楽園偏愛録 | ナノ


▼ 06

 ウサギのふわふわした毛の生えるやわらかい足を四本まとめて縛って、木に吊るす。ディエゴと私では、私のほうが朝が早い。彼より早く起きるように意識しているわけでも、元々早起きする性質なわけでもない。単にディエゴに対する警戒心の現れなのだと思う。彼より早く眠りにつくことも、彼より遅く起きることも、私にはめずらしい。そういったことは意識しているわけではないのだ。他人が近くにいる状態で眠らなければならない夜は何度もあった。そのたびに私は浅く眠ってきた。他人は信用できないもので、それはもう私の体に染み込み切った意識だ。
 ひとりの夜は凍えそうに、寒い。限りなく孤独で、きっとさみしいものだ。けれど私はそういった状況下でしか深い眠りにはつけなかった。
 なんでもいいから好きな動物をそのへんで一匹つかまえてこい。目が覚めてからどうせ暇だろう。
 そう言ったのはディエゴだった。相変わらず意図が知れないが、とりあえず私は言うとおりにしてみることにしている。そうすると面白いことがおこる気がするから。彼はたぶん私の浅い眠りに気が付いている。どうしてそうなるのかについても見当がついている。彼は見透かすのだ。全部見透かす。昨日の夜恐竜化する力を手に入れてからは、彼の感覚が研ぎ澄まされて、いっそうその見透かす力が強くなっている気がした。いつもよりも早く私の目が覚めたのはそのせいだ。彼に対する警戒心が強くなった。警戒心ってのは私にとって、誰に対しても持つものだ。不思議なことじゃあない。違和感を覚えることでも。あたりまえのことなのだ。
 ところで、『好きな動物』というのはこういう意味で捉えてよかったのだろうか。
 とりあえず山の中にいる動物ではウサギが一番安全で愛らしい動物だろう。だが食べるなら狼とか、筋肉のしっかりしている動物のほうがいい。個人的な好みだが。ウサギの肉はなよなよしていて好きではない。食用に育てられてもいない野生動物なんだからあたりまえだけど……。
 あっ、もし食べるの目的じゃあないなら、このウサギ殺さないようにしないと駄目だよな……。あわてて木から下ろす。足を縛っておくのもなんとなく死にそうだったので、ほどいてやる。そうするとどうやってこのウサギを捕獲しておけばいいのか。腕の中に抱え込んで、逃げられないようにする。このままディエゴが起きるまで待てっていうのか……? 先に飛び立つ場所でも探しに行けばよかった……。早朝からウサギ狩りなんてしてるから……。

「キト、」
「あ、おはよう」

 木の影からディエゴが顔を出す。川でも見つけて顔を洗ってきたのだろうか、水がしたたっている。水……見つけるのも、恐竜の感覚を手に入れた今では容易いんだろうな……。聴覚、嗅覚、視覚……は、止まってるものは認識できないんだっけ。でも、強化されたそれらの感覚は有用だ。

「それにしたのか。ウサギ? 案外かわいらしい趣味だな」
「捕まえやすかったっていうのもあるよ……。ネズミとか触りづらいし。それでこれどうするの?」
「ああ、ちょっと……抱え込んでいないで差し出せ。恐竜化させる」
「んー待ってこいつ動く……はい、」

 ウサギの耳のあたりを、手袋をはずした手でディエゴは乱暴につまむ。……あ、そういう触り方するんだ。ちょっとかわいいな。胴体鷲掴むのかと思った。
 ふわふわした体毛が、がさがさした皮膚の感触に変わっていく。長い耳は触覚のようなものになり、全体的な体格、骨格までも変化しているようだ。手の中のウサギはすぐに小さな恐竜になった。と同時にディエゴの支配下になったらしく、おとなしくなる。

