楽園偏愛録 | ナノ


▼ 04

 狼の気配に私は鈍いとディエゴは言った。
 それは私が生き物の『声』ではなく『足音』をよく聞くようにしているからだ。体重の軽い生き物は草を踏みつけても音がしない……。人間だったら木の枝を踏んで折ったり、背の高い草をかきわける音がするから、すぐにわかる。狼はわからない。彼らは草の隙間を縫い、飛ぶように軽く地面を翔ける。
 だからこの足音は狼ではないと思った。
 もっと大きな生き物。
 焚き木のそばで、私は身構えた。
 ディエゴはここにくる。私が火を焚いて場所を知らせているから。かれの指示どおりに。
 この暗闇の中、馬を走らせても怪我をする危険の方が多い。
 だから、ディエゴは馬を引いてくる……はずだ……。つまり足音はふたつ……馬が四本足で歩いていることを考えるとそれ以上か……。少なくとも聞こえてくるのはふたつ以上の足音でなければならないのだ。ひとりで来るものがいたら、それは敵だ。狼よりも大きい、敵。
 例えばあのイカれた村で見かけた、正体不明の化け物みたいな……。
 がさがさと草を掻き分ける音は、確実にこちらに近づいている。火があるのに……? 知性をもった生き物だ……それで……これがディエゴじゃないならやっぱり……

 鳴き声をあげて飛び出してきたのは、村で見たあの化け物だった。

 私はナイフを構える。しかし、相手の動きはまったく見えなかった。腕を尻尾ではねられ、ナイフは地面に落ちる。私は地面に背中を打ち付けていた。肺に響いた衝撃が呼吸を苦しくさせる。化け物の足で胸のあたりを踏みつけられている。必死に息をする。攻撃を加えられていない方の手でその足を引き剥がそうとするが、びくともしない。化け物を見上げる。鱗がある。やはり爬虫類だ。でも、こんなサイズ見たことないぞ……トカゲはこんなに怖くないし……なんなんだよ……何故私を追ってこれた……。
 私を……?
 がさり、と再び近くの草むらが揺れ、一頭の馬が顔を出す。

「シルバー……バレット……。なんでここに……危ないから逃げなさ……、っぐぁ」

 化け物は私の首に手をかける。がさがさした鱗に覆われた手。鋭い爪が食い込む。痛い……痛いが……。この手の目的はなんだ……。私をおさえつけるのはもう足でできてる……。とどめをさしたくて首を絞めたいってんならわかるが……痛みはあるけど呼吸はできる……。これは理性……か……? つまり……『手加減』……。

「ディエゴ……貴方か……? 私を驚かせようってんならもう成功してるから、そこどいて……」
「なんだ、もうばれたか」

 ひょいと、あらかじめ決められていた行動のように軽く退いたディエゴは、一瞬のうちにあの化け物の姿から人間の姿に戻っていた。

「火を消してここを去るぞ。ジャイロとジョニィに見つかると面倒だからな」
「じゃあなんでこんな茶番……」
「ああ、ちょっと興味があったんでな」
「興味? なにに?」
「君の持ちうる『敵意』の密度にってところか。……中々だったぞ。気弱な人間なら目だけで殺せそうだった」
「……なんで……」
「恐怖がなかった。君はきっと死ぬ間際まで自分を保つ人間なんだろう。俺はそういう人間が嫌いじゃあないから、君がそうだったらいいと思った。だから試した」
「……首が痛いんだけど」
「血が出てるぞ」
「…………手加減は苦手なんだね」
「少しやりすぎた。俺は満足する結果を得られたから後悔はしていないので謝らないが」
「べつに怒ってないよ。呆れ返っただけ……」

 ふんぞりかえってんじゃねぇよこの野郎……。消したばかりの焚き火のあとで名残る煙を見つめながら、身支度をする。もう山は下るだけだ。馬にはつらいだろが、私は楽。夜は危ないから歩いていくけど……。

「あ、そうだディエゴ、さっきのなに」
「ジャイロは『恐竜』と呼んでいたな」
「恐竜……。聞いたことがあるな。いや、そうではなくて、貴方が何故恐竜に化けられるのかなんだけど」
「ああ……。聞くか? 君が食事をしている間にいろいろあったんだ。全ての村人を恐竜化させたりな」
「あれ貴方が主犯かよ……。どういうこと? 貴方実は人間じゃあなかったの?」
「そうかもしれない」
「…………」
「嘘だ。それはまぁ歩きながら話してやる。その前に君の傷の手当を」
「…………ああ」
「そう警戒するな。ほら、バンソーコーがある。かすり傷だとは思うが、貼っておけ」
「……うん……」
「……やっぱり怒っているだろう」
「……ディエゴ」
「どうした」
「手も痛い」
「……」
「背中も」
「……」

 私の首目掛けて乱暴にバンソーコーを貼ってから、ディエゴはなんだか困ったような顔をした。笑っているようでもある。

「俺の馬に乗っていくか?」
「私のハンググライダーは一人じゃ歩けない」
「ああ、じゃあそれは俺が持つから」
「……いいの?」
「キト、我儘はつきとおすものだ。妥協をするんじゃあない」
「……ありがとう」
「君が昨日寝ずの番をしてくれたからな。決してさっきのことの謝罪じゃあないぞ」
「貴方はそのなにがなんでも謝らないっていう姿勢を改めろ」

 ……でも、ああ、結局……。私は今安心……している。得体のしれない化け物がディエゴだってわかった途端……いつもの調子だ。
 人を信じるな!
 わかってるさ。
 でもちょっとだけの安心くらいいいいだろう。
 許容範囲内。
 たぶんね。




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