楽園偏愛録 | ナノ


▼ 01

 後悔がないわけではない。
 もっと利口に……なんの損もしないように。そんな生き方ができたはずなんだ。自分の利となるものにだけ関わり、危険なものには手を出さない。それは特別なことじゃあない。誰もが遣ってる無難な生き方ってやつだ。
 わかっちゃあいるんだけど、今私が歩き出そうとしているこの先の道……これは決して無難なものではない、なかったのだ。そう断言できる。だって私はもうすでに後悔しているんだから……。

 ディエゴ・ブランドーの馬の元に水を運んで帰ってきてみると、売り上げ金の入った封筒が空っぽになって打ち捨てられていた。
 つまり、私は、ディエゴとの契約書をしっかり持っておくことばかりを気にして……大金を置いて持ち場を離れてしまったのだ。この人だかりのなかで犯人を見つけ出そうなんて思わない。レース開始の合図が響き、歓声がうるさい。とても……空からでもないかぎり、レース参加者全員を視界のなかに入れることは不可能だろう。人の壁があって、彼らの姿は少しも見えなかったけれど、彼らが巻き上げる砂埃が、ぼうっといっせいに舞い上がったのは見て取れた。
 私の金を盗った犯人やディエゴに恨み言を吐くつもりはない。完全に私の不注意だし、水の入った樽をかかえて大金を置いていく奴がいたなら私だって同じ事をするかもしれない。が、腹が立つものは腹が立つ。

 というか、状況が非常にまずい。

 考えたくないが、レースの最終結果がどうなるのであれ私はマンハッタンまで行かなければならないのだ。少なくともディエゴ・ブランドーよりも先に。それは蒸気機関車などを使えば叶うはずだと思っていた……。レースは最大で80日ほどかかるといわれているが、そんなのは参考にしかならないとしても、それだけあればそういった手段を用いて私がディエゴよりも先にニューヨークのマンハッタンまで着くのは不可能ではないと、むしろあまった時間をどうすごしたらよいのかと思っていた。
 だかそれはあくまでも金が、しかもけっこうな大金がある場合の話だ。
 この大会をプロデュースしたスティール氏はお偉方や有名新聞社の記者を列車へ招待し、レースの中継を行うと聞くが……、身分もなにもない私がそこに飛び込んでいくのは難しいだろう。貨物列車なんかにこっそり忍び込むとしても、それをマンハッタンまで続ける自信はない。そうなった場合、何十日分もの食料と一緒に乗り込まなくてはいけないわけだから……。そしてその食料はもちろん金で買うわけで……。
 とくかく金だ。金がすべての資本だ。そんなのは痛いくらいにわかっている。私はそれを手放してしまったのだ。愚かとしか言いようがない。今更契約の内容を変えてくれと言ってもレースは始まってしまっているし、そもそもディエゴにそんな弱みはみせたくない。絶対にだ。
 80日で世界を一周する小説があるが、それにしたって鉄道と蒸気船をふんだんに使ってのことだ。無一文の私になにができるのかというと……。

「……徒歩ではどうだろう……」

 歩いて馬より先にマンハッタンにつけるか? しかし、私はレース参加者ではないから、わざわざチェック・ポイントを通っていかなくてもいい……。砂漠や雪原をあえて避けていけば……あるいは……。いや、駄目だ、何千キロメートルも歩き続けて、どうなるのかわからない……。なんだかんだ言ってレース用のチェック・ポイントは最高の物資調達地だ。利用しない手はないだろう。それにはやっぱり、なるべくレース参加者たちに遅れをとらずに進む必要がある……。

「だとしたら今日のファースト・ステージはたったの15000メートル……。これにすら遅れるわけにはいかないな」

 ならばとにかく急ぐしかあるまい。まずは金だ。どうにかして手に入れる! その後どうするかはこれから考えよう……。鉄道は無理だ。大陸横断となるとかなりの金が必要だ。急ぐのならば一時的な手段として捕らえてもいいと思うが、まずは足が欲しい。自分だけの足! 自動車というものがあるそうだが、それはどんなものなんだろう? 自転車を自動化したようなものだろうか。いや、駄目だ、レースは大自然のなかで行われる。道が整備されてるわけじゃあない。そうなったらやっぱり馬が断然有利だ。しかし私に乗馬の経験なんかない。プロの集団についていけるわけがない……。だから、陸路は駄目だ……。小回りが利く乗り物で馬やラクダに敵うものなんかない……。かといって海はもっと駄目だ。せっかくのチェック・ポイントが使えないどころかメキシコ湾の方まで迂回しなくてはならないし……国境付近も面倒が多そうだ。馬よりも……早く進めて、道が整備されてなくても進める……、いや、道なんか関係ない……ような……。必要なのは……。



 

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