馬鹿は風邪を引かないというのは良く聞く。あと、夏風邪は馬鹿が引くものだ、とかなんとか。
……どうやら氷帝学園生徒会副会長は馬鹿だったようです。

 三八度二分。脇に挟めていた体温計が叩きだした数字に気が遠くなる……いや、頭がぼうっとしていて元々気は遠かった。節々が痛い、喉もやられたのか声もおかしい。半袖に膝丈のスカートでは寒くて仕方がなくて、衣替えのときに奥にしまい込んだウールのセーターを引っ張り出した。

 朝ごはんも喉を通らない。母にも今日は休みなさいと言われたけれど、無視して家を出た。ふらふらする。自分でもあまり大丈夫ではないことは分かっていた。でも、絶対に学校を休みたくはなかったのだ。私が行かなきゃ、生徒会が動かない。何が何でも私の力で学祭を成功させてみせる。跡部の手は借りない。私がやるんだ、跡部じゃなくて。熱でまともに働かない頭は、そればかり考えていた。


 柚香が寒気やら痛みやらと必死に闘っているうちに、いつの間にか帰りのSHRも終わっていた。教室にいながら一日の授業を丸々聞き逃すなんて、私としたことが。しかし、柚香が高熱を押してまで学校に来たのは授業のためではなく、放課後のためである。朝より重くなったような気さえする体を引きずり生徒会室へ向かう。早く行って、仕事しなくちゃ。今日はクラス展示のチェックをして、明後日の実行委員会の資料作って、あとなんだっけ……

「副会長!どうしたんですか?顔真っ赤ですよ?」
「だいじょうぶ、ちょっと、具合、悪くて、でも」
「全然大丈夫じゃなさそうですよ!今日はもう帰ったほうが」

 やっとのことで生徒会室の扉を開けたら、案の定突っ込まれた。書記である後輩はもの凄く心配してくれているようだけど、ここであっさり引き下がるようでは霜山柚香の名が廃る。それに、その言葉はもう聞き飽きた。彼女で12人目だ。

「いや!私、今日、このために学校、きたんだから。島田さん、そこの赤いファイル、とって」
「あ……はい」
「ありがとう」

「あの、副会長、本当に無理はしないほうが」
「むりじゃ、ないもの。やるものはやるの」
「……はあ」

 手渡されたファイルの中の資料に目を通す。頭がぐるぐるして、内容が入ってこない。参ったな、たかが風邪でここまで弱ってしまうだなんて。天下の跡部様なら、このくらいじゃなんともないんだろうなあ。というか、そもそも風邪なんて引かないんじゃないかしら。ああ、弱い自分が嫌だ。このくらいでへこたれる訳にはいかないのに。こんなだからいつだって跡部に勝てないんだ。……せっかく、跡部がテニスでいなくて、頑張ったら彼を見返すことができるかもしれないと、思ったのに、なあ……


 あれ?
最近では練習が終わったあとに生徒会室に行くのが跡部の日課になっていた。ドアを開けたらまずは罵詈雑言がお出迎え……のはずが、いつもの威勢の良い言葉が飛んでこない。不思議に思って副会長の定位置に目を向ける。なんだ、いるじゃねえか……珍しいな、あいつが寝てるなんて。

「あ、会長。お疲れ様です」
「島田か。お前も遅くまでよくやるな」
「あ、いや……ていうか、副会長を一人にできなくて」
「ああん?何かあったのか」
「副会長、すごい熱あって……帰ったほうがいいって言ったんですけど、どうしてもって。もう保健室あいてないし、どうしたらいいか分からなくて」
「……もしかしなくても、寝てるんじゃなくて、ぶっ倒れてんのか」
「はい」
「迷惑かけたな。お前はもう帰っていいぞ」
「え、でも、副会長は」
「こいつは俺がなんとかするから大丈夫だ」
「ありがとうございます。……お疲れ様でした」
「ああ」

 さて、問題はこの馬鹿である。

「おい、霜山、生きてるか」
「……ん…………」

 意識が全くないわけではないらしい。しかし、ひどく赤い顔をしているし呼吸も荒い。相当辛そうである。こんな状態でよく学校まで来ることができたな、と跡部は思った。行きはともかく、帰りは歩くことすらままならなさそうだ。

「ん……あー……、あとべ?」
「気い付いたか」
「えーと、いま、あれ、わたし、しりょうが、チェック、あれ?」

「そんな口もうまく回んねえのに、仕事ができるわけねえだろうが、ああん?どうして帰らなかった」
「あ、しごと、やらなきゃ……あとべ、それとって」
「馬鹿か!できもしねえ無茶して後輩にまで迷惑掛けたんだぞ!もう帰るぞ」
「でも、おわってない」
「さっさとその風邪直すほうが先決だろうが!長引いたらその分仕事も遅れるんだぞ」
「いや、がくさいが、」
「仕事は俺がやっとくから安心しろ」
「それじゃだめなの!わたしが、やらなきゃ、あとべに、」
「何でだよ。誰がやろうが構わねえだろ。少なくとも今のお前には無理だ。さっさと帰って寝ろ。それがお前の仕事だ」
「いや、」
「ほら立て」
「ちょっと、」
「……つーか、立てるか?」
「ばかにっ、しないで……っ」
「無理なんだな」
「そんなわけっ……いやっ、なにすんの!」
「立てねえなら抱えてくしかねえだろ。大人しくしてろ」
「おろしてっ、じぶんであるく」
「今さっき立ち上がれもしなかったくせに。このまま一人で帰らせて道端で大事な副会長さまに倒れられても困るんだよ。堪忍しろ」

 びっくりした。ぐったりと力の入らない彼女の体は、ひょいと持ち上げられるくらいに軽かった。
……霜山って、こんなに小さかったっけ。







‖She is just a girl.
110120
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