楽園偏愛録 | ナノ


▼ 06


「おい、もうすぐ次のステージが始まる。荷物はまとめたか?」
「うん。最低限だけどそこらじゅうの観光客と交渉して譲ってもらったり格安で売ってもらったりできたよ。村おこしのためにレースに出ている青年を応援する記者の設定つかえるわー」
「設定?」
「いや、こっちの話」

 空に持っていくのは、地図と双眼鏡。鏡に……マッチも小さいし持っていけるだろう。磁石、ナイフも。水も一応。あとは……、

「空は当然太陽に近いぞ。干からびて死なないようにな」
「ああ……。翼で上からの日光は遮断できる。なんとかなるだろう」
「眩しくはないのか? 俺はゴーグルをしていくが、そういうものは手に入れなかったか」
「いや……」
「ないならこれで代用を」
「あ? って、それ私があんたに売った仮面じゃないか! やっぱりあんたいらないのに買ったんだな! あんな馬鹿馬鹿しい契約して! おしつけようったってそんな安物いらないよ! そのへんに捨てておいて」
「そっちこそこれに大層な価値があるような振る舞いをしていたんだからお互い様じゃあないのか? 木でできているみたいだし、道中焚き火にでもくべるとしよう」
「……結局あの契約はなにが目的でしたの?」
「君はどう思っているんだ? 俺はもうすでにパフォーマンスのようなものだと言った筈だ。それで納得できないとなると、君は俺を疑っていることになる。なにかたくらみがあるのではないかと」
「まぁ、そうだね。だけどそこになんの思惑があろうとあんたが契約書にサインしたのは確かだ。大金を手に入れられるかもしれないなら私はマンハッタンまで行くよ。あんたの思惑がどんなのか知らないけど、わかったときに対処すればいい」
「フム、そうか。それならこれを」

 後ろ手に持っていたものを投げつけられる。泥だらけで、破れているところがあるけど、それはブーツだった。修繕すればはけないこともないないかもしれないが……。なんだ? これを直しておけって? でもディエゴのものではないだろう、これ。だとしたらサイズが小さすぎると思うし……。

「君の足の怪我は打ちつけたというよりなんらかの無茶をしてひねったりしたような腫れ方だった。そんな足首までしかないような靴を履いているならあたりまえだ。それなら膝くらいまであるだろう?なるべくキツめに靴紐を縛っておけ。自分の足を『固定』してしまうんだ。ちょっとやそっとじゃひねらないように。空にいるならあまり関係ないが、危険な小動物や害虫の予防にもなる。君じゃ思いつけないだろうから俺が手に入れてやっておいた。修繕は自分でやれ」
「ああ、ああ、どうも……」

 とか言って靴の中に毒蛇入ってたりしないか? ……しないな。彼にそんなことをするメリットはない。だとしたらこれはなんだ? 単純な好意? ありえない。私の足が駄目になれば飛ぶのが難しくなり、彼は水場を見つけるための目をひとつ失う。まわりまわって自分のためだろう。そうでなくてはならない。
 針金とあり合わせの糸を使って破れている部分を直してしまう。砂漠を歩いたら砂が入ってきて不快だろうけど、私にはこれで充分だ。はいてみるとたしかに、足をしっかりと固定されたようなかんじになる。丘を駆け上がったとき、かなり足に負担をかけてしまった。ああいうことをまたしなくてはならないかもしれない。だとしたらこれはけっこう、いいものだ……。ちょっと関心する。ディエゴは自分と私の荷物を馬に固定しているところだった。もうすぐセカンド・ステージのスタートだとレース参加者を呼び集める声が聞こえてきた。ディエゴはこちらに振り向かずスタートラインのある方へ馬を引いていく。

「俺を見つけろよ。君がすることはそれだけだ」
「うん……、あー、その」

 幸運を、とか、旅の無事を祈ったほうがよかったか? しかしすぐに、そんなのはらしくないなとかぶりを振った。

「了解」



 私はその旅で、初めて砂漠というものを知ることになる。
 砂漠に足を踏み入れたことがないというわけではない。ただ、今までは知らなかったのだ……。砂漠だけではない。私は空も、海も、山も、川も……あらゆるものを知らなかった。ディエゴ・ブランドーという人物についても、なにもだ。あの旅を始める前の私はなにも持っておらず、無知なように思えた。知ったつもりではいたのだろう。本で読んだり、人から聞いたり、遠くから眺めたり……。しかし私はそのあらゆる自然の中で生きたことはきっと一度もなかったのだ。それを知った。枯れていたなにかが生き生きとした輝きを見せはじめ、私はそれがとても眩しく、不思議に思えた。だから、最初にあるのは、戸惑いだった。これからどうなっていくのか、どうしていけばいいのかという、戸惑い……。幸か不幸か、そんなときに指標にできる人物が、私にはディエゴしかいなかった。しかし、彼がいたから、私は『知る』ことができたのだ。揺らぐことのないなにかを、私はきっと彼の目を通して、見ることができたのかもしれない。



 

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