楽園偏愛録 | ナノ


▼ 01

 風の音がする。自分自身が風を切っている音だ。木々のざわめく音は聞こえない。砂漠は死んだように静かだ。それなのに、すべての生命のエネルギー源である太陽が、抉るように地表を照り付けている……。私は双眼鏡の扱いに慎重だった。腰のあたりをハーネスでグライダーの翼と固定しているから、一瞬くらいはバーから手を離していても大丈夫だ。片手で双眼鏡を取り出す。誤って太陽をレンズ越しに見てしまったら目が駄目になってしまう。片手で身体を支えながら、馬を走らせるものたちを探す。ディエゴを見つけるのは簡単だ。必ず誰かの前を走っている。自分のペースを保ちつつ、誰にも右に出ることを許していない。ファースト・ステージでペナルティを受けながらも彼を抜いたらしいジャイロ・ツェペリという男の馬は見当たらない。何人か水場を目指さないコースをとった者たちがいたようだが、その筆頭が彼だったのかもしれない。自分の脚のみでファースト・ステージの一位を飾ったサンドマンという男も居ないようだ。彼は彼のルートでゴールにたどり着くのだろう。馬では通れないようなところでも彼なら翔けていけると聞く。ディエゴの周りに見当たらないのも当然か。となると最も多くのレーサーが選んでいるこのルート、ディエゴの独走になるのは必至。見つけろだなんて言っておいて、こんなんじゃ見失うこともできない。
 水は太陽の光を反射して、ぎらぎら光っている。スタート地点から一番近い水場だ。空から見ている者にしかわからないが、先頭集団は余裕で今日中にあそこにたどり着くことができるだろう。まだ海からそれほど離れていないし、気温は安定している。ひとまず一日目は安泰といったところか……。こんなのをあと何十日も続けていくのか、このレースは……。
 風は穏やかだ。砂漠というのは決して砂ばかりの場所を指すのではなく、そこが砂漠であるかどうかというのは単に年間の平均気温と降水量で決められる。ここの地形は長い間かけて……いくつかの岩山が雨、あるいは風によって削り取られ、風化してできたところのようだ。岩山が所々にある。そういった場所を探して、私は着陸と離陸を繰り返していた。風が止んだら、高台に降りて、風がおこったら踏み切り、いっきに飛ぶ。

 太陽の光の進む方向と、私とを、一直線に結んで、地面に下ろした点に、私自身の影がある。ハンググライダーの翼のかたちをした影だ。遊び心で、その影を走っているディエゴとその馬にかさねる。そのくらいの操作ならできるようになっていた。とはいえ走っている彼に影をかぶせることができるのなんて一瞬だったが、太陽の光がさえぎられたことに気が付いてディエゴが顔をあげたのがわかった。双眼鏡越しでもどんな顔してるのかはわからないが……。あとで文句言われたらどうしよう。わざとじゃないんだって言って通じるかな……。でもべつに困ることないだろ? あんたは独走していると言っていいと思うし。
 ごちゃごちゃ考えていたら双眼鏡越しにディエゴがわずかに腕を振ったのがわかった。離れていった私のハンググライダーの影を引き寄せるような動作……。
 ……もう一回やれって?
 やってみた。ディエゴは顔を上げない。要求はこれであっているみたいだ……。まぁ、昼は過ぎたとはいえ太陽は絶好調だし、確かに直接日光を浴びるよりは楽だろう。でもこれけっこう難しいんだぞ、速度を彼にあわせないといけないし……。ああ、双眼鏡が邪魔だ。肉眼でも彼のことは見える。両手でバーを支える。これでかなりコントロールがきく……。彼より私のほうが太陽に近い位置にいるから、私の影は実際より大きくなっている。だから滑空していてだんだんこちらの高度が下がってくると難易度も増す。ああもう、なんでやれっていわれて素直に従っているんだ私は。
 そろそろディエゴの視界にも水場がとらえられているだろう。私も一度降りて、水分の補給をしたい。水場にたどりつくこと前提で飛んでいたので、ここに来るまでに水筒のなかの水は全部飲んでしまった。まだ日が出ているからディエゴと合流はできない……。一足先に水場に下りてしまおう。
 私の影が、ディエゴから離れ、スピードをあげる。彼はまた顔を上げた。……今目が合ったか? 太陽の光を浴びるのは嫌かもしれないが、こんなことで不正行為扱いされでもしたらむなしいだろうが。身体を前にもっていく。前に。前に。体のうごかしかたがこれで合っているのかどうかは、わからない。だから気持ちを前にもっていく。前に、前に……。翼の角度がかわり、私は水場まで一気に降りていく。

 水場は、巨大な水溜りのようなところだった。オアシスというのだろうか。ちょうど、岩場の影になっていて、太陽の光があたらない……。溜まった水が蒸発しにくいようになっているのか。上澄みを手ですくってみる。冷たくて気持ちよかった。これ、そのまま飲んで大丈夫なのかな……。煮沸消毒とかしたほうが……。ああでもそのための道具はディエゴに預けた荷物の中だ。耐熱性のコップくらい自分で持つべきだな。今度からそうしよう。

「そこから動くなよ」

 うおっ。
 水のことを考えていたらこれだ。振り向けない。水面に自分の姿が映っている。私の背後から手が伸びてきて、肩の辺りの空間をそっと両手で包んだ。

「蜂だ。巣が近くにあるのかもな。日陰があっても簡単に足を踏み入れないほうがいいと思うぞ。そういう場所は動物の住処にもなりやすい」

 ディエゴは地面に近づけてから手を離し、素早く足で踏み潰す。転がった蜂の死体の、針が鋭かった。


 

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