楽園偏愛録 | ナノ


▼ 07


 ディエゴ・ブランドーの過去はわからない。悪い噂はたくさんあるが、私はそれを貶せるような生き方をしてきた訳ではないのでどうとも思わない。だが彼がなにも話さない、ということそれ自体は不可解で、気持ち悪い。
 彼が絶対に話さない。いつもはぐらかす……二つの事柄。
 そのふたつに繋がりがあるなら……。私はなんらかの形で彼の過去と関わっている、ということになるのではないだろうか。
 前に会ったことがある?
 だとしたら……それはいつ?
 どういった形で?
 私のなかの一番ふるい記憶は、もちろん自分の住んでいた場所、そこに居た両親の記憶……そして文明の記憶。しかし、それからの人生をすべて記憶してきたというわけではない。例えば、海岸でひとり目を覚ましてから、どうやって農場までたどり着いたのか、記憶はあいまいだった。食べた虫が苦かったこと、火をつけるのが大変だったこと……そういったことを断片的に覚えているのみ。後から確認してみれば海岸と農場はかなり離れたところにあって……一週間や二週間で子供がひとりでたどり着けるようなところではなかった。だから何十日もかけて、私は死に物狂いで人の居る場所までたどり着いたということになる。今考えてみれば奇跡だな……。農場で働かせてもらえるようになって初めて金の概念を知って、これはいい、と思ったのははっきり覚えている。なにをするにもまず金が必要なのだ。それがなければ人間の扱いをしてもらうことすら難しい。私はそれを学んだ。だから無心に働き続けて、金を貯めることにした。

「私がさせてもらっていたのは、主に畑の管理だった。家畜の糞尿を混ぜて畑に撒いたり、草を取り除いたり……。かなりの面積のある畑をひとりで任されていた。だから作物のひとつやふたつ、くすねるのもワケなかったな。農場主にバレないように、野菜を低価格で売って小金を稼いだりもした……。農場のことで覚えているのはそれくらいだ。金が貯まったらところですぐに商売を始めたからね」
「なんの?」
「ああ、はじめは塩だったな。塩だよ、塩。よく覚えてる。まとめて大量に仕入れて、ちまちま売っていくんだ……。外国から輸入した安い塩を、イイモンだって偽って……。バレそうになったら売る場所を変えるんだ。騙すのはね、結構骨だったよ。私まだ子供で、身体もしっかりしてなくて、信用を得るのに時間がかかったんだ」

 ウサギの肉をちまちま食べながら、ディエゴはすっげーてきとーに相槌をうつ。私たちが今やってんのは、あれだ。お互いに質問を一個ずつして、嘘偽りなくそれに答え合うってやつ。ディエゴが聞いたのは、嵐があってひとり生き残ったあと、私がどう生きてきたかだった。まるっきり……私が彼に聞きたいことと同じだ。今までどうやって生きてきたのか……。これ、牽制か? こっちはなんて質問すればいいんだろう。

「あとは……。なんだ? なんの話をすればいいの?」
「塩の後」
「いっちいち覚えてないって……。つーか聞きすぎだろ……えっと……それからは稼いだ金でいろんなものを、だよ。外国から輸入されてきた珍しいもの……パッと見価値があるかどうかわかんないものをぼったくり価格で売ってたかな。ビーチでもやったけど。だいたいあんなかんじ」
「あの調子でいつも商売してたのか? それにしては大した儲けがなかったか、いちいち売上金を盗まれでもしていたのか……。アメリカにまで出稼ぎにくる必要はなかったんじゃあないのか」
「……商売先は、主に二つ。金は使えばいいって思ってる金持ちの貴族様……。道端で珍しいものに目を輝かせては財布を開いてくる、いいカモだった」
「もうひとつは」
「……ああ、いや、これは質問外だろ。質問外。私がどうやって生きてきたかには関係ない。この質問には答えない」
「そうか」

 手のつけられていない私の肉にひょいと手を伸ばして、ディエゴは自分の口元に運ぶ。食べ盛りめ。べつにいいけどさ。レースには勝ってもらわないといけないんだから。

「君の質問は?」
「ああ……『私に初めて会ったのはいつ?』」
 口の中の肉を飲み込んでから、こともなさげにディエゴは「取引をしたとき」と答える。

 あー……やっぱりそうだよなー……。会ったことはないか、あのビーチが、初対面だった。じゃあやっぱり、なにか間接的にでも、私は彼に関わったことがあるのか? そのせいであのわけのわからん契約をさせられた。その目的は……もう一度私に会うこと。もう一度会う必要があった。会って……どうするつもりだった? 人ごみのひどいあのビーチではできないことが、なにかあるんだ……。それを実行するつもりでいる。
 それは例えば『殺害』とかだと思うんだけど、だとしたらこうして一緒に旅をしている間のどっかで後ろから銃でも撃てばいいだけだから……多分違う。そこまでひどくないけど、でも私には言えないこと。
 なにを思ってる? なにを企んでいる?
 貴方の目的は何?

「妙な質問だったな」
「ああ……。貴方と何処かで会ったことがあるのかな、と思って」
「君の方にその記憶は?」
「ないよ。昔のことだったら覚えてなんかいないだろうし……。……うーん……」
「そう難しい顔をする問題でもないと思うけどな」
「だってこのままじゃわかんないまま……ああもう……」
「俺のことが信じられない?」
「うん」
「俺も君のことを信用している訳じゃあない。でも、ついてくるんだろ」
「う……うん。ついてく」
「なら俺はそれで満足だ」
「……」

 ……そうだろうよ、人の人生は洗いざらい吐かせておいて……自分は……なにも……。
 ……軽々しく口にできないようなことが……なんかあったんだろう……そんくらいは予想つく……。だけどそこにずかずか踏み込む程度に……私は野暮だよ……。だから、なにがなんでも、いつか絶対に、聞き出してやる……。貴方の抱えてるもの、全部……。私が。
 このステージもそろそろゴールが近い。山を過ぎたら……次はカンザスまで。なにがあるのかな、そこに……。小麦畑でも広がってるのかな。農家と交渉して食料を手に入れたりできそうだ……。でもその前に、まず、遺体を狙うテロリストの大元を探らないと。私が、やんなくちゃいけないこと……。誰のためでもない。自分のために、だ。私の行動原理は、いっつもそうだ。そうじゃないといけない。



 語られていないことは、きっといくつも、あっただろう。私たちの間で、伝わっていないこと、たくさんあったにちがいない。私たちはお互いに多くの秘密を、それはあたりまえに人には話さない多くのこと……そういうのを抱えていた。それをお互い洗いざらい吐く機会には、とうとう巡りあわなかった。
 次に会うことがあったら、話をしようと思っている。
 いつもそうしていたように、焚き火を囲んで、お互いにひとつずつ質問を投げ合って、嘘偽りなく答えるのだ。
 遂げられなかった多くの願いのうちのひとつ。そしてそれはとても、大事なことなんだと思う。


 

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