗り換えなくちゃあいけないらしい。そのぶんもきちんとある。君は最初の予定通り、マンハッタンへ向かっていろ。俺は一人でこのレース、そして遺体集めを続ける」
「な……」
なんだ……それ……。いや、列車の、チケット……。どういう取引をしたのかはしらないけど、それを大統領から手に入れてきたのか……なんで……。考えるまでもなく私には都合のいい事態だ……。これでマンハッタンまでいけるなら……それ以上のことはない……。でも、なんだこの……素直に飲み込めない、この感じ……。
「嫌……だ……そんなの」
「何故?」
「貴方がわざわざ大統領と交渉してまでそれを手に入れる……その理由がわからないし……。私は……私はまだ……」
貴方と居ちゃ駄目なのか……?
どうしていきなりそんなことを言うんだ……。
理由……それを、私はずっと、知りたい、のに。
「理由か」
「……」
なん……だろ……この感じ……。
いやなかんじがして、ベッドから立ち上がろうとする。ディエゴはすぐに私の膝を押さえてそれを止めた。なんだよ、なんだよ貴方、すっげぇ怖い……。
私の膝を押さえたまま、ディエゴはゆっくりと身を乗り出す。獲物を狙う肉食動物、そのんまの目をしてる。恐竜になったからじゃあない。それ、あなた自身の目だ。貴方がもともと持っている怖い目。
「そもそも君に断る権利なんかない、と言ったら?」
「……どういうこ、と」
なんでだ。ディエゴなんもしてないのに、息が苦しい。私はこの人が本当に苦手なんじゃないか、と思う。一緒に居て苦しいなんて、幸せなことじゃあないよ。いやな汗をかいてる。包帯ぐるぐる巻きの両手がシーツの上で滑った。ずるりと体勢がくずれて、私はまたこの人に追い詰められている。
「君がずっと知りたがっていたことを教えてやる」
ずっと。
知りたかったこと。
ディエゴはどうして私と、マンハッタンで金を渡すなんていう契約をしたのか。
私は彼と過去どこかで会ったことがあるのか?
そうだ、私がずっと、知りたかったこと。
今、彼の口から聞ける。でもなんでだか、全然嬉しくない。
どうして……。
どうして、そんな顔してるんだ、貴方。
雨はもう乗り越えたのに、私はまた、あの感覚を思い出していた。
怖い。
聞きたくない。
何で私、そんな風に思ってるんだろう。
なんで怖いなんて思うんだろう。
わからない。
「君は幼い頃、嵐のあとだ。海岸で目覚めて、そのあと農場にたどり着いたんだろう。そしてそこでしばらく働いていた」
そういえば、ずっと引っかかっていたことがある。
ディエゴは私がどういう風に生きてきたか、聞いてきたのに。
『どこ』で生きてきたか、それを尋ねてきたことはなかった。
まるで……私がずっと生きてきた国、それがイギリスだってこと、知っているみたいに、だ。
「俺も小さなころ、母親と二人で農場に居たんだ。君は知らないかもしれないけれど、あることがあってから、俺はそこで働いている連中の名前を、一人残らず頭に刻み込んでいくってことをしてたからな。キトってヤツが、覚えている名前のなかにあったよ。全員の顔までは覚えちゃいなかったが、君のことは覚えていた。歳も近かったし、俺なりに親近感とかがあったのかもな」
「あなたの……お母さん、と」
今は、その人はどうしてるんだ?
ねぇ、この話はいったいなにに繋がろうとしている?
「君はどうせ覚えていないだろうと思う。それは君がそういう人間だからだ、とも……。だが一応聞いておく。覚えていないか、キト。息子のために素手でシチューを受け取った人間のこと、君は」
「……覚えていない」
農場。そうか。貴方もあそこに居たのか、ディエゴ。
私の事は知っていたんだね。わざわざあそこで働いてた人間の名前ぜんぶ覚えているなんて、まともじゃあないよ。そんなの目的はひとつじゃあないか。
「俺たちのカップに穴が開いていたんだ。新しいのが欲しければ金を出せといわれた。そんな金、あんな農場で働く人間が持っていられるものじゃあなかった。母は俺のために、手のひらを火傷してまで、シチューをすくってくれた。農場の連中は、その光景を黙って見ているだけだった。君もそのなかに居たな。そうだろ」
「うん。居たと思う。貴方のことは、覚えていないけど。貴方が覚えているなら、そうなんだろう」
手を握る。心が冷えていく。怖くて、じゃあない。自分がどういう人間なのか、再確認して、だ。
「食事時のことなんか、いちいち覚えていないがな……。もし、私がその場面に遭遇したら、きっと見てみぬふりをするだろうね。だってそこに入って割ったら、私を雇っている農場主にいやな印象をもたれるかもしれないじゃないか。そしたら給料を減らされるかも。そう思ったら、絶対その場面には助けに入らないね」
「……君は、」
「貴方のお母さんは亡くなったのか」
「……それから数年後にな。そのときの傷が原因だった」
「そっか」
息をつく。
……そっか。
わかったよ、貴方、私と契約して、もういちどマンハッタンで会う約束をして。
「貴方は私に、復讐しに来たんだね。……お母さんを死に追いやった人への、復讐」
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