「光、別れよか」
そんなことを言われたのは、お昼前、柚香先輩と二人でやってきた空港のロビー、出張に行く会社員やら、旅行者やら、先輩と同じように進学で地元を離れる学生やら、はたまた俺と同じように見送りに来ている者やらでごった返している喧騒の中だったので、うっかり聞き逃しそうになった。なんとか聞き取って、聞き逃せば良かった、と思った。 エイプリルフールは今日やない……今日やった。柚香先輩は、楽しいことが大好きで、いつも冗談ばかり言っているような人だ。そういえば去年のこの日、神妙な面持ちでおもむろに「私、マネやめよ思うねん」と言い出し、テニス部全員を驚愕させた。もちろん嘘だったのだが、一人残らず騙されたし、しかも嫌にシリアスだから、言われた方はどうしたらいいのか分からず途方にくれた。 そうだ、今回だってそうに違いない。同じ轍を踏むわけにはいかんねや。……でも、もし、先輩が本気だったら?その可能性は拭いきれないし、そう思ってしまっても仕方のない事情が俺達にはあった。 二の句を継げずにいると、 「光。……うちら、これから遠距離になるやん。正直言ってな、うち、続けられる自信ないねん」 「……何でや」 「……何でもや」 「ちゃんと言いや」 「最後くらいちゃんと先輩扱いしてえや」 「いいから」 「……(いつまでも生意気やんなあ……)。あんな、光。光は志望校関西やんか。会えへんのが一年だけって決まっとるなら我慢できるかもしれへん。けど、光が大学受かったら、会えへんのは一年じゃきかなくなるやろ。そしたら、どうなってまうか分からんやんか。もし気持ちが離れてもうても、遠距離だとそれが分からんねん。うちそんなの無理や。……それに、光にもっといい人がおるかもしれへんやろ。ずっとうちに縛りつけておくなんて出来ひん。このままずるずる付き合ってぼろぼろになって終わるより、今きれいに区切りつけたほうがええ思ったんや」 はて、先輩は、嘘のためだけにこんなに考えたんやろか?言いながら、俺の目をまっすぐ見られずに、伏せた目から涙を零しそうになってまで、こんな嘘をつくような人やろか?例えこの潤んだ目が演技だったとして、これらが全てエイプリルフールの冗談だったとして、これを考える間に、先輩はきっと泣いている。先輩は案外涙もろくて、そして俺のことが好きだと、俺は知ってる。そんな先輩が、そこまでして吐く価値のある嘘なんだろうか? 仮定一:これが、ただの冗談であったとしたなら。 「心臓に悪い嘘は吐かんといてください」と言えば、先輩は笑って「バレたかー、ごめんごめん」と言うだろう。何事もなかったかのように、先輩は東京へいく。俺達の関係はそのまま。 仮定二:これが、嘘ではなかったら。 これからどうなるか、どうするかなんて、考えていなかった。ずっと気持ちは変わらないと信じていたし、今だってそう思う。先輩は違うんか。俺のこと好きなんやろ。好きだったら、それでええんちゃうんか。 ……そうか、これからは好きなだけでは辛くなる。馬鹿みたいな、根拠のない自信だけじゃどうしようもないのだ。遠距離恋愛とはそういうことなのだ、きっと。先輩にはそれが分かっている。だから、不安で仕方ないのだ。別れようなんて、先輩の本心じゃない。でも、そうなっても仕方がないと思っている。覚悟の上でのこの提案だ。 ああ、これはエイプリルフールの力を借りて出てきた、柚香先輩の本音だ。俺が冗談と捉えても本気にしてもいいように、嘘に混ぜて、俺に答を出させようとしている。……なんて、ずるい。匙を投げたふりをして、天秤がどっちに傾いてもいいようにしておきながら、どうせ自分の中では答はでてるんやろ?俺もそっちの皿に乗ることを、期待してるんやろ? 俺?もう答えなんて出とるに決まっとるやないか。 「……分かりました」 まだ涙をこらえて俯いている先輩を抱きしめる。ここが人ごみの真ん真ん中だとか、みんな見てるとか、恥ずかしいとか、柚香先輩が「いやちょっ……やめえや……」とか言ってるとか色々あるけど、「ええやん、俺ら最後かもしれへんやないですか」俺も色々考えてることあんねん、ちょっと我慢しいや。ほら、エイプリルフールでも、行為は嘘にできないやろ? 「光……もうええやろ……色々限界や」 「……仕方ないですね」 「 光のがおかしいねん、こんな往来で……ほんま信じられへん」 ちらりと時計を見れば、十二時を少々過ぎている。先輩の乗る飛行機まであと少ししかないけれど、大丈夫、もう魔法は解けた。 「柚香先輩」 「……なに」 「好きです」 先輩の顔がぱあっと明るくなって……でも、またすぐに暗くなって、なんだか微妙な表情になった。なんでやねん。 「先輩、時計見てください、時計」 「え?なに?えっと……十二時五分……あっもしかして飛行機やばい?」 「……もしかして、先輩嘘ついてええのは午前中までって知らんのですか」 「……えっ?あっ!……あれっ?ええと……」 「(知らんかったんや……)先輩はいつも最後のツメが甘いんですわ」 「……ばれたか」 「当たり前やないですか、こっちは去年の二の舞にならんようにずっと警戒しててん」 「そうかー、来年はもっと上手い嘘考えるわ」 「てことは、とりあえず来年は一緒におれると思っててええんですね?」 「……ええよ」 「先輩」 「なんや」 「好きですわ。別れたない」 「……うちもや」 とりあえず、いけるとこまでいってみようやないですか。ダメになってまうかもしれへんけど、そうなるって決まったわけやない。もしそうなったとしても、やらん後悔よりやった後悔のほうが絶対ええ。ぼろぼろになるまで我慢したいんや、俺は。……先輩にも、そう思っててほしいんです。後悔させへんように、頑張りますから。 「……ほな、また」 「メールも電話もするし、夏休みには帰ってくるからな」 「俺、受験勉強あるから構えませんよ」 「ええ〜そんなこと言わんといてえや〜」 「俺が大学落ちてもええんですか」 「光なら大丈夫やって!」 「まあ実際そうですけどね」 「うわむかつく」 「先輩がそう言ったんやないですか」 「そうやった」 「勉強の邪魔にならない程度に相手しますから」 「うちのこと気になって勉強手につかへんーとか言わんといてな」 「先輩こそ、寂しくて泣いたりせんといてくださいよ」 「……無理かもしれへん」 「このタイミングでかわいいこと言うのやめてくれます?」 「……離れたないよ、光」 「……俺もや」 「うちら、大丈夫やんな」 「頑張ります、から」 「……おん。うちも、頑張る」 「ほなな」 「また」 ‖おそろしく正しい言葉 110411 |