楽園偏愛録 | ナノ


▼ 05



「ビーチでの売り上げが盗まれちゃって……。列車には乗れなくなったんだよ。だから、マンハッタンにあんたより先にたどり着くための手段をほかに探したんだ」
「俺より先にマンハッタンに? 俺に『追いつくための』手段じゃないのか。契約の中身を変更するために俺を追いかけたわけじゃなく、あくまでマンハッタンに行く気なんだな」
「う、うん……」

 な、なんか真面目に相槌打たれると調子狂うなぁ……。
 ブラッシングを続けながらも、ディエゴはなにかを考えているようだった。水が飲みたくなったんだけど、今言ったら怒るかなぁ……。もうちょっと待ったほうがいいか……。桶の中の水、タオルを洗ったら汚くなっちゃったし、汲みに行ったほうがいいかもしれない。というか、早く物資を調達してこないと……。特に地図がないとなにもできないぞ……。確か次は砂漠だ……。砂漠……。水がいるよな……いっぱい……。

「いくつか聞くが」
「えっ、ああ、うん。なに?」
「水を汲む道具すら持っていないのにこれから砂漠を越える気でいるのか?」

 あっこれ嫌な質問攻めだ……。

「多少の物資はここで調達するつもりでいるよ。今ここであなたから桶を買うのでもいいし……」
「だが砂漠を越えていく気でいるならかなりの荷物がいるだろう。簡易ベッドは用意しているのか? どうやって砂漠で寝るんだ? 地面にそのまま寝転がるつもりじゃあないだろうな。そんな大荷物をそのハンググライダーとやらで運ぶのは無理だ。予想だが……あまり荷物があるとその道具は操作がききにくくなるんじゃあないか?」
「うっ……」
「次の質問だ。ここからレースを見に来た観客が見えるだろう。それぞれ応援している選手の国の国旗をかかげているな。一番奥に見える国旗はイタリアのものに見えるか?」
「えっ? ああ……あれかな……。あれはイタリアじゃあないよ。見えづらいけど真ん中に紋章みたいなのが……。メキシコの旗だ」
「視力は良い様だな。では最後の質問……砂漠でどうやって死ぬか知っているか?」
「……それは脅しか? 死ぬかもしれないっていう忠告? 悪いけど私はどうしても金が欲しい理由がある。あんたから金を受け取るために私はマンハッタンに行かなくちゃいけない。これはもう決定事項だ。二人ともサインをしてしまったんだからな……。というかあんたから金を受け取らないことには住まいのある国にも帰れない状態になってしまったからね。行くしかない。私に選択肢はない」

 ブラッシングを終えて、ディエゴは馬を撫でる。まだなんか考えてるな。レースのことか? この質問の意図はなんだ?

「セカンド・ステージは砂漠を越える。リタイアも多く出るだろう。君がそういったリタイア者の中に混じっていくならそれはそれでどうでもいいが……。このステージで重要なのは水場を見つけることだ。水を確保することとレースを両立させなければならない。一応地図上に水場はあることになっているが、これがこの場所に、俺がたどり着くときまでに枯れていないとも限らない。砂漠はそういう場所だと聞くからな……。そういったとき、地図に載っていない水場を探すことが必要になってくる。ここでなにがあると有利だと思う?」
「……なるほど、空からの視点か。広範囲を見渡すことができるってのは、けっこう美味いよな……。それで私の視力がどのくらいか確かめたの?」
「そうだな。最初の質問で君が一人で砂漠を越えるのは難しいこと、次の質問で君が砂漠において水場を見つけるのに有利な視点を持っていることを確かめた。最後の質問はクイズみたいなものだが、当然脱水症状で死ぬ。水場を見つけることができなければそうなる。もう俺の言いたいことはわかったと思うが……。君はどうしたい?」

 ……この野郎、『手を組もう』ってこっちから言わせたいのか? でも確かにそうだ……。私の荷物を少しでもいいから彼が運んでくれればかなり助かる。彼も、私が水場を見つけやすいことで死の危険をひとつ回避できる……。

「『手を組もう』……だなんて言いたくないが、利害が一致していることは確かだ。具体的にはどう進んでいくつもりなのか考えてある?」
「気球がおそらくリタイア者や不正行為をはたらく者を見つけるためにコース上を飛んでいるだろう。レース参加者でもない君が俺と接触することが不正行為だと思われるかもしれない。だから日がでているうちはそれぞれのルートで進む。暗くなったら俺を見つけろ。そして降りて来い。そこで報告などをする。日が昇るまでには離れておけ。それを繰り返してひとまず中継地点まで行く」
「……うん……それなら平気だ……。たぶん……私もあなたも損をしない……。利害の一致……完璧な……」
「……なにかまだ躊躇う要素があったか?」
「いや……ちょっとびっくりしただけだ。この利害の一致のどこにも金銭的交渉がないから……。そういう『取引』もあるのかと……。金が絡まなくてもあなたと『手を組む』ことへの『信頼』が今、私の中にわずかにせよ生まれていた……。どういうことだ?」
「……? まぁ、とにかくそれでいいんだな? 物資調達をするというならとっととしろ。それらをひとつの鞄か袋にまとめて持って来い。俺が馬で運んでやる。今日は50キロ先の水場を目指すルートを走る。俺を見失わないか、見失っても見つけるかしろよ」
「あ、ああ、うん……」
「……これにも『契約書』が必要か?」
「……いらない。私たちはそれぞれ最善の方法をとるだけだ。それが一番いいからそうする。そこには約束ごとなんか存在しない。契約書はまったく必要ない」

 口約束で人を信用するのか? この私が。この男が私の荷物をどこかで捨てると決断しないとでも? そう思うのか、私は。この男だってそうだ。馬よりハンググライダーのほうが早く先に進める。荷物を放って町を探してそこで泊まるなんてこともあるいは可能かもしれない。そうすると彼が私の荷物を持って馬を走らせるなんて徒労にすぎなくなる……。そういった可能性を考えないのか? いや、それを考えた上でどうして私は契約書がいらないなんて言ったんだ……?

「ではよろしく頼むよ。君は確か、キトとか言ったかな。よく覚えていないが」
「……そちらはディエゴ・ブランドーで合っているよね。世話になるよ。……握手とかするの? こういう場合」
「さぁ? したほうがいいのか?」
「じゃあいらない」
「そうか。それではまた日が落ちたら会おう。君の怪我が増えていないといいが? 足が使い物にならなくなるのは避けたほうがいいぞ」

 ……見てたのか。ブラッシングに集中してたんじゃなかったのかよ……。
 まぁ、ストレッチくらいしてから飛ぼうかな。このへんだと……。そうだな、教会の上にのぼれないか試してみよう。そしてそこから飛ぶ。水筒を用意しよう。それから地図と、方位磁石……あとは何が必要だろう。この旅が始まったのは数時間前のことだけど……旅支度がまだ終わっていないなんて、ちょっとなさけないなぁ。






[ back to top ]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -