楽園偏愛録 | ナノ


▼ 02

 もし……もしも、だ。
 いや、私は運命なんて言葉は信じていないし……、見えるものであれ見えないものでれ、そういった外的な要素によって自分の人生が操作されているなんて信じたくもない。だから『もしも』の話をすることは避けたい。今、この現在の運命が、ただの偶然ではなく、忌まわしいが……運命的な何かによって引き起こされたものであると認めるようなものだからだ。『もしも』だなんて! 決定されている事項以外の未来がありえないなんて言い方!
 しかし私は『もしも』と言わざるをえないのだ……。それは私が嫌悪すべき『運命的ななにか』を感じている証拠! いや……運命なんて言葉は必要ない。ないんだ。だから私はこの巡り会わせを『奇妙な偶然』と片付ける。ただそれだけの、邂逅だったのだと、思いたい。
『もしも』あの瞬間、あの吐き気のするような人波の中で、私たちが出会うことがなかったのなら。
 少なくともこのローストビーフの味は、ちょっとはマシに感じたんじゃあないか?



「それは幾らで売る?」

 ぶしつけに尋ねてきたのは白人の男性だった。私は顔を上げる。馬は引いていなかったが、一目でレース参加者だとわかった。というか顔を知っている。優勝候補の参加者の顔と名前は一通り頭に入れていた。上にいる人間は自分のことを少なからず誇りに思っている。優勝候補の人間として顔を知られていていい気分にならない者はそうそう居ないだろう。だから私は男の顔を見た瞬間『優勝候補の天才ジョッキー、ディエゴ・ブランドーさんじゃないか!』って笑いかけるとかそういうことをすることもできた。ちょっとくらい値引きをしてやってもよかった。が、愛想のかけらも見当たらないその態度に腹が立ったので、私は『はて、どこかで見たことのある顔だが、誰だったかな?』と不思議そうな顔をするだけにとどめておいた。
 ところで私は、最終的に商品を並べる際、値段の書かれた紙をそこに添えなかった。さすがにこんな人ごみは予想外だったのだ! 人が邪魔で、商品の値段を覗き込んで自分の財布と相談する余裕なんてありゃしない。結局商品の名前と値段を大声で叫ぶしかないのだ。それに興味を引かれて寄ってきた人間にさらに声をかける。売れ行きはよかった。大変よかった。帰りの旅費が稼げたどころか、少なくとも観光客向けの装飾品などは完売できそうな勢いである。理解できない言語を話す客も居たが、英語が話せればなんとかなることがわかった。育った土地の公用語に感謝したいと思う。
 だから、表に出していて残っている商品なんて、人気のなかった色のピアスと、アステカ文明をモチーフにしているのか馬鹿にしているのかよくわからない仮面のかたちをした飾り物だけだったのである。私は一時休憩として水を飲んでいるところだった。
 男はそのうち仮面のほうを指差した。
 私は『何故?』と思った。そしてそれが顔に出た。ピアスならわかるのだ。ピアスなら! 彼がただその装飾品を好み、身に付けたいと思ったのかもしれない。その程度ならレースの邪魔にもならない。だが、仮面だ。何故仮面? それは私が『物好き』のために用意したものだ。実際色違いのものがアジアのほうの観光客に売れている。彼はこれからレースなのではないか? その仮面がなんの役に立つというのだ? パフォーマンスか? キャラ付けか?
 男は指した指をぴくりとも動かさない。


「どうした。いくらかを聞いている。耳が悪いのか? だから大声で叫んでいた?」
「あ、あれは客寄せだ、叫んでいたわけじゃない」
「そうか。いくらだ」
「……」

 はっきり言っておく。こういう人間は嫌いだ。態度の悪い客なんかいくらでもいるが、商人に対して『買ってやるありがたく思え』というような姿勢を見せる人間は敵だ。値段を提示していなかったのが幸いした。足元見てやる! ディエゴ・ブランドー。下級貴族の出身と聞いている。が、育ちは良いのだろう。気品がないってわけじゃあない。むしろ……。いや、今重要なのは、彼がどのくらい金を所持しているか、である。レース参加料はもう支払ったのか? 今手元にいくらある? どこまでならこのくだらない仮面に金を払う? この仮面を欲しがる理由は? バックにスポンサーが居るかどうかでも違ってくる。身なりは悪くはないようだが……。







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