「ただいま……」

 丹波が練習に向かうべく、玄関で靴を履いている折しも、柚香が帰ってきた。どんなに疲れていても折々の挨拶はちゃんとするところは、親の躾が良かったのか、はたまたプロ根性か。いつも感心する。そんなことより、彼氏としては、俺というものがありながら朝帰りだなんてどういうことだ、と怒るべき場面なのかもしれないが、これに関しては「仕方ない」の一言で済ませるより他ない。

 彼女の仕事はホステスだ。




「ただいま、アフターどうだった?」
「も〜めっちゃ疲れた……」

 と言いながら、丹波に寄りかかって、肩に頭を預けてくる。アフターの相手には絶対に見せないであろう、彼女のこういう姿を見る度に、やりばのない独占欲が少し満たされる。ああ、てんこ盛りにした頭が重い。

「あのハゲほんっと気持ち悪い、何を勘違いしたんだか不倫しようってすごく言ってくんの。あんなのと結婚した奥さんの気がしれない」
「昔はイケメンだったんじゃない?俺みたいに」
「ははっ、それはないわ」

 あり得ないのはどっちだよ、と言うと「もちろんあっちでしょ、聡さんは格好いいよ」安堵。

「お得意様だし無下にはできないけど、もー嫌……」
「辞めても、いいんだぜ」
「……ごめんね」

 そう言って柚香は困ったように笑う。水商売に従事している人というのは、家庭環境に恵まれなかった場合も多く、彼女もまたその一人である。そのせいか、自分で稼いでいないと不安でしかたなくなるらしい。丹波だって一部リーグでサッカーをやっている身だから、自分以外にもう一人養うだけの経済力はある。そんなに辛いなら仕事なんて辞めちまえ、と思うし、辞めて他の男との付き合いも減るのなら尚良い。もっと言えば、自分と家庭を築いてくれるなら万々歳だ。出来るだけ長く一緒にいたいと思うほどには柚香が好きだし、仕事だかと割り切ってはいるけれど嫉妬しないわけじゃない。それでも彼女は仕事を辞めない。それでも丹波は辞めろという。堂々巡り。最近は、少なくともこうやってぐるぐるしている内は一緒にいられるのだ、なんて思うようになった。決着をつけたら、この円も途切れてしまうのではないか?終わりのないかたち。



「あー……」
「寝てな、今日は仕事休みなんだろ?」
「うん、あれ、聡さんは練習午前中までなんだっけ」
「そうだよ、帰ったら起こしてやるから」
「ごめんね、せっかく久しぶりに二人でゆっくりできる日なのに」
「いーのいーの、俺は柚香ちゃんの寝顔見られるだけで幸せだから」
「うわあ……あんまり嬉しいこといわないでよね」
「眠れなくなっちゃう?」
「もう、どうしてくれるの」
「夢に出てきてやるから安心して寝なさい」
「はーい」

 丹波が家を出るときに柚香は眠っているし、彼女が家を出るときに丹波は帰ってくる。生活リズムさえすれ違って、捉えられない。ぐるぐる、ぐるぐる、終わらない追いかけっこ。だけれど確実に、心は捕らわれているのだ。二人にはそれだけで充分、そんな世界。



「じゃあ、おやすみ」
「いってらっしゃい」





‖陰陽魚
110619
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