楽園偏愛録 | ナノ


▼ 13


「……この『命令』では嫌か」
「ち、違う……。いいんだ。ああ、そうだよ、そのための『命令』じゃないか、私が嫌と思うことに、一度だけ従う……。そうじゃないと私は貴方と対等だという認識を持てない……。返せない……。でも、このまま貴方についていっても、私、役に立てない……それは……それすら……我慢しろっていうのか……それが『命令』か……」
「……その『役に立つ』というのは、君にとって重要なことなのか?」
「…………『無価値』だと、思われたくない。思いたくない、自分のこと……」
「そうだな。俺も自分にとって『価値』のない人間だと判断を下した奴のことはどうでもいい。だが……」

 ベッドが揺れる。ディエゴが両手をベッドにかけて、追い詰めるように私に近づく。あわてて私はベッドの上に足をあげ、壁側の方に擦り寄る。

「俺がする説明に君は満足しない……。俺達の『価値観』が違うからだ……。容認できる範囲が違う……。君の理解できない理由を、君は理由と認めない。だから俺は君に理由を与えられない。だが、……理由抜きで言って君のような人間にこれが伝わるとは思っていないが……少なくとも俺にとって君は『無価値』ではない」
「……、無理だ……貴方の言うとおり、その言葉にはなんの根拠もない……」
「そうだな……それで、もう君に対する『命令』は残っていないから……これは俺から君へのただの頼みになるんだが……。君は理解も納得もしなくていい。しないまま……わからないまま、それをそのまま受け入れろ。俺が君を『無価値』とは思っていないということを信じろ」
「信じろって……根拠のないことを……? そのまま……?」

 そのまま……。わけのわからなさを、置いて……。信じるだって? 貴方のことをか? そんなこと私にできると思うのか? だって……。

「ディエゴ……」
「なんだ」
「どうすればいいのか……私にこういう事態の前例はないんだ……。『一緒に来い』なんて……言われたことない……きっと……」

 行きましょう。
 手を引いてくれた母は、そう言っていたか? しかし彼女は、もういない、たとえそう言ってくれていたとしても、彼女はその約束を破って、私をひとりぼっちにしたじゃないか……。
 だから私は、誰とも『一緒』ではないほうがいい……。ひとりで生きていく……。自分で決めて、自分で行動して、自分で死ぬ……。それができるなら、きっと幸せだって…思ってた……。……ずっと……。誰にも……期待なんかしてなかったのに……。一緒だなんて、言葉……世界のどこを探しても、見つからないんだって……。
 ディエゴはもうひとつ……私に近づく。ベッドに腕を立てて、身を乗り出して、私の表情を窺おうとする。そういう気配がした。いつのまにか、自分の声はくぐもったようにしか聞こえなくなっていた。私は両手で顔を覆っている……。どうして……。どうして……泣いてるんだ……。子供みたいに……駄々をこねて……ただ泣いてる……みっともない……。

「……キト?」
「……わ、たし、は……わからない……理解したいとは思うんだ……でもできない……。受け入れろって言う……あなたの言葉も……どうしたらいいか……」
「……今まで言われたことがないっていうなら、今のうちにたくさん聞いておくか?」
「な……」

 顔をふさいでいた手のうち片方が引っ張られる。ディエゴに手を引かれたまま、私はついに泣き顔をさらしている。片方の目に、相変わらずなにを考えているかわからないディエゴの顔が映っている。

「一緒に来い、キト」
「っ、くっ……」
「俺とだ、俺と来い。ずっとそう言ってる。俺の言葉の理由なんか考えていないで、俺にこう言われて……君がどう感じたのか、それを考えろ」
「わ……私、は……どう……って……」
「君は俺の言動の理由がわからないから嫌なんだろ。それは抜きで考えろ。君が、どう思うかだ。それにも理由は要らない」
「……『おもしろかったから』って……さっき、貴方は言った……」
「ああ」
「……『理由』なく何かを思うはずがない。だから私は、貴方に一緒に来いと言われてどう思ったのか……それを私の言葉で貴方に伝えることはできない……」
「……そうか」
「っだ、だから……その……貴方の言葉を借りる……『おもしろかった』……貴方と居るのは」
「キト、」
「く、雲の……あるほうに、水場があるって、教えてくれた……貴方が……。それで私、必要もないのに、その水場のほうに飛んだんだ、それで……その場所がすごくきれいで……良かったんだ……良かったって思った。貴方がいてくれて良かったって……」
「ああ」
「一緒がいいのとはたぶん……少し違うんだでも……いてくれたらいいなって……思うよ……、でも、どうしてそう思うのかはわからな、」
「わからなくていい。今、君には根拠も理由も納得も理解も必要ない」
「……」

 呼吸を……呼吸をしなければ。息ができない。喉が、目の奥が……熱い。とても。ディエゴに掴まれている手も、そうだ。人間の体温……。息もできないくらい……。

「……『命令』には従えない」
「……」
「何故なら……貴方と一緒にいることにメリットではないにせよ……なにか別の……良いもの……なにか良いものを感じるから。だから、その……私が貴方と一緒に行くことに……今、『命令』は必要なくなった……」
「――そうか」

 そう言って、ぽん、と、頭に手が乗せられる。肝心なときに言葉足らずじゃあないか、貴方――。そんなんで、私に……受け入れろだなんて、よく言う……。

「モニュメント・バレーを越えても、そのずっと先まで……ついていく。あのさ、私は一度そうすると決めたらなかなかそれをやめられない性質で、このレースもそのせいなんだけど……。も、もし私が邪魔で、……『無価値』と判断したら、そのとき私を切り捨てるのに……、そのときに『命令』を使ってくれ」
「……いや、『命令』は今……使っていいか?」
「な、なに……」
「二度とそいういうことを言うな」

 拳で軽く頭を突かれる。けっこう痛くて、その痛さに目を閉じているあいだに、ディエゴは私の部屋から出て行ってしまった。そういうことって……なんだよ……。またなにか怒らせたか……。
 ……でも……一緒に。
 旅が、続くなら、続くだけ――。
 私はそれを望んだのか。自ら口にしたのか。
 どうしてかはわからないけど、それを――――受け入れる……。
 ……ああ、いつか……。できると、いい……。


 

 私が最後まで彼と共に在れたかどうかは、わからない。私の中に、様々な見解がある。ひとつひとつ根拠を述べていくと、どうも私は、最後まで……彼と旅をできたとは言えないのかもしれない、ということがわかる。ただ、それは理由や根拠のある結論に過ぎない。もし……私がどう感じたか、理由や根拠なしに考えて、結論を出してみると――すこし違ったものが見えてくる。
 それが正しいことなのか? それが正解でいいのか?
 できるなら、彼に尋ねたい。

 

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