『6時半に駐車場来い』
だけで、有無を言わさずぶつりと切れる電話。恐喝か拉致とおっつかっつな乱暴さには、いつだって苦笑しか出てこない。あの人の思考回路は、私が断るとか残業で間に合わないとか、そういう事態を想定しないんだろうか。いや、きっとそうなったらそうなったで、私を無理矢理連れ去るんだろう。世間では王様だのキングだのともてはやされているが、私からしてみれば王様というよりは暴君である。偉大な人に好意を向けられているはずなのに、どうしてだろう、全然有り難くない。


「遅い」
王様の乗る車を見つけてドアを開ければ、開口一番これだ。私の事情は一切考えないくせに、文句は人一倍言う。ったく、私のほうがよっぽど文句言いたいっての。

「うちはヴィクトリーと違って定時に帰れるなんて滅多にないって、前にも言いませんでしたっけ」
「知るか」
「私のこと好きなら、私の都合くらい考えてほしいんですけど」
「俺お前よりサッカーのが好きだから」
「でしょうね」

どんな理屈だとつっこみたいが、自分よりサッカーを優先させるような人なので、何にも言えない。私には飲み込めなくても、職場にもこの手の人たちが沢山いるので、なんとなくだけど理解はできる。この世の中にはそういうやつもいるのだ。……この人の場合、それが極端すぎるけれど。

私と彼を乗せた車は滑らかに動き出す。サッカー一筋のくせ、ちゃっかり車はいいものに乗っている。本当に嫌な奴だ。
はてさて、今日はどこまで拉致されることやら。


……んー……
どうやら私は眠っていたらしい。別に睡眠薬を飲まされたとか、そういう穏当ではないことがあったわけではもちろんないので、車に揺られている間に睡魔に負けてしまったようだ。案外安全運転じゃない、なんて思いつつ、この人に寝顔を晒してしまったことに多少の敗北感。
どうやらエンジンが切られているようで、車内は静かだ。目的地に着いたんだろうか、と思って目を開けると

「ちっ、タイミング悪ぃ奴」
「……なにやってるんですか」
「お姫様を起こすにはこれじゃん」
「貴方王子様ってキャラじゃないでしょう」
「自分がお姫様っていうのは否定しねえのかよ」
「お姫様が過労で寝落ちするなんて御伽噺読みたくないですけどね、ていうか、よく知ってましたね」
「お前、俺のことバカにしすぎじゃねえ?」
「してますよ。サッカー以外のこと知らないと思ってますもん」
「うっわ、ひっでえの、他にも知ってることありますけどー」
「例えば?」
「そうだな……お前の好物とか?」
「……格好つけようったって、無駄ですからね」
「なになに、照れてんの?」
「……で、今日は何食べさせてくれるんですか」
「お前の好物」
「ちょ、もういいでしょ、それ」
「やーだね」
「貴方も相当ひどいですよね」
「ひでえ奴同士でちょうどいいんじゃねえの」
「持田さんと同類なんて不本意です」
「はいはい」

御伽噺の優しい王子様、ではなく傍若無人な王様に連行された先は、小洒落たイタリアンレストランで、まあ奴に似合わないにも程があるが、何回か連れてきてもらったこともある。ここのパスタはお気に入りだったので、私の好物というのは強ち間違いでもない……ちくしょう、格好つけやがって。腹立つ。

「あれ、持田さん、お酒呑むんですか」
「そー。お前呑むなよ」
「そのために私呼んだんですか」
「そんなとこ」

そんなとこじゃねーよ。散々持ち上げといて運転手かよ。

「珍しいですね」
「そうだっけ?」
「呑まない人だと思ってました」
「たまにはいーだろ。明日オフだし」
「潰れないでくださいよ。私、貴方なんて運べませんからね」
「どーしよっかなー」

サッカーに対しては気違いじみているほどストイックな人だから、アルコールは取らないんだと思っていた。会話と共にお酒も楽しく進んでいるようなので、そこそこいけるクチらしい。あーいいな、美味しそうに呑みやがって。私がお酒好きなの知ってて平気でこういうことするんだから……でもたまには、サッカー以外で楽しそうにしてるのを見るのも悪くないかな、なんて思ってはいない。いけない。

メイン・ディッシュも下げられる頃には、やっぱりと云おうか、話題はサッカーに移っていた。彼はもちろんのことだが、なんだかんだで私も生活の中心はサッカーなので、お互いに気楽で楽しいのだ。同じ年頃の男女がするような会話は私達には似合わない。なんだかむず痒い気持ちになってしまう。

