ニコラスのXヶ月後




 世間は春。初々しい制服姿やスーツ姿が街に溢れ、見ているだけであたたかい気持ちになる。ああ、私にもあんな風にきらきらした時代があったんだっけなあ……なんて懐かしんだり、自分はおばさんへの道を着実に進んでいる。苦笑。とはいえ、毎年新入社員が入ってくるわけではないETUのフロント、未だに私が最年少だったりするので、なかなか複雑な気分である。

 ミルクティーの入ったマグカップ2つ、どちらにも砂糖は入れない。彼は見た目通り甘いものをあまり好まないし、私は目下ダイエット中である。ただの一会社員が、超一流スポーツ選手(=金持ちでグルメだがカロリー消費量も半端ではない)と同じ食生活を送って、体型を維持できる訳がない。つまりそういうことだ(言っておくが、量も同じだったわけではない、決して)。

 高級マンションの一室にある立派なソファーでは、部屋の主がどっかと座ってこれまた立派なテレビを睨んでいた。普通に見ているだけなのだけれど、目つきが悪いので睨んでいるように見える。
 マグカップを手渡して、自分もソファに座る。二人の間は、関係に相応しい程度には狭くて、未だにすこしこそばゆい。

 テレビに目を向けると、ニュース番組だろうか、スポーツからお花見の話題に移ったところのようだ。どうやらキャスター(某人気アイドルグループのメンバー)によると、ちょうど今週が見頃らしい。



「……なんか、」
「なに」
「持田さんてこういうの興味なさそうですよねえ」
「ないね」
「どうでもよさそーな顔してますもんね」
「あんただって進んで行く質じゃねえじゃん」
「んー……なんていうか、桜見てると切なくなっちゃうんですよね」
「ふーん?」
「ほら、桜の花びらってハート型してるじゃないですか。散るの、あんまり見たくないなあって」
「柚香って案外ロマンチストだよな」
「……悪い?」
「自覚はあるんだ」
「まあ。元彼にも言われたし」
「前にお姫様って言った時も否定しなかったし」
「覚えてたんですか……」
「まあね」
「あのときは寝起きだったし仕方なかったんです」
「寝起きって本性でると思うんだよねー」
「……あの日あった色々は思い出すとかなり恥ずかしいんで忘れてください」
「へー。じゃあ絶対忘れねえ」
「……サド」
「サドで結構」

 会話とともにミルクティーも切れたので、マグカップを下げるためにキッチンへ。背後では、持田さんが大あくびをしながらテレビの電源を切っている。いい具合に体が暖まったところで、そろそろベッドが私たちを呼んでいる。



「おそよう」
「……おはよう、ございます……」

 時計の針が指している時刻は朝というより、もう昼に近い。今日が寝坊できる日であったことをありがたく思う。……実のところ、睡眠時間はいつもとさして変わっていない。ああ疲れた。どうしてあの人はあんなに元気でいられるんだ……私の方が年下なのに。やっぱり運動でもして体力つけないとついてけないかも……って、これは今回の話には全く関係ないので割愛させていただく。できれば見なかったことにしてほしい。



「今日はどうしましょうか」
「んー」

 職業柄、お互いに暦通りの休みはまず取れない上、彼に至っては休日などあってないようなものなので、二人揃って休める今日は本当に珍しい。せっかくだからどこかに行きたいが半分、不用意に二人で出掛けてうっかり見つかったりすると一大スキャンダルに発展しかねないので、外に出るのが怖いが半分。まあ、いつも忙しいんだし家でゆっくりするのも悪くはないかな、なんて。

「きーめた」
「何ですか?」
「準備。今すぐ」
「え、何の」
「いーとこ連れて行ってやるよ」
「……どこですか」
「いいから早くしろよ」
「……」

 ……この人が何か思い付いた時の顔は、本当に怖い。嫌な予感しかしない。でもこうなると何を言っても聞かないので、私は黙って従うしかないのである。……って、いつものことだった。はあ。


「遅い」
「すみませんね、これでも努力したんですよ」
「化粧とか要らなくねえ?」
「何言ってるんですか!他人様にすっぴんなんて見せるわけにいきませんよ!」
「へえ?俺には見せてるのに?」
「……それは、ほら、もうこうなっちゃったら仕方ないじゃないですか」
「仕方なくなんだ?」
「そりゃあ、できることならずっと綺麗な顔でいたいですよ。でも、ずっとしたままだとお肌に悪いし、結局メイク崩れるから直さなきゃいけないし」
「ふーん。まあどうでもいいけど」
「自分で聞いておいて……」
「下手な芸能人よりなんぼかましな顔してるし」
「……メイクすりゃあ誰だってそれなりになりますよ」
「違う。すっぴんの話」
「……お世辞とか言えたんですね」
「お前素直に喜べないわけ?」
「今のはちょっと、不意打ちでした」

 ……きゅん。たまにこう、さらっと、格好良くなるから困る。どうしたら良いかわからなくなる。無性に抱きつきたくなって、でも車内だとそれができないのがすこし寂しかったり。あーあ、こんなの私のキャラじゃないんだけど、なあ。


「で!結局どこいくんですか」
「照れてんの?かわいーねえ」
「……教える気はないんですね」
「当然」



 しばらくして、持田さんは静かに車を停めた。窓の外を見ると、車の隣で、何の変哲もない小川が走っている。明らかに観光地ではないし、近くに穴場のレストランがあるだとか、そういうわけでもなさそうだ。というか、それならお店の駐車場に直接行けばいいし、こんな何もないところに停車させる説明がつかない。

