……なによ、偉そうに。上から目線で説教なんかたれて、愚かな私を嘲って楽しんでいるんでしょう。
まだそんなことを考えられる自分の僻み根性にはほとほと参ってしまう。もちろん、跡部がそんな意地の悪いことを考えているわけなどないことは、柚香も重々承知の上だ。長年培ってきた癖のようなものだから、もう、ある程度までは仕方ないのかもしれない。 未だに卑屈からは抜け出せないものの、心は随分晴れやかだ。まるで、今にも切れそうなくらい張り詰めた糸が、ふっとゆるんだような、そんな感覚。たった一言で、こんなに気持ちが軽くなるなんて。 きっと、この言葉をずっと求めていた。……誰かに認めてほしくて、ここまで頑張ってきたのだ。誰に?誰にでも、じゃない。誰でもない、跡部に。 勝手にライバル視して、負けたくないと意地になって、でもどこかで勝てるわけないと諦めてひねくれて。思い返せば、なんて面倒な奴だろう。そもそも、そんな人間が跡部に叶うはずなんてないのだ。でも跡部は、同じ土俵に立とうとすることを許してくれた。足枷まで外してくれた。 まだ、勝ったわけじゃない。でも、これからは全力で戦える。今に見ていて、跡部なんか追い越してやる。今度はわたしが弱いところを見つけて上から目線でものをいってやろう。待っていなさい、いや、待っている間に抜かしちゃうくらい、全力で走ってやるんだから。 朝から降っていた雨は放課になっても衰える気配を見せず、ミーティングも昨日したばかりだったので、テニス部の部活動は自主トレに切り換えた。自分は生徒会の方に出席する旨を伝えたら、監督も跡部の事情は承知してくれているので、快く許可を出してくれた。中学から変わらず部員200名という超大所帯だが、皆下剋上の精神の下、過酷な日々の練習に耐えている人達だ。跡部がいなくとも積極的にトレーニングをこなす人ばかりだから、それほど心配はしていない。 心配なのは、霜山だ。朝、最後には少しか気が晴れたような顔になっていたけれど。普段、感情を素直に顔に出したりはしないから、あれだけで元気になったというのは早合点にならないか。自分の言葉は少しかは彼女を救えただろうか。ちょっとのミスで、張り詰めた糸を断ち切ったりはしていないだろうか。自分の眼力にはいささか自信があったが、それでも不安を拭いきれない。……俺の眼力が適わない奴がこんなところにいたとは。思わず苦笑がもれる。 生徒会室のドアを開くと、彼女の口が開かれて── 「……来たの……はあ」 「……その分だと、大丈夫みたいだな」 「テニス部いきなさいよ」 「自主トレだからいいんだよ」 「よくないわよ。私が」 まったく、お元気なようで。朝はうまく作れていなかった、いつものツンとすました顔が戻ってきていたのでほっとした。……少しか笑えば、可愛いと思うのだけれども…… と、そこまで考えてはっとする。俺は何を考えているんだ。今はそんな感情にうつつを抜かしている場合ではない。自分は、大事なことに優先順位をつけ、その通りに行動できる人間だ。現在重要なのは、テニス部と、生徒会。そういったものが人生において必要ないとは言わないが、今は必要ない。そうだ、やるべきことをやらなければ。 明日の委員会で使用する資料が手渡される。白い紙に並んだ黒い文字の羅列を眺めているうちに、だんだんと平常心が戻ってきた。 「お疲れ様ですー」 「お疲れ様ー」 一旦集中すると時を忘れる質は、柚香も跡部も一緒である。いつの間にか、テニス部の練習も終わる時間、生徒会室も2人の他は皆帰路についている。 「ほら、お前ももう帰れ」 「え、でもまだ、朝の分とか……」 「俺がやっといた」 「……」 あからさまに不機嫌になった。そんなに仕事が好きか。そこは普通は感謝するところだ。 「お前病み上がり、つうかまだ完治してないだろ、無理すんな」 「う……」 「帰らないなら昨日と同じように無理やり帰らせるぞ」 「それはいい!自分で帰れます!」 「そうか」 「……あ、」 「なんだ?」 「いや……ええと」 「なんだよ」 「……ありが、と。」 「!」 そう言い捨てて、柚香は逃げるように帰っていく。 誰もいなくなったのを良いことに、跡部の頬が思い切り緩む。心なしか顔が熱い。 今彼女に対して抱いている感情を知らないとは言わない。けれど、それに気付かないふりをしようと、つい先程、決めたばかりだというのに。 ストレートな感謝の言葉なんて初めて貰ったかもなとか、何でその程度で言い逃げするんだとか、あいつもしかしたら照れ屋かもとか、少しは素直になってくれたのかとか。ああ、可愛い、とか。 ……この程度で絆されるなんて、あいつが笑ったりなんかしたら、俺はどうなってしまうのだろうか。 ‖ピストルの音で走り出す 110408 |