「恐竜にするんだったら、動物なんでもよかったんじゃないの?」
「ネズミには触りづらいんだろ? 君が懐に入り込まれても不快ではないと感じる動物でなければな」
「というと……。この恐竜、連絡係か」
「そのようなものだな。俺は常に君の位置を知ることが出来る。常に連れまわせ。ただ、俺から離れたときに恐竜化が解けるかもしれない。この能力の『範囲』を、俺はまだ把握することができていないからな……。まぁ、試しに、だ」
「ふーん。いいね。便利だ」
「フェルディナンドの支配下にあったときと違って触れても君が恐竜化することはない。携帯していろ」
「うん……。へへ、かわいい」
「……もうそれはウサギの姿じゃあないぞ」
「んー……いや、これはこれで……慣れてくると……。あ、ところでさ」
「なんだ」
「ウサギ食べる?」
「……?」
「いや、こいつら、あ、ウサギね、二羽つかまえたから、うち一羽は食べようと思って……。貴方水のある場所見つけたんだよね、教えてくれない? 捌いてしまいたいからさ」
「……なんというか……タフ? といえばいいのか? まぁいい。水場に案内する」

 あらかじめ首を絞め落としておいたほうのウサギを片手に、ディエゴのあとに続いて山道を歩く。木の根っこに躓きそうになって足を上げると、その下をひょいとミニ恐竜が通っていく。おお、この元ウサギ、ついてくるのか。いいなこいつ。かわいい。

「ねぇ、さっきの恐竜化、手袋はずしてやってたけど、直接触れなくてはいけないの?」
「ああ。そのようだな。ただこういった手袋や服は、俺が恐竜化するときにまきこまれて恐竜としての皮膚の一部になる。恐竜化した状態だと、相手に傷をつけることで他者の恐竜化が行えるみたいだ……。まだ決め付けてしまうのには早いが、そう解釈している」
「ふうん……。自分の身の回りにあるものが、モノなのに『自分』と見なされて一緒に恐竜化するのかな。そういう哲学があるよね。『どこまで』が自分なのかってヤツ」

 自己を形成しているものはなんなのかってヤツだ。例えば『自分』という存在を指せといわれたとき、それはあくまで皮膚でおおわれた自分の体だけではなく、身に着けているものも含まれる、と考えられることがある。自分の身に着けているものは他者と同じではなく、他者と自分を別の固体だと認識付けるアイデンティティとしての自己として、服やアクセサリーも『自分』である、という考えだ。スタンド能力は人間の精神に依存して発現するものなのかもしれない。

「ウサギ、捌けるのか」
「あー、やったことないけど魚とおんなじでしょ? 頭を落として、中身を引き抜く……。皮をはぐのがめんどくさそうだなぁ」
「……精神的苦痛が伴うかどうか聞いたつもりだった」
「ああ、ディエゴ。自然は大事だよ。でも自分の空腹を満たすほうがもっと大事だ。腹を満たして自分のエネルギーにすることが、自然への敬意だとも思う」
「わかった。きっと動物を愛でる精神を育む機会に今まで恵まれなかったんだな」
「……恐竜はちょっといいよ?」
「シルバー・バレットには手を出すなよ」
「出さないって……。あのさぁさっきから人を野生動物みたいに……」
「いったい今までどうやって生きてきたのかを聞いてみたいな」
「……お互い様だろ?」

 ぴたりと、ディエゴは歩みを止める。ああ、違う気配が混じってる。目が、左眼が、怖いね、恐竜さん。でもなんだか貴方らしい能力だ、それ。

「私も聞いてみたいよ。貴方が今までどうやって生きてきたのか……とても興味がある。いいトコの出身じゃあないだろう。本物の新聞記者は嗅ぎ付けてる。優勝候補のディエゴ・ブランドー。みんな貴方に興味がある。だから調べられる。私が読んだのはずいぶん前の記事だけど……」
「……キト、その話は」
「うん。今しなくてもいい。だけどね、ディエゴ、貴方は私に、自分の出生と、私と契約をした理由、そのふたつについてだけはどうしても話したがらない。私にはそのふたつが、どうにも結びついたものに思えてならない……。今は聞かない。だけど絶対にいつか聞き出してみせる。そう思っている。それを覚えておいて欲しい」

 それを教えてもらったら、私も深い眠りにつくことができるんじゃないかな、と思うんだ。貴方よりも早く眠って、貴方よりも遅く起きて……そういうことが。
 生まれて初めて、人を信じられるかもしれないと。
 そう、思ったんだよ。




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