持田さんのことを怖いと言う人がたくさんいるけれど(たとえば椿くんとか)、確かに、プレーしている時だとか、こうしてサッカーの話をしているときの目は、キラキラしているというよりも、ギラギラしている、と思う。魂をサッカーに吸い尽くされてしまった人。私は怖いというよりも心配になる。この人は、サッカーを失ったらどうなってしまうんだろうか。しかも、自分の魂の限りはすぐそこに迫っているときている。それを知ってなお、力強くピッチを走る姿に、儚ささえ感じてしまうのだ。小さな幸せを集めて永く生きるのと、一瞬の命でも大きな幸せを手に掴むのと、どちらが好いんだろう。彼は迷わず後者を選んだ、それを間違いだと云うことなんてできないけれど、私は彼が壊れる瞬間を見るのが、怖い。


「ごちそうさまでした」
「お前金出す気まるでねえよな」
「当たり前じゃないですか」

相手の方が自分の何倍も稼いでいるのは火を見るより明らかなので、存分に甘えておく。今日の分はいきなり連行されたのと、帰りの運転代ということでひとつ。
いつもと反対側のドアを開けて、運転席に座る。違和感。普段見るのと違う横顔が隣にあった。

「こんな立派な車動かすの初めて。うわあ緊張してきた……」
「傷つけたら弁償だから」
「えー、無理です」
「じゃあ体で払え」
「何言ってるんです、か……」

駄目だこいつ完全に酔っ払いだわ、と呆れて助手席の方に目を向けたら、かなり本気の目と視線がぶつかってうろたえた。ギラギラしてる。こわい。

「お前さあ、もうそろそろ、いい加減にしねえ?」
「な、なにがですか……」
「とぼけんなよ」

そうだこの人、私のこと好きなんだった。……なんてボケをかましている場合ではない。でも本当に、彼がどうして私にそんなことを言うのかが理解できない。ビッククラブのエースと貧乏クラブの一スタッフなんて、給料に天と地の差がある以上に釣り合わないにも程がある。でもそれ以上に、サッカーしか見えていないような人が、女なんかに本気になるなんて信じられない。……信じられなかった。

私が本気になって、もし彼が本気じゃなかったら。それが怖かった。だからいつもはぐらかして、逃げていた。私ももう遊びまわっていられるような年じゃない。あの、サッカーを見つめる目で見据えられて、初めて思い知る。鬼ごっこはもう終わりだ。

私が映っている彼の目は、ピッチにいるときのように力強くて、力強すぎてむしろ儚げだった。……この人、私がいなくなったらどうなるんだろう。やっぱり、壊れちゃうかな。

「……わかりました」
「なに」
「車、たくさん傷つけるので、一生掛けて払わせてください」

言ったら、思い切り覆い被さってきた。勢いでドアに頭をぶつけた。痛い。

「いたっ……ちょっと、何す……」
「好きだ」
「……」
「好きだ」
「あの……持田さん?」
「好きだ」
「えっと……キャラ変わってますけど」
「好きだ」
「……はい」
「好きだ」
「分かりました、分かりましたから。あの、苦しいんですけど」

ちっ、と舌打ちを残して去っていく体温。……別に、ちょっと寂しい、なんて思ってないんだから。



「……車、傷つけんなよ」
「分かってますよ」









「お前さあ、持田さんっつーのやめねえ?」
「えー……駄目ですか」
「やだ」
「(やだ、って……めんどくせ)……じゃあ、えーと……モッチー?」
「はあ?何それ」
「ああ、この前うちの王子が言ってたんですよ。王子、選手みんなニックネームで呼ぶんですけど、相手チームにもあだ名つけちゃうんだなーって」
「この期に及んで他の男の話するわけ?」
「あ、王子ったらうちの監督までタッツミーって呼ぶんですよー、すごいですよねー」
「柚香」

初めて名前で呼ばれた。……こわい。

「……わざと、ですよ?」
「次やったら黙らせる」
「いや……だって、あの、」

なんか、恥ずかしい。むず痒い。王様はギラギラした目で楽しそうにこっちを見ている。……椿くんが怖いっていってたの、よく分かった。

その視線から逃れるように小さく彼の名前をつぶやくと、ギラギラが一瞬消えて、本当に幸せそうな笑顔になった。



「あ、うちの椿くんがね、」
「……分かっててやってんの?」

もちろん。







‖ニコラスの名を呼ぶ
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