「持田さん?ここ、どこですか?」
「俺が若手ん時住んでたとこの近く」
「そうなんですか……」

 いや、そうじゃなくて。私が訊きたかったのは、なんのための場所なのかっていうことなんだけど……まあ、知っててはぐらかしてるんだろうけど。

 目的地はここで間違いなさそうなので、とりあえず、外に出てみる。風が強い。風に舞う私の髪とフレアスカートと、桜の花びら。小川に沿って植えられた、満開の桜並木が降らせているものだ。……あ。

「……持田さんって、本当、サディスト……」
「やっと気付いた?」
「はい……ああもうどうして……」
「桜眺めて切なーくなってる柚香ちゃんを眺めようかと思ってー」
「はあ……なんでこんな人好きになっちゃったんだろ……ああ……」
「まだ好きになったら負けだとか思ってんの?超うける」
「いや全然面白くもなんともないですよ……」
「そーゆー負けず嫌いなとこかわいいけどな、俺に勝てるわけねえのに」
「もういいでしょ……」

 本っ当に嫌な奴……人の嫌がることをわざわざするなんて……桜を見る前から憂鬱な気分になってきた。



 また強い風が吹いて、枝から桜をさらっていく。ああ、またハートが落ちていく。

 沢山の愛を咲かせる桜は、美しいと思う。儚く散ってゆくからこそ、美しい。そうと知っていても、消えないでと叫びたくなる。どうして美しいままではいられないの、桜は……人間も、同じ。

 桜のように美しい花であればこそ、永くその姿を留めることはできなくて、散る姿も儚くて。……持田さんも、きっとそうだ。

 彼がピッチの上で咲かせる大輪の華が散るのは、そう先のことではないだろう。付き合う前から、なんとなく分かっていたことだ。その華を散らせたくなくて、水をあげ養分を与える存在になろうと決めた。いつまでもそのままでいてくれると思いたかった。分かりきった事実はみないようにしてきた。

 やめて、散らないで。花びらを落としていく様なんて見たくない。あなたがいなくなったら私はどうしたらいいの。私に水をくれるひとがいなくなったら、私も散ってしまう。……彼の支えになるつもりが、自分が彼に寄生してしまっていた、なんて、笑えないオチ。もうどうしようもない。



 もう見ていられなくて、両手で目を覆う。その場にしゃがみ込んでしまいたかったけれど、それは阻止された。彼の胸に顔が押し付けられて、手が背中に回される。……この感触も、なくなってしまうのか。桜の花のように、なにもかも。


「お前が泣いてんの初めて見た」
「……っ……」
「そんなに桜嫌いなわけ?」
「いやっ、べつに、そんな、ちょっと……ごめんなさい……」
「やっぱここ来て正解だったな。いーもん見れた」
「……もちだ、さん……」
「なに」
「散らないで……いや……もちださん……」

 目の前のこの感覚さえも無くなってしまいそうで、怖くて仕方がない。離れていかないで。腕にありったけの力をこめて、彼にすがりつく。

「消えちゃ、いや……っ」
「柚香」
「っく、」
「幹はそんな簡単には消えねえよ」
「……え、」
「お前、外面に踊らされすぎ」
「……?」

 どういう、ことだろう。幹?桜を散らせている、あの幹?

 ああ、そうか。幹は、地に根を張ってしっかりと立っている。ちょっとやそっとでは倒れない。美しい花を咲かせる。花は散るけれど、幹はすぐに消えてなくなったりはしない。

 持田さんは、花ではなくて幹なのだ。彼自身が花であるわけではなくて、花を咲かせる存在なのだ。


 そこにしっかりと立っている幹に回していた腕の力を思い切り強くしてみる。「柚香、苦しい」嘘つけ、幹だったらこのくらい平気でしょう。

「お分かりいただけましたか」
「持田さん」
「なに」
「私、土になりますね」

ぶっ。幹が吹き出した。えっどうして。

「いやっ、お前ちょーうける……土って……お前それでいいのかよ……土……っ」
「ひどい!持田さんが幹って言うから、私は持田さんがしっかり根を張れるように支えていこうって……!」
「いや、それは分かってる、けどな……外面に振り回されてるって言った矢先に、よりによって土かよ……あーまじうける……」
「…………」

こちらは大真面目だというのに、とても不本意なので思い切りむくれる。「元気になったみてえだな」どこがだ。

「いやー笑った」
「……」
「化粧ぼろっぼろで睨むと迫力あんなあ」
「!」

そうだ、泣いてしまったのだから私の顔は相当悲惨なことになっているだろう……ああ、最悪。せっかく出掛けられるからと気合い入れてメイクしたのに。

「まあ、俺は外面なんかに振り回されたりしないし?」
「さっきは私の顔誉めてくれたのに」
「俺の信条と事実は別だから」
「……そうですか」

「もうちょっと素直に喜びを表現したらどうなの」
「外面には騙されないんでしょう?」
「お前の照れ隠しはむしろ分かりやすいからなー」
「……そうですか」
「ほら」
「……」



 幹でさえ、いつかは朽ちて無くなるのだろう。総てのものは儚く、生まれては消えていく。それでも、少しでも長く、私の側に根を張っていてくれるというのなら、私はそれでいい。


「頼んだぜ、土さんよ」
「……土も、木があるからこそ豊かでいられるので」
「その心は?」
「分かってて訊かないでくださいよ」
「言わないなら無理矢理言わせるぜ?」
「じゃあ言わない」
「柚香って案外積極的だよな」
「あら、そうですか?」
「そういうとこ嫌いじゃねえけど」
「……その心は?」

「愛してる」







‖朽葉の春
110503

inspired by DECO*27『ペダルハート